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小説~愛犬物語(その1)

マミー、散歩!


       1

 今思えば、私の人生には常に犬がいた。
   
 最初に飼ったのは、両親がどこからか貰って来た白いスピッツ系の雑種のメスだった。
 私がまだ小学校1年生の時だった。

 名前がどうやって決まったのか覚えていないが、私は「マミー」と名付けられた「彼女」にぞっこんになった。
 当時私は母のことを「母ちゃん」と呼んでいたが、母は本当は自分のことをおしゃれに
   「マミー」
とでも呼んで欲しかったのだろうか・・・

 いずれにせよ、私は学校から帰るとランドセルを投げ出して
   マミー、散歩!
と言って、自宅の裏の川沿いの小道に走り出ていくのが日課となった。

 マミーは、散歩と声をかけると、待ってましたと言わんばかりに尻尾をちぎれんばかりに振って飛び跳ね全身で喜びを表し、リードを解き放つやまるで脱兎のごとく駆け出したものだった。

 それに引きずられるようになった私の脚力はだいぶ鍛えられたが、運動会での駆けっこ競技が早くなることはなかった。
 どうやらそればかりは血筋もあるようで、いかんともしがたかった。

 私が小学校1年生の頃と言えば、まだ高度経済成長期の真っただ中という時代であったが、地方のしかも離島に暮らしていた我が家は、お世辞にも裕福な家庭といえるものではなかった。

 それでも犬が飼えたのは、その頃のペット事情というものが、現代とは違ってそんなにお金のかかるものではなかったからだったと思う。

 食事はいつも我が家の残飯で、犬小屋も古くなって廃棄したテレビ(今と違ってブラウン管型だったので、当然幅もあって十分犬小屋として使えた)だった。
 さすがに狂犬病予防接種はあったと思うが、現代のようにきれいなペットの動物病院といった気の利いたものもなく、町には保健所がひとつあるだけで、家畜を診る獣医がいればいいほうだった。
 放し飼いの犬さえいたほどだった。

 おそらく両親も動物好きだったのだろうとは思うが、おかげでふたつ年下の妹とマミーの散歩権争奪戦(?)という厳しくも楽しい幼少期を過ごせ、マミーとともに健やかに年を重ねることができた。

 手前味噌かもしれないが、マミーは美人?(犬)で、散歩をすればよく雄犬が尻尾を振りながら寄ってきた。         

       2

 そんなマミーにも恋の季節が訪れて、いつの間にか妊娠し、しばらくすると5匹くらいのかわいい赤ちゃんを産んだ。
 私はその赤ちゃんも可愛くて仕方なく、マミーの近くに近寄ろうとしたがその時彼女の母親らしい一面を垣間見た。
 私や妹が何度近寄ろうとしても、その都度牙をむいて唸り声を上げたのだ。
 その時母から「子を守ろうとする親心」なるものを教えられた。
 動物も一緒なのだと、母親の偉大さを知った初めての経験だった。

 しかし私の母親も、人間としての親心を発揮した。

 ある日学校から帰ってマミーのところへ行くと、赤ちゃんだけがいなくなっていた。
 まだ目も開いていなかった子犬のことを心配して母親に尋ねると、最初は黙っていたが、ようやく重い口を開いて
   うちには赤ちゃんまで飼う余裕
   なんてないのよ
   かわいそうだけど
   今のうちに処分したほうが
   よかったの
と言ったのだ。

 私と妹は、それを聞くと狂ったように泣いて、母に
   なんでそんなかわいそうなことを!
と詰め寄った。
 しかもその処分の仕方というのが
   ダンボール箱に詰めて
   川に流した
ということだった。

 今の感覚からすれば、動物虐待にあたるような悪魔の所業のように思う人も多いかと思う。
 ただそれは、犬・猫の類のペットをことのほか大切にする風潮と充実した保護施設や引き取り施設などがある現代の感覚で、当時は生まれた子犬や子猫の処分に困った家庭ではよくあることだった。

 しかし、その時の母の涙も決して忘れておらず、今でもしっかりと脳裏に焼き付いている。
 母も人間の親として「子どもや家庭を守るため」という苦渋の決断をしたのだろう。
 それが母の母性本能だったのだろう。

       3

 私が中学2年生になる前のことだった。
 父の仕事の関係で、一家は島を離れて同じ県内の本土に居をかまえることとなった。
 
 当然、マミーも一緒に行くものと思っていた。
 ところが母は
   新しい家は一軒家だけど借家だし
   犬が飼えるか分からないの
   マミーは叔父さんが引き取ってくれる
   ということだから置いていこうね
と言った。
 私は愕然とした。
 そんな理由でマミーと離れるなんていやだなあ。
 でも母が言うことも分かるし・・・
 本土に上がるという喜びも、この母の一言で吹っ飛んでしまった。
 フェリーで島を離れる時、親戚や友達が港に見送りに来てくれ、たくさんのテープをつないで別れを惜しんでくれたが、私の心はマミーのことばかり案じていた。

 しかしその後しばらくして、まるで映画の「南極物語」のように、マミーとの再会が待ち受けていようとは、この時は思うすべもなかった。

       4

 それは島を離れてから約4月後のことだった。
 島に住む親せきの法事に出席するために、家族で島に帰ることになった。
 マミーを預けた叔父の家にも立ち寄ることを聞いた私が、飛びあがって喜んだことは言うまでもない。

 ところが、法事を済ませて立ち寄った叔父の家には、マミーの姿はなかった。
 私は叔父に
   叔父さん、マミーは?
と聞いた。
 叔父は最初言いにくそうにしていたが
   実はマミーはこの家から逃げたんだよ
   引き取ってから2月くらい経った頃
   犬小屋に行ってみると
   鎖が外れていなくなっていた
   ごめんな
   保健所には手配しているが
   今のところ分かっていないんだ
と答えた。
   そんな・・・
 私は叔父の話に絶句してしまった。
   どこにいる?マミー!

 私の落胆ぶりを見て、叔父や両親は
   狭い島のなかだ
   どこかにいるよ
   見つけたらすぐに引き取りに行くから
と言ってくれたりしたが、私は既に
   もう叔父さんには預けたくない
   きっと元の飼い主恋しさに
   逃げ出したに違いない
と思いこんで涙ぐんでしまった。
 そして
   マミー、もし見つかったら
   すぐに引き取りに来るからな
と心のなかで密かに思った。
 その後2,3日島に滞在したので、その間友達の家を訪ねたりして遊んだが、その間も
   もしかしたら、どこかで
   マミーと会えるかもしれない
と、淡い期待を抱いていた。

 そしてそのような気持ちが神様に届いたのであろうか。
 島を離れる前日、土産物等を買うために友人と街を歩いている時、突然その友人が
   ねえ、あののら犬
   マミーに似ていない?
と言ったのである。

 彼は、以前私の家に来たこともあり、何度もマミーも見ており、今回マミーがいなくなったことも話していたので気にかけていたのだと思う。

 確かに彼の指さした先には、3匹くらいの犬がいた。
 しかしいずれも飼い犬とは思えない汚れようで、友人がマミーではないかと言った犬も毛の色が薄茶色にしか見えず、とてもきれいな白色だったマミーには見えなかった。
    だから、その友達がなぜその薄汚れた犬を見て、マミーではないかと言ったのか不思議なほどだった。

 でもそこまで言ってくれたのだから、もしマミーだったら「マミー、散歩」と彼女にしか分からない「合言葉」を言えば反応するのではないかと思い、ダメ元と思いながらもその犬に向かって
   マミー、散歩
と大声を出してみた。

 すると、なんとその犬は、私のほうを見るや私のところへ猛然とダッシュしてきて、ちぎれんばかりに尻尾を振ったのである。
 なんと、その犬はマミーだったのである。
 そしてマミーは、私に飛びつくように体を預けると、私の顔をベチャベチャになるまでなめまわしてくれた。
 まるで
   ご主人様
   どこに行っていたの?
   待ってたよ!
と言わんばかりに・・・
 私がその汚れて臭くなった体を抱きしめたのは言うまでもない。
 そして
   マミー、ごめんな・・・
   迎えに来たから一緒に帰ろう
と言って、人目もはばからずに泣いたものだった。
    今思い出しても、奇跡に近い再会だった。

 私が両親に懇願して、一緒にマミーを連れ帰ったのは言うまでもない。
 おそらく叔父も責任から解放されてホッとしたかもしれない。
 また目ざとくマミーを見つけてくれた友人にも感謝しかない。
 もし彼と一緒でなかったら、マミーに気づかず、彼女との合言葉である「マミー、散歩」を発することもなかったかもしれない。

 幸い、マミーを連れて帰った家の大家さんは、庭の一角に繋いで飼うことを条件に許してくれたので、マミーはそこで私との第二の人(犬)生を歩むこととなった。
 連れ帰ったマミーを洗ってやると、見覚えのある白い美女になったことは言うまでもない。

       5

 マミーはそこで、私が高校を卒業する年まで生きた。
 貰ってきた時には既に2,3歳だったので、おそらく15歳くらいまで生きたのではないだろうか。
 あまり年老いてからのイメージはない。
 最後まで元気だったような思い出しかないが、それも彼女なりの気遣いだったのだろう。
    そして彼女は私がいない時に、突然天国へ旅立ってしまった。
 私が大学受験のために、県外に出かけて帰ってきた時には、既に家の庭の片隅に埋められていた。
 マミーの墓の前で泣き崩れた私に、母はその時のことを
   最後は静かに息を引き取ったよ
と涙ながら語ってくれた。
 その時の母の涙も、今でも鮮明に覚えている。
 母がマミーのことで流した2度目の涙だった。

 そんな母も、3年前に91歳の天寿を全うした。
 マミーと違って、その最後を看取ることができたのは幸せだった。
 静かに眠るように旅立った。
 マミーに再会に行った母が羨ましくもあった。
 下の写真は、母の遺品整理をしていた時に見つけたアルバムの中に貼ってあった在りし日のマミーの写真である。
 彼女はいつもこの格好で、私が学校から帰るのを待ちわび、私が
   マミー、散歩!
と声をかけると、大喜びで粗末な犬小屋から飛び出してきたものだった。

 もう50年以上も前のことであるが、決して脳裏から離れることのない私の大切な思い出のひとつである。
 そしてマミーは、今でも私の心の中に生きている大切な愛犬である。

在りし日のマミー(昭和40年半ばころ)

 私は、これまでの人生のなかで、5匹の犬と2匹の小鳥を飼ってきた。
 それぞれのペットには、その時々の思い出が詰まっている。
 それを振り返ることは、これまで私の人生を彩ってくれた彼らの供養にもなるかと思い、不定期にはなると思うが、今後その思い出も綴ってみたいと思う。


 



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