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WBCを振り返って

指揮官の力とは

    WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)で、日本がアメリカを破って、14年ぶり3回目の優勝を飾った。
    私は普段、サッカーや野球をはじめとしたプロスポーツの類に興味はなく、その手のスポーツ番組はほとんど見ない。
    だが、ことこれが日の丸を掲げて世界を相手に戦うとなると話は別である。
    オリンピックはもとより、サッカーやラグビーなどのワールドカップや、今回のWBCのように、若者が日の丸を背負って戦う姿を見ると胸が熱くなり、その放送がどんな時間であれ、ルールがよく分からないものであれ、必ずテレビの前に陣取って、手に汗を握りながらも必死に日本を応援する。
    また現地のスタンドや日本各地で、日の丸を振って応援する多くの日本人を見るにつけて、日の丸を批判する一部のメディアや有識者の意見というものがいかにマイノリティ(少数意見)でしかないことに安堵したりもする。
  
    今回日本は、国内で行われた一次リーグ予選と準々決勝までは、圧倒的強さで連勝し、
連日メディアは、優勝して当たり前という風潮を煽った。
    だが、さすがに野球の本場アメリカに渡ってからの準決勝以降の戦いは、そのレベルが一変した。
   特に準決勝のメキシコ戦は、決勝戦以上に緊張感をもって観戦した。

    どんなスポーツでも、試合は選手がするものであり、監督は、全体を見て指揮する立場の者でしかないが、その指揮権は絶対で、選手たるものその指揮下に入らなければゲームそのものが成り立たなくなる。
    そのことを念頭に、このメキシコ戦を振り返ると、日本の栗山監督が、それまで不調だったヤクルトの村上選手を代えることなく起用し続けた胆力に、指揮官としての有能さを垣間見た思いがした。
    村上選手は、それまでの試合でも不調を極め、前年に最年少で三冠王を取った打棒はどこへやら、WBCが始まってから彼のバットから快音が聞かれることはなく、本人自身不調に苦しんでいる様子が素人目にもよく分かった。
    そしてその日の試合でも彼の不振は続き、連続3三振と鳴りを潜めていた。
    しかもその試合は、常にメキシコが先行する形で進行し、9回裏になっても1点差という僅差ではあるものの負けており、ここで逆転しなければゲームセットという極めて緊迫した状態で打席が回ってきたのが、村上選手だったのだ。
    この時試合を見ていた人のなかには
            なぜ村上を使うのだろう
            代打を考えないのだろうか
と思った方が少なからずいたと思う。
    かく言う私も、その一人だった。
    でも、栗山監督はそのまま村上選手を打席に送り出し、結果彼が見事にセンター越えの二塁打を放ち、日本は逆転サヨナラ勝ちを収めることができた。
    確かに、野球を含めスポーツは結果が全てである。
    試合に勝てたからこそ、監督の采配と村上選手のバッティングに喝采が浴びせられたが
もし村上選手が凡退し、試合に負けていればと思うとゾッとする。
    おそらくメディアは、監督の代打を考えなかった采配に疑問を呈するとともに、村上選手の不調も叩いたことだろう。
    そのことを考えた時、現場で指揮を取った監督の重圧(プレッシャー)は並々ならぬものだったと思う。
    しかしその重圧を跳ね返してでも、村上選手を打席に送り出したのは、監督が部下としての立場の選手を
              最後まで信じきる
という気持ちしかなかったのだと思う。
    この部下に対する揺るぎない信頼というものがあるからこそ、選手は監督に対して
              この人のためだったら
という気持ちが芽生え、最後にはその期待に答えるではないだろうか。
    しかし、それがいつなのかという保障は全くないが、勝負の世界は最後はそこにいきつくのではないだろうか。
    このことを証明するエピソードがある。
    帰国後の記者会見で、大会で印象に残ったことについて、それぞれ発言を求められた際に、城石コーチという方は
             ムネ(村上選手のニックネーム)が
             サヨナラを打つ打席の前に、監督
             の言葉を伝えに行ったら、最初
                    「何しに来たんだ?
                        バントか?代打か?」
             みたいな顔をされたけど
                   「思いきっていってこい」
             という監督の言葉を伝えたら、彼
             の表情にスイッチが入った
             あの時のムネの表情は一生忘れな
             いと思います
と語ったのである。
    極限の緊迫した状態でもなお選手を信頼する監督のこのような言葉以上に、不振にあえぐ選手を奮い立たせるものがあるだろうか。

     栗山監督は、過去にも大谷選手がプロ入りする時に、本人が希望する二刀流に難色を示した他球団を尻目に、あえてその希望を受け入れて彼の才能を見事に開花させ、アメリカ大リーグにおいてMVP選手となるまで成長させるなど、その指揮官としての人を見る目、成長させる能力というものは卓越したものがあると思う。
    しかしWBCが終わるやいなや、栗山監督がWBCを最後にユニホームを脱いで球界から引退するというニュースが流れた。
    察するところ、世界一奪還という国を背負った責任を、とてつもない重圧を乗り換えて成し遂げたことで燃え尽くしたので、その結果をもって、野球人生の集大成としたかったのだろう。
    球界からの引退を惜しむ声が少なからずあるようであるが人の人生はそれぞれである。
    球界を去られてからの栗山さんの第二の人生に幸多きことを願うばかりである。

    最後に、日本と戦ってくれたアメリカをはじめとした多くの国に感謝したい。
    戦いというものは、相手があって初めてできるものである。
    敗れたとはいえ、それは勝負ごとにはつきものであって、真剣に日本と戦ってくれた相手があってこその緊迫した試合であり、多くのドラマのようなシーンも見れたのである。
    今回は日本が勝利の女神のお眼鏡にかなったが、どのチームにもチャンスがあったからこそ、それぞれのチームは国を背負って必死に戦ったのである。
    それぞれのチームは、国を背負って正々堂々と戦った誇りを胸にそれぞれの国に凱旋してもらいたいものだ。

   そして、それらの国々の選手から
            ・試合後に相手チームやその応援団
                になされた日本チームのお辞儀
            ・ダッグアウトを綺麗にかたずけて
                帰る姿勢
など、日本人の礼節に対する称賛の声が絶えなかったことも、心にとどめておくべきことだろう。 
    我々が普段心がけている他者に対する思いやりの心がワールドスタンダードになる日が来ることを願うばかりである。

   それにしても、久しぶりにスポーツで心が震えるほどの感動を味わさせていただいた。

  

 

 


   
  


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