日記帳
続けるということ
私は、若いころから日誌をつけている。
つけはじめたのは、大学生の頃だ。
ただ、日誌といっても、その日のできごとや思いを文章にするという高尚なものではなく、当日の予定や結果などをメモしておく程度の備忘録的なものにすぎないが、これまでつけてきた日誌は、なぜか捨てきれずに全て保管してある。
これらは市販のビジネスダイアリーにすぎないが、それでも時々引っ張りだして開いて見れば、当時の思い出が甦り、自分史的なものとして、それなりに楽しめるものである。
振り替えってみれば、日誌をつけることだけがこれまで唯一続けていることだ。
社会人になってからは、仕事の予定や結果などの記載がほとんどであったが、定年になってからは、仕事関係の記載がなくなり、日誌に書くことがめっきり減った。
そこで、1日をどのように過ごしているかを記録することに重点を置くことにした。
すると、朝夕の愛犬の散歩、妻が仕事の時の夕食の準備、1日おきのジョギング、施設に入っている父との面会、このNOTEへの投稿のための原稿作り、趣味のひとつであるラジコン飛行機の仲間と過ごす時間、定年になってから始めたピアノ(といっても電子ピアノではあるが)の練習、そして読書など、仕事をせずとも結構忙しくしていることに気づく。
日誌をつけることの効能のひとつは、続けることを維持できることだと思う。
好きなことは、特段努力しなくても続けられるが、ある程度努力を要することは、その過程を日誌に記載すればそれが励みになり、継続する力となる。
私の場合は、ジョギングとピアノの練習だろうか。
ただジョギングといっても、ルームランナーを使ったものなので、本格的に外で走っている方からすれば、邪道かもしれない。
但し天気を言い訳に休むことはできないので、ほぼ2日に一回のペースで、設定した10キロメートルの距離をゆっくりしたペースで走っている。
そして日誌には、ルームランナーに表示された運動時間とその消費カロリーを書く。
またピアノも、その日練習した曲名を書いておく。
それだけでも、自分に対する励みとなり、挫けそうになった時に、日誌をめくってみれば、これまでつけてきた努力の足跡に
ここまで続けて来れた
ここでやめるのはもったいない
と、その都度続ける励みになる。
なんのことはない。
日誌をつけるということ自体が、前向きに生きることの糧となっていることに気づく。
日誌をつけるもうひとつの理由は、その年の目標をたてることである。
目標は何でもいい。
私の場合、なるだけこの素晴らしい日本という国を見てまわって、見識を高め、人生を充実したものにしようと思い、定年後は、年2〜3回の旅行をすることにしている。
今年は、大学時代の友人と、夏に山梨県の
飛行機と自動車の博物館
に行った。
(詳しいことが知りたい方は
「河口湖自動車・飛行機博物館を訪ねて」
をご覧ください。)
また、秋には、妻と愛犬と
愛媛県の道後温泉と
しまなみ海道を巡る旅
(これも
「松山城としらなみ海道にて」
をご覧ください。)
にも行った。
ほかにも、ひとり旅で足を伸ばしたところもあるが、これらの旅は、ツアー等に頼るのではなく全て自分で計画をたてており、これがまた楽しみとなり、前向きに生きる支えとなっているようである。
さらに旅行を楽しむための前提となるのが健康なので、自然と日課のジョギングの励みにもなる。
このように、日誌を書き続けるという行為自体は、過去を振り替える作業の繰り返しにすぎないが、それをもとに明日以降の予定をたてるという一面もあるので、ポジティブに生きることへの力ともなっているのではないだろうか。
生き甲斐や生きる意味に悩んでいらっしゃる方がいれば、まずは自分のまわりのささやかなできごとに思いを致してみたらどうだろうか。
そして、それを日誌などの形で記録しつづければ、自然と、自分が明日やらなければならないことが見えてくるはずだ。
明日が見えてくれば、その次の日が、そして1週間後が、さらに1月後も、1年後も自然と繋がってくる。
人生は、この世に生を受けてから亡くなるまで、一時も途切れることなく続いているレールのようなものだ。
それぞれの生きざまを記録し続ければ、自然とそのレールに自分は何を乗せたらいいのか見えて来るのでは・・・
早いもので、今年も残すところ一月となった。
明日あたりは、書店に行って、来年の日誌を買いにでも行くか☀️⤴️