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進化心理学のすすめ➀(不安からの解放?)

人生は苦である

ブッダは「一切皆苦」要するに「人生は苦である」と説いたといわれるが、人により苦の大小はあるものの、本当にその通りだと思う。誰にでもいつでも何がしらの苦(不安というほうがしっくりくるか)があるのだ。では、どうすればそれらの苦から解放されて、幸せという状態になれるのか。

お金じゃないよね

幸せに必要なのはお金じゃないということは多くの人の共通認識だろう。貯金がない人は100万円持っている人をうらやましく思い、1000万円持っている人は1億円持っている人をうらやましく思い、10億円持っている人は1000億円持っている人をうらやましく思うのである。お金に対する切実さは生活レベルによってちがうだろうが、たとえ生活に困らないほどのお金持ちになったとしても満足する状態にはならない。むしろ不満や不安を感じるようになってくる。これはルックスでも社会的名声でも同じだ。整形して目がパッチリしても、しばらくすると鼻や口が悩みの種になるのである。

悟りなんてない(かも)

仏教では不安のもとを「貪瞋痴」(とんじんち、貪=欲望、瞋=怒り、痴=無知)と言い、これらを消滅させて、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)、つまり「悟り」の境地に至ることが心の平安を得るための方法だとされている。

そのために、さまざまな「修行」が推奨されているが、わたしは以前から「悟りの境地」なんて嘘じゃないかと思っている。(仏教信者の方に喧嘩を売っているわけではありません。単なる個人的な意見ですのでご容赦を。)

苦はデフォルトスペック

そのことは、なぜ人は生まれ持って「一切皆苦」なのか、なぜ誰からも教えられないのに、いろんなものに不安を感じるのか、を考えればわかると思う。「人生は苦である」は我々のデフォルトスペックだからなのだ。それは生存と繁殖のために必要な、遺伝子に刻み込まれたスペックなのである。

修行などという非科学的な手段でこのデフォルトスペックを変えることができる気がしない。どうやって自分のスペック(遺伝子)を書き換えるというのだ。座禅を組んだり、断食したり、滝に打たれたら遺伝子が変わるというのか。

修行で至る悟りというのは刹那的な幻覚のたぐいではないかと思っている。もしその考えがあたっていれば、そのような境地はゾンビタウンと言われるフィラデルフィアの路上のドラック中毒者の境地と同じだ。正気に戻ればまたもとの「一切皆苦」なのだ。

これから書きたいこと

どうすれば心の平安を得ることができるのか。今日的に有力な方法が進化心理学だと思う。「貪瞋痴」を科学的に解き明かす学問である。自分を変えることはできなくても、「一切皆苦」の仕組みを理解することができれば、対処法を考えることができる。不安の暴走を抑えて、間違った道に進むことを防ぎ、自分の意志で心の平安を取り戻す。それを可能にする学問が進化心理学だと思う。

このブログでは自分では制御できない様々な感情や無意識の行動について、一つ一つ進化心理学の学説を紐解いて書いていきたいと思う。ということで今回は進化心理学についてのプロローグでした。

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