「フットプリント」に気づかない残念な「兄」 〜仕事でも介護でも差ができるワケ〜
今日は毒を吐きます。一つのストーリーを読むように気軽に読んでほしいです。(とはいえ、介護の実状を書きますので、人によっては不快に思う表現もありますのでご注意ください。)
実家の介護で兄弟に「差」ができるのはなぜか?
今、両親の介護が大変です。
両親共に認知症がかなり重度で、母親が親父を管理しようと余計なことをするので、相乗効果で「やらかし」が発生します。
今年に入ってから、私の生活は激変しました。1人で対応するのは無理になったので、兄にも横浜から神戸に転居してもらい、兄弟でケアすることになりました。
私も新宿から西宮へ介護のために転居していたのですが、より実家の近くに転居する方が楽だと言うことになり、神戸市内に改めて引っ越しをしました。
さて、そんな中で正直に言うとかなり不満が溜まっています。理由は・・・
兄が全然機能しない
という現実を日々突きつけられているからです。
とはいえ、兄が非協力というわけではありません。
実家のことについて、全体を統括しているのは私ですが、兄には
・食料品の買い出し
・日用品の買い出し
を依頼しています。それと、夕方には実家に行って両親の様子を見ます。
「様子を見る」の範囲と閾値
そう。兄は両親を見ています。はい。「見ている」のは確かなんです。
でも「診てはいない」のです。
私たち兄弟は、それぞれの自宅があり、両親とは同居していません。
でも、割とすぐ近くに住んでいること、特に兄の場合には駅から自宅に帰る途中に実家があるので、仕事帰りにはほぼ毎日実家に寄ることができます。
だから、最初は安心していたんです。まず「生存確認」はそれでできます。
ところが、私が両親のデイケア送り出し(荷物などの用意はもう両親はできない)のために早朝に実家に入ると・・・
・便汚染
が結構あるんです。兄はトイレの床を見て拭き掃除とかは時々してくれるのですが・・・問題はその「大きな事象」言い換えれば「誰でも気づく事象」への対処だけをすれば良いというわけではない、ということです。
大きな事象があるということは、小さな事象も起こっている可能性があります。
実際に、便汚染した手でドアノブや柱、照明のスイッチなどを触ります。そこにはよく見ると便が付着しているわけです。
そういう所への対処は兄は一切しません。というよりも「気づかない」「見えていない」のです。
だからタオルが便汚染されていても交換しない。便汚染している座布団に平気で座るということが起きます。
野鳥や野生の動物を観察する際、その姿形をいつでも観察できるとは限りません。だから、フンや足跡(フットプリント)や食事をしていた跡などから、「どのような生活をしているのか」を推理しながらその生態を探ります。それが別居の場合の介護でも必要とされるわけです。
つまり、兄は「野鳥そのものは見ている」が「野鳥の生態全体を見てはいない」ようなものです。だから、「見えている範囲」も狭ければ、対処するための感度も悪くなります。フットプリントを有益な情報と思えない人なのですよね。
結局は「気づいた人が対処する」という不公平が起こる
そうすると、「(介護・家事を)やっといたよ」という兄の報告の内実は私の期待値を遥かに下回ることになります。
結局は「やらなければならないこと」自体が減ることはありません。気づいてしまう分、私は対処を粛々とすることになるのですが、それを兄が手伝うことはないのです。
むしろ、やればやるほど、兄は私に頼る
という構図になります。
あれ?これって、以前いた職場でも同じことを言っていたな・・・
結局、気づけない人は「指示待ち」になる
先日もこんなことがありました。
ヘルパーさんが週に何度か来てくれているのですが、その度に報告書を残してくれています。
私はそれを毎回確認し、写真をとり、ストックしています。それを兄と私の妻の3人でLINEで共有しています。
それによって、両親の様子や買わなければならないものや医者に報告しないといけないことが見えてくるからです。デイケアの報告書も同様にしています。
兄がほぼ毎晩、実家に寄るので、その報告書の写真を毎回送ってもらうようにお願いしました。
お願いするとちゃんとやってくれるので、その点では安心していたのですが・・・
ある時に、私が現物を確認すると・・・その報告書が綴じられたファイルの裏表紙にヘルパーさんから付箋が貼られていました。ある日用品が無くなったので至急買ってきて欲しいという依頼でした。
報告書を写真するためにファイルを開いたら絶対に目に入る場所です。見逃すなどということはあり得ない。
でも、兄からすると、その付箋の重要性に気づけない。ルーチンで報告書は写真で共有するけれども、付箋まで共有するべきとは思いつかない。私からすると「あり得ないこと」なのですが、兄からすると「じゃあ、言っておいてよ」ということになります。
この写真を共有してくれていれば、私が実際にそのメモを見た段階で、購入して持ってこれたわけです。結局は私が見るまで対処が出来ないのであれば、兄に依頼している意味がありません。
思考停止している人は、本当に観察することも停止します。
フットプリントに頼ることないように直接観察できるツールを導入したはずなのに・・・
親父の徘徊、母親の「おねだり」が我が家では問題になりました。
徘徊はお分かりでしょう。親父はもともと散歩が好きだったのですぐに外出したがるのですが、最近では道に迷います。警察にご厄介になります。先日は別の団地の人が救急車を呼ぶことになりました。iPhoneは素直に持ってくれるので、GPSで追跡するのですが、それでも私たちも仕事があったりするので到着が遅れます。
母親の場合にはやっかいで・・・高級品をテレフォンショッピングで購入したり、知人に(今はやっていない)バザー出品のために家に大量の物品を送る依頼をしたり。その度ごとにキャンセル手続きや物品の返送と謝罪に行脚することも。
そういった「外部」との行き来を観察するために、兄が夏にいわゆるペットカメラを購入しました。玄関のドアに向けて設置することで、親父の徘徊・外出と、物の出入りをチェックすることが目的です。人感センサー付きなので、人が動けば兄に動画で通知が行き、内臓のMicroSDには何時間か分の動画が保存されます。
最初、調子にのって私が玄関で掃除していると、そのカメラから兄が話しかけたりしていました。
ところが・・・今は全く使われていません。私にそのアプリを共有して欲しいと頼んでもスルー。先日、誰かが謎の買い物をしているのが分かったのですがそれの相手を特定して欲しいと言ってもスルー。
全く意味がありません。
電話を代われば阻止できることもあるのに・・・
こんなこともありました。
兄が両親と実家で食事をしている時のはなし。
電話がかかってきて、母親が友人と親しげに話していた。その時に「じゃあ、土曜日の9時半に来てくれるのね?」と言っていた。
どうも、服を持ってきてくれるとのこと。
電話を終えて、兄が「母さん、まさかバザーに出すための服を頼んだんじゃないよな?バザーなんて数年していないのに!」と尋ねた。すると「そうじゃなくて、私にセーターをプレゼントしてくれると言うので貰うの」と、あくまでも個人的なプレゼントだということで納得したとのこと。
私なら、その場で、その相手の方に確認する。
で、気になって、翌日、その電話番号に電話してみた。出なかった。まあ、いきなり知らない電話番号からの着信を取らないようにしているのだろうと思い、留守番電話に素性と用件と改めて電話する旨を残した。
翌日、改めて電話すると出てくれた。
やはり・・・バザーの物品の送付依頼を母がしていたことが判明。
母の状況を伝え、謝罪すると、「わかりました、今度から送らないようにしますね」と理解してくれた。
しかし「でも、土曜日に訪問すると約束してしまったのですが、どうすればいいですか?」と質問された。その答えはこうだ:「いや、母は依頼していることも忘れていると思うので大丈夫です」。
実際に、土曜日に私は実家に行ったが、母は全く約束を覚えていない様子で、普通に過ごしていた。その後、電話の履歴を見ても、それから連絡はとりあっていない。
結局介護についてはコミットメントの程度に個人差がある。
おそらくは兄は兄で、自分ができないことに劣等感を持っているように感じる。
であれば、私が依頼したことだけでもして欲しいのだが・・・
ベランダに干している洗濯物を取り込んでくれ、と頼むと、ソファにどんと投げおいているので、その上に座った親父が失禁して・・・再度私が洗濯することに。
デイケアから帰ってきた親父を部屋着に着替えさせてくれ、と頼むと、脱がせたズボンやシャツはリビングに放置。洗濯しなくとも、せめて洗濯機に入れてくれ。
兄が買ってきたお惣菜などが賞味期限を数日過ぎているのでLINEで報告しているのに、そのまま放置するとか。食品買い出し担当なんだから管理してくれ。
などなど。結局、価値観合わないやつとは同じ業務はできない。まだまだ弟の苦悩は続く。