アドラー心理学ライフスタイル診断であがり症を克服する
動画紹介(文字起こし全文掲載)
今日ご紹介する動画は、「アドラー心理学ライフスタイル診断であがり症を克服する」です。
(※2020年5月22日投稿動画)
ライフスタイルとは
今日は、あがり症の方にお勧めの、私が一番ベースにしているものとして、ライフスタイル診断についての解説をしていきたいと思います。
ライフスタイル診断というのは、アドラー心理学という心理学のもので、人の生き方のパターンを探るもの。
一言でいえば、そういうものなんですけども、そのパターンを探っていくことで、あがり症の方が、自分のうすうす知っているようでいて知らない、自分の本質的な根幹の部分を理解し、生き方を改善することであがり症も改善していく。
そういうものですね。
じゃあ、ライフスタイル診断って、なんであるかというと、一般的な意味ではライフスタイルとは生活様式です。
インテリアとか、食生活とか、自分の趣味、そういったものを言うわけなんですけども、アドラー心理学では人の生き方のパターンを意味し、人によってそれぞれ違うと思うんですけど、同じ出来事があったとしても、それに対してどう見て、どう対応するかは人それぞれ違う。
例えばですけども、自分にとって難しいチャレンジ。
例えば跳び箱を七段飛ぶときに、A君、B君、C君。
私がC君だとして、A君にとっても、B君にとっても、C君である私にとっても、七段って、ちょっとハードル高いんです。
“じゃあ、これから体育の時間で、七段飛んでもらいます。よろしくお願いします” っていうときに、A君は、“ああ、自分にできるかな。大丈夫かな。不安だな”っていう風に考えるかもしれない。
でも、B君は、“おお、やってやろうじゃないか” という風に感じるかもしれない。
C君、私。 “ああ、お腹痛くなってきた。ちょっと、先生すいません” っていう感じになるかもしれない。
つまり、同じ跳び箱七段でも、それぞれの見方が違えば、それぞれの行動とか、感情とか、思考とか、色々なことが違ってくるわけですね。
だから、これがどういう風に形成されるかというと、アドラー心理学はアルフレッド・アドラーという方、1870年に生まれて1937年に亡くなった方が作った心理学なんですけど、約100年くらい前にアドラーが言っていることとしては、だいたい人のライフスタイルは4,5歳くらいまでに決まってしまうと言っています。
現代アドラー心理学では、約10歳くらいまでに人のライフスタイルの型は決まるっていう風に言っています。
私自身これまで、200人、300人くらいの方の人生を聞いてきて、あがり症だけじゃなくやってきましたけども、実感としては、やっぱりアドラーの言う通り、4,5歳くらいで、本当に驚くほどにその人の特徴的なパターンは出ています。
4,5歳くらいまでに。
ある方はね、思わず二人で笑っちゃったことがあったんですけど、一歳くらいのね、トイレトレーニングをしている時の自分のあり方は今と全く同じですねって言った瞬間に、もう大笑いしたことがあったんですけど、本当にその人の生き方のパターンは、本人も知らずして人生で繰り返されています。
例えば、さっき言ったように、挑戦する人の場合は、色々な場面でやっぱり挑戦したくなったりするかもしれない。
あるいは、自分が失敗するんじゃないかっていう風な感覚を覚えてる人は、例えば幼稚園にあがっている時におしっこをもらしちゃった記憶だったりとか、内容は都度変わっているんだけれども、失敗がテーマであったりする。
ある事例
ある人は、こんなことがありました。
小さい頃にお神輿に弟を乗せて、友達と一緒に、わっしょいわっしょいってやって遊んでいた記憶で、なんかしんどくなっちゃって、ああって感じで力抜いちゃったらしいんですよ。
そしたら何が起こったかっていうと、お神輿が斜めになっちゃって、弟が座ってたんだけど、ズズズズズって感じで落ちてった。
そしたら、そのまま、壁かなんかにぶつかって、釘がぶすって刺さって流血大騒動っていうことがあった。
一体どういう相談で来られたかっていうと、あがり症の方じゃないんですけども、鬱的な悩みだったんですね。
とにかくしんどいって感じで。
鬱の方って、重い方って、もう会った瞬間に分かるくらいなんですけど、もうドーンって、顔に斜線ぐらい入っているような、“とにかく、言葉が発せられないほど、つらいんです。私は・・・” みたいな感じだったんですね。
で、色々話聞いていったら、本当に一生懸命頑張っている方で、どれだけ頑張っても自分のことをOKできないんですよ。
何を言いたいかっていうと、その人は、小さいころ、4,5歳くらいの時に、弟を乗せて大けがさせちゃったっていう、罪悪感を原点に抱えていました。
申し訳なさ。
その罪悪感を、人は抱えたら、あらゆる人が罪悪感を抱えたら、何をするかっていうと、自分だったら何します?
人によっては、ごめんっていうでしょう。
でも、ごめんじゃ済まないっていうときに何をするか。
何か、償うような、贖罪的な行動が必要になってくる。
犯罪者もそうですよね。
ある意味、刑務所に入れられて懲役受けるとかあるかもしれないけども、罪悪感を抱えたままに人は居続けるのって、あまりにもしんどいんですよ。
つまり、その方っていうのは、罪悪感を埋めるかのように、人から頼まれたことは全部イエスで、必死に、全力を尽くしていました。
つまり、あの時力を抜いて手を離した自分を、もう絶対繰り返しちゃならないっていうことで、何頼まれても、誰かの為に背負っているときはもう二度と離さないって感じで、あらゆる仕事でもなんでも、すごい信頼されていた一方で、全て力を尽くすので、もう疲弊してしまっていたんですね。
そういう感じの方もいました。
こういう風に、その人の生き方のパターンっていうのは、人生でずっと続いていくことがある。
あがり症のライフスタイル
じゃあ、あがり症の方はというと、あがり症の方でも100人いれば100人、このライフスタイルっていうのは違うわけなんですけども、もしかしたら、あがり症の方なりのライフスタイル、生き方のパターンがあるということで、ちょっと解説していきます。
ライフスタイルというのは、その人の信念の体系をシンプルに言ったものです。
大きく言うと、この三つのものですね。
自分に対しての、ものの見方。
そして、他者、自分以外の人へのものの見方。
そして、この世界への、人生、運命へのものの見方。
人によって全然違うんで、あがり症の方でも色々なパターンがあるんですけども、何が言いたいかっていうと、その人のものの眼鏡ってことですね。
眼鏡っていうのは度が入ってるんで、現実を違った風に解釈するわけですよ。
サングラスをかけている人は、この世界をグレーな世界だって取るかもしれないし、黄色い眼鏡をかけている人は、なんてイエローな世界なんだろうって考えるかもしれない。
度の厚い牛乳瓶の眼鏡をしている人は、世界は全員美人だらけだ、世界は全部ブサイクな男だらけだって、人それぞれ全然違うわけなんですけど、あがり症の方も、もしかしたらこんな風なところがあるかもしれない。
私はうまくいかない。
私は失敗してはならない、特に人前で。
私は自分の価値が下がることが怖い。
とかね。
だから、私は常に完璧であらねばならない、弱さは見せてはならない、人前では堂々としていなければならない、みたいな感じがあるかもしれない。
あるいは、うすうす自分は臆病だ、怖がりだ、人が苦手だっていうのがあるかもしれない。
人それぞれ違う。
あるいは他者に対しては、他者は私を否定する。
私が失敗すれば、他者は私を責めるに違いない。
他者の中には敵がいる。
自分を攻撃するような人がいる、と考えるかもしれない。
他者は仲間ではない感覚がもしかしたらあるかもしれない。
もちろん親友とかいるにしても。
あるいは、あがり症の方でしばしばいるのが、自分はなんでこんなに人前で緊張して、なんでこんなに苦しんで、なんでこんなにあがり症で悩んでるんだろうっていう、これ劣等的差別感っていうんですけど、人と自分は違うってことで普通に喋っている人を見ると、もう憧れちゃうんですね。
“はぁ、こいつすげ~” っていうか。
ある方は、会社の部長さん。
取締役になる寸前の方だったんですけど、新卒の社員が、自己紹介で緊張せずにすらすら喋っているのを見て、劣等感でいたたまれなくなったって言いました。
はたから見たら、新卒で何も仕事ができない、10か20そこいらの若い子。
自分は数十年の経験があって、まもなく取締役になろうかという、ある意味、仕事のプロ。
どう考えても、客観的に見たらそんなことで劣等感を感じる必要はないのに、その方はスラスラ喋っている人に対しては劣等感が半端なかったんですね。
他者は私とは住む世界が違う。
そして、世界は危険だ。
失敗したらこの世界にはいられない、この会社にはいられない。
失敗したら、他者は私を否定するに違いない。
そして、この世界は弱肉強食で、弱いものはやられてしまう本当に厳しい世界。
みたいな感じで、この眼鏡をかけていたら、ちょっとした自分のミスや人前であがるのは、その人にとっては生きる危機なんですよね。
生きていくための危機。
この眼鏡をかけていない人、例えば、私はうまくいかないこともあるけど、けど何とかなるとか。
私は失敗することもあるし、しょうがないなとか。
自分のダメなところはダメでしょうがないし、多少はなんだかんだ言って、いいやつもいる、嫌な奴もいるけどっていう感じで。
あがり症の方は、ゆるい眼鏡だったとしたら、人前で緊張しても大きな出来事にならないんですよ。
つまり、この世界の意味付けが全く違っている。
対症療法であがり症が治らない理由
だから、あがり症の方に私が何度も言い続けているのは、対症療法だと、こういうものの見方を持っている人が相談に来られて、じゃあ魔法の薬あります、精神科の最近発売された、“あがらなくなるんデスン” っていう薬を提供して、ポーンとあがり症治りましたっていうときに何が起こるかっていうと、この世界観は何ら変わってないんですよ。
ところが、この世界観を持って人と関わった時に、あがり症がなくなったら何が起こるかっていうと、この自分と他者との間に、これを整合づける何かが必要になってくる。
それは人によっては、あがり症じゃなくて赤面症になるかもしれないし、パニック障害になるかもしれないし、対人恐怖になるかもしれない。
分からないんですけど、あがり症が治っても、対人恐怖が治っても、次の何かを見つけてくるんですね。
だから、あがり症に悩む方っていうのは、20年30年かかっても、こんなにも治らない人が多いんですよ。
対症療法に答えはないって私は思ってるんです。
この根幹的なライフスタイルを、生き方を変えていく。
他者を仲間だと思えば、人前で失敗したとしても、それでも皆は俺のことを応援してくれているとか、誰も否定しないとか、大丈夫だよって言ってくれる。
ああ、俺はこの会社にいてもいいんだって思えるっていう風になったら、あがってしまった出来事がかつてのそれとは違ってくるんですね。
根本的な話を言うとね、ここを変えていくのが、あがり症の根幹なんですね。
ライフスタイルっていうと、理論的にいうとこれだけの説明では一部に過ぎないんで、本当にライフスタイルは、すごい広い概念で、深い概念なんですけども、あがり症の方にとっては、一部のものの見方を切り取って、今日は解説させていただきました。
じゃあ、今日はこんな感じで終わりたいと思います。
どうもありがとうございました。
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