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あがり症の克服はゴールではなく、そこから本当の人生の物語が始まる

予期不安にもがく人々

朝礼当番があるとします。
1、2ヵ月に一回程度回ってきます。
何か喋らなければなりません。

あるいは会議の司会や報告を定期的にしなければならないとします。

多くの人が喜んでやるわけではないでしょう。

まぁ、そういったことが好きな人もいるかもしれません。

役職なり肩書を持っている人は職務としてやるでしょう。

そうでない人も、めんどくさいなぁとか、ヤダなぁとか、あるいは緊張するなぁとか思いながら当番をこなすでしょう。

こういったあがり症ではない方々の場合、大抵はその時緊張するか、あるいは前の日とか直前になって慌て始めるかもしれません。

時間にすると、それほどは長くはないでしょう。

しかし、社交不安障害(あがり症、対人恐怖症)の方は、こういった場面が想定される時は、あらかじめ緊張を準備し始めます。

数時間前やあるいは前日からかなりドキドキします。

不安と恐怖に胸が押しつぶされるようで、時に逃げ出したくなるほどに苦しくなります。

ただ、中にはその時だけでなくもっと前から悩み始める人もいます。

1週間前、2週間前、いやもっと1ヵ月前などから既に緊張し始めるのが社交不安障害(あがり症、対人恐怖症)の方の特徴なのです。

それを予期不安と言います。

緊張場面を想定してあれこれと妄想し始めるのです。

備えならば、役に立つでしょう。

だけど、社交不安障害(あがり症、対人恐怖症)の方の予期不安は大概、何ら役に立つことはありません。いやむしろ、逆効果です。

感情には目的なり意味がありますが、こと過剰な予期不安は何ら役に立ちません。

予期不安など苦しみ以外の何物でもなく、ハッキリ言って無用の長物です。

日常生活に余裕がなくなるし、不安に襲われる、笑顔が消える、瞳孔が開く。

メンタル面の生活の質が相当に落ちます。

過剰に人の目と緊張に囚われる人々

そうして次第に高まっていった極度の緊張の中、朝礼当番として本番を迎えるわけです。

あまりの苦しみに何かせずには、思わずにはいられません。

この緊張、この不安、この恐怖が何とか静まらないかと。

そうして自分の心身の状態把握に意識を向けます。

やれ、声がうわずっていないか、やれ、震えたのではないか、やれ、呼吸が浅くて息が吸えてないぞ、等々。

そして敏感なセンサーはわずかな変化も見過ごしません。

それを捉えます。過剰なまでに。

そうしてアラームを鳴らすのです。
やばい!緊急事態だ!

周りに自分が緊張しているのがバレたのではないか?
手が震えたのを見られたのではないか?

相手の目線や様子を伺います。

あぁ、私のことを変な目で見ている。
ばれてしまったか?

このままでは異常な人間と思われてしまう。
きっと軽蔑されたに違いない。

そうして惨憺たる結果でその場を立ち去ります。

惨めな敗軍の将のように。

誰しもが失敗した時は落ち込むでしょう。
あ~ぁ、やっちゃった。
恥ずかしい!といったように。

しかし、社交不安障害(あがり症、対人恐怖症)の方は、この落ち込みが半端ではありません。

恐怖場面終了後すぐに始まります。

終了後、自分の周りで何が起こっているか、何を喋っているかは、関心外です。

というか、頭にも耳にも入ってこないし、自分があがったことや失敗したこと、人にどう思われたかといったこと以外はほとんど考えられなくなります。

そうして自己フィードバックを始めます。

まるでビデオを回して振り返りするかのように。

やれ、あそこで声が震えた、〇〇さんが変な目で自分を見ていた。

ばれちゃったのではないか?

何度も何度も恐怖場面のシーンを巻き戻しては再生します。

無意識的な自動再生です。
何度となく、何度となく。

そうして、自分の失敗をあら探しをしていくのです。

益々落ち込んでいくのは火を見るより明らかです。

膨大なエネルギー消費

これらをトータルで時間にするとどれだけの長さになるのでしょう?

本番場面の前は、あらかじめ?不安に怯え、本番では極度な恐怖に陥り、終わった後は自責する。

たった数分いや、もしかしたら数十秒や数秒の恐怖場面のために何日にも渡り、苦しみ続ける。

もう大概にしませんか?

そんな人生をずっと送っていきたいですか?

とは言ってもそれができたらここまで苦しまないでしょう。

それができないから困っているのです。

社交不安障害(あがり症、対人恐怖症)の方々は、生活の質の低下と時間の無駄によっていったいどれほどの損失をもたらしていることか。

そのエネルギー消費は全くもって無益です。

ネガティブなことに注目し、ネガティブに陥り、ネガティブであり続ける。

考えれば考えるほど、悩めば悩むほど。

私は自分自身の体験から本当に痛感します。

そのエネルギーが健全な方向に向かったら、いったいどれだけのことを成すのか。どれだけ生産性のある事をするのか。

あがり症の方は本来生きるエネルギーの強い方が多いです。

そのエネルギーの強さを、最も注ぐべきではない所に注ぎ続けているだけなんです。

どうか、そのエネルギーを日の当たる所に注いでください。

陽の目を見てください。

人に傷付いた人は、人によってこそ救われる

そして、人を恐れ、人との間に壁を作ってしまったあなた、どうか人と繋がってください。

人との関わりに傷付いた対人恐怖症は、人との関わりによってこそ救われます。

人を恐れながらも人を求めるあなた、どうか恐れより求める声に従ってください。

人は孤立している限り無力です。

しょせん人は動物です。

動物は群れに所属できない時は、ある意味死を意味します。

他者と仲間でいることで、人と繋がっていることで、人はこの世界の安心・安全を手に入れることができるのです。

たった一人でいい、自分の弱さを晒し、それを否定されることなく受け入れてくれて、分かってくれる人、そんな人との繋がりをこそあきらめることなく求め続けてください。

それこそがあなたを救います。

あなたに勇気と希望を与えます。

人は一人では生きられないのです。

そうして、分かってくれる誰かとのつながりによって、この広い世界に再び立ち、前に向かって歩き始めます。

かつて、まるで砂漠に水を撒くかのように注ぎ続けたあなたの生きるエネルギーを、徐々に健全な肥沃な土地に注いでいった時、あなたの未開の広大無限な世界にきっと何かが起こるに違いありません。

あがり症の克服者が克服すると、それぞれの価値観において人生で自己実現していきます。

ある意味当然です。

ホースから出る水の向け先を、砂漠から肥沃な大地へと変えたのですから。

そうして、本当の自己実現をこの世界の真っ白なキャンパスに描き始めるのです。

あがり症の克服はゴールでは決してありません。

本当の自分の物語がその時、始まりの鐘を告げるのです。

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佐藤たけはるあがり症専門カウンセラー
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