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振り子時計とココア(ショートストーリー)
午前五時。部屋の中が真空のようになり、世界の音がすべて遮断されているように錯覚する。
スプーンでかき混ぜるマグカップの中には、茶色く甘い液体がくるくる回っている。先程淹れたばかりのホットココア。まだ湯気が勢いよく立ち上っている。音の無くなった部屋の中で、その表面をぼんやりと眺める。
すると突如、静かな部屋の空気を攪拌するように、振り子時計の音が響き渡った。
はてさて、一体どこから聞こえてくるのだろう? 疑問に思う。
そもそも我が家には振り子時計というものを置いていないし、隣近所の住人からも、それらしき時計を購入したという話はきいていない。
どこからともなくひとりでに響いたその音の奇妙さに、背中をひやりとしたもので撫でられるような、気味の悪さを感じた。
けれど、その音は確かに聞こえた。それも、かなり近いところから鳴っているようだ。気は進まないが、何が原因で先ほどのような音が鳴ったのか、確かめることにした。
最初の部屋を出、廊下を進む。ひとまずリビングに向かうことにする。
いつもと何ら変わらない景色。当たり前だ。突然家具の配置が変わったり、見知らぬものが増えているなど、あるはずがない。
はずがない、のだが。
それはリビングにあった。立派なアンティークの振り子時計。こんなものを購入した記憶は一切ない。それなのに、まるでこれまでずっとそこに存在していましたよ、と言わんばかりの、違和感のなさ。
もしかしたら、自分の記憶の方がおかしくなっていて、例えば部分的に記憶が欠落してしまっているとかで、この振り子時計のことを忘れてしまっているのだとしたら。
いや、そんなことあるだろうか。何度も自問する。
何かを思い出せる確証も、その兆しもないけれど、とりあえずは思考してみる。そのうち正解ではなくても、何かしらの答えにはたどり着けるかもしれない。
手に持ったままのマグカップ。スプーンで再び中身をかき混ぜる。ちりちりと、金属が陶器と擦れるような音がする。
ふと、違和感に気づく。違和感の正体は、振り子時計から聞こえる音だった。何度もぎちぎちと鳴る音。歯車がかみ合う音。ゼンマイが巻かれるような音。
この振り子時計はゼンマイ式のもののようだ。人の手でゼンマイを巻かなければいけないはずのそれが、ひとりでにゼンマイを巻いているという事になるが。
そこまで考えて、ふと、手元を見る。マグカップ。揺れるココア。
待てよ、これって。
もう片方の手で、スプーンを動かす。またココアを混ぜる。すると。
ぎちぎちぎち。ぎちぎちぎち。
再びゼンマイの巻かれる音。ココアを混ぜるたびに。
どういう仕組みか、ココアを混ぜるとこの振り子時計のゼンマイが巻かれるようだ。ココアを混ぜると、時計の動力になるらしい。
さらに調べてみると、ココアを時計回りに混ぜると、時計が普通通りの動きを見せ、反時計回りに混ぜると、時計が逆向きに回る。驚いたことに、窓の外の景色を見ると、時計の動きに合わせて実際の時間も巻き戻っているらしい。
ちなみに干渉できる時間の長さは二十四時間。つまり、一日の範囲であれば、自由に時間を行き来できるらしい。
これはいい。時間を巻き戻しても、記憶までは巻き戻らないようで、ずっと蓄積していく。
これなら、いつまでも好きなだけ読書ができる。記憶だけが残るため、何かを作り出した状態、例えばプラモデルを組み立てたとして、その状態で時間を巻き戻すと、プラモデルも元に戻る。つまり、最初の買ったままの状態になるという事だ。それだけ注意していれば、それなりに楽しく時間を過ごすことができそうだ。
いつまでこの空間にとどまっていようか。何があるか分からない不安感よりも、今はどんな風に時間を使うかを考えるほうがいい。
ココアの湯気がふわふわと天井に向かって昇っていく。永遠に繰り返すことのできるこの空間の長いながい時間に比べれば、そのゆったりとした速度もほんの些細なものにしか感じない。
さっそく本棚から、まだ読んでいなかった本を一冊取り出す。
一人時間はまだ始まったばかり。