「#恥ずかしいポエム付きコンデレ」というタグ
ごく短い間ではあったし相当マニアックな動向だが、ツイッターで「#恥ずかしいポエム付きコンデレ」というタグを付けて自分のコンデレ(ミニ四駆のドレスアップを競う競技)作品をアップするという動きがあった。このタグ最初は誰が考えたのだろうか…。自分も便乗してミニ四駆にオリジナルの詩(まぎれもなくポエム)を添えてツイッターに投稿した。この記事にその投稿のまとめとしてより詳しく書いた。ポエムはミニ四駆と言えばまさにこのミニ四駆というミニ四駆の皇帝、永遠の定番(?)「エンペラー」に添えて、詩のタイトルも「エンペラー -Emperor-」とした。
1.詩(ポエム)
詩というのは結構日常的に湧き出てきて、詩人の様に私はよく詩をiPadのメモ帳に打ち込んでいる。地元の俳句会で俳句を読んで新聞に記載されていたりもした。文章は不思議と湧水のように湧き出てくるので得意分野として今こうやってnoteの執筆もやっている訳だが、決して人より多くの本を読んできた訳ではない。本のインプットは人並みだと思う。しかし誰だってあると思うのだ。自然に出てくる感受性をぶつけるのに「書く」ということが必要なときが。日記を書いたりするのは誰にも出てくるものの捌け口として必要なことなのだ。日々のストレスも解消される。ミニ四駆がそんな文章の捌け口になろうとは誰も想像がつかなくて、面白い。
2.キット -旧パーツ復刻の嬉しみ-
復刻されたミニ四駆グレードアップパーツセット《クラシック》は心に響く。今風に言うと「エモい。」当時のデザインそのままに生で蘇る、パーツ達…ときめきだ。何が良い?ってレトロさである。レトロは良い。最新式も良いが、レトロというものは時代を直に物語る。一方最新式の方は過去を踏襲していて間接的に物語ってくる。小生、昭和レトロなものが大好きだ。それでもそれは当時は最新式だったものなのである。ミニ四駆のパーツは年数が経過しても色褪せない。むしろ時を重ねるにつれて価値や魅力が増していく…ミニ四駆って不思議だ。当時のレーサーミニ四駆をもっと沢山復刻して欲しい。タミヤさんお願いします。
3.ピカピカのマシン
ミニ四駆グレードアップパーツセット《クラシック》Vol.3に入っているエンペラーのゴールドメッキボディを使用。自分の中ではメッキボディと言えば、小学生の頃、コロコロコミックの応募者全員サービスで手に入れたスピンアックスのブラックメッキボディ。そのボディをのせたマシンで初めてレースに出た。光って目立つので他のレーサーに見られて羨ましがられていた記憶が…。「いや、別に自慢したい訳では無い。」と思ったのも覚えている。そのときの自分のマシンは漫画「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」の劇中に出てくるスピンアックスを再現して、フロントのローラー取り付け位置をニッパーで切り取っていた。レーサー達が位置に着く、レディ・ゴーの合図がかかってマシンを手からはなす、そしてカーブに差し掛かったとき、ローラーが無いのでコースに引っかかってマシンが止まってしまった…残念なことにリタイヤとなった。子供の頃は何の為にローラーが付いているのか正しく理解していなかったようだ。しかしドレスアップに「そこまでしなくてもいいだろう」という事を子供の頃からやっていたという事だ。見た目にこだわって走りに悪い影響を及ぼすのはコンデレーサーあるあるではなかろうか。おそらく、こんなことを子供の頃から繰り返して大人になった今でもやっているのが腕っぷしのレーサーというものであろう。
ミニ四駆懐古主義、最高のシャーシ!復刻ありがとう!
白いローラー!スキ!
4.ポエムでドレスアップ
今回、出来るだけ時間をかけないでしかも誰でも作ることができることを目標にし、「塗装の工程は無し」である。デカールやポエムの書かれたステッカーを貼り付けるだけで、これならお子さんでもできるだろうかと考えながら、完成までの作業工程がシンプルになるように工夫した。自分は子供相手となるとかえって妥協できない性分だ。子供の得た感動というものは精神構造のベースになり、生涯記憶に残るものになるからという理屈がその理由である。子供の相手は楽しく抜かりなく。遊んでやる時ですら気が抜けない性格(大人からしたら本当にめんどくさい人間である)だ。将来この社会の未来を担うことになる子供に託せる本気のホビーを丹精込めて作り込む…。もう趣味なのか生業なのかよく分からない。「趣味を仕事とする」などと言うと笑われそうなのでここまでにしておこう。趣味と仕事は区別するものだ。しかしその社会の風潮にはイマイチ馴染めない気質であることは間違いない。全く困ったものだ。
5.マシンの完成写真
完成写真を見てください。ポエムを纏う黄金のエンペラー!
6.ラッピング(パッケージ製作)
オリジナルのミニ四駆を作ったら、そのミニ四駆が市販されているかの様に、ボックスアートや箱のデザインまで作ってパッケージングしてしまう製作者の方を見かける。知る限りでは製作者の方々はミニ四レーサーという枠に収まらないほどクリエイティブだ。そんな方達に対抗して考えたのが作品のラッピングである。梱包材は近くの文房具屋さんで、クリヤーのボックスはネット通販で手配した。パッケージになる部分は厚紙やマスキングテープ、ポエムを印刷した写真用紙等で作った。ポエムをレイアウトしたりデザインすること、自由にパッケージングすることが楽しい、自分の中では新たなる発見だ。「完成品ミニ四駆好評発売中」と言わんばかりの出来栄えに「いやはや、タミヤさんこういう風に完成品ミニ四駆を売るのもありなのでは?」(この記事を書いている間にビギナーズミニ四駆なる商品が出た模様)と思ってしまった。まさに素敵なプレゼントのラッピングだ。私がクリエイティブになる事が皆様へのプレゼントです。本当にありがとうございます。
7.最後に… -現実逃避のエネルギー-
私は現実逃避の力は逆手に取れば莫大な行動力を産むと考えている。このノートだって本当にやりたい事があるのを後回しにして書いているのだ。そうしたら執筆が進む進む。ミニ四駆の製作の方もたしか何かをほったらかしてやっていたような気がする。「ダラシがない人間」だと思う。「自分がやると決めたこと」が幾つも溜まっている。途中でやめてほったらかしているプロジェクトが溜まりすぎて情報量過多である…。そろそろどれかに手をつけて続きをやらなければならないと思っている。プラモデル、ミニ四駆、イラスト、漫画を描く…色々ある。いくつもある中のどれかから逃げ、別の事をやる事でエネルギーを得ているという訳だ。また新しいことを思いつきプロジェクトに追加するかもしれないし気まぐれな事である。「命名:現実逃避ロータリーシステム」である。と、いう訳で結局また逃げてどれかに取り掛かろうと思う。次の現実逃避も記事になるだろう。つまり、現実逃避は現実逃避ではない。れっきとしたアクションだ。それでは現実逃避グッドバイ(現実逃避とサヨナラ)である。よかったら次回も私が書く記事を楽しみにお願いします。現実逃避はチカラだ!ありがとうございました。アディオス!