寂しさを楽しむ2
以前もこのテーマで書いています。↓
今日は第二弾です。
以前は飲み会に参加しなかった時の月曜日の寂しさを書きました。
現代人ではどんな時寂しく思うのでしょうか?
昔の実体験から言える事
今思い返せば、私はひとり身の時はよく夜が寂しくなり、眠さの限界が来るまでは何かしら暇つぶしをしていましたし、人肌恋しい寒い季節になれば人のぬくもりが恋しくなり、男同士でくっつくのも氣持ち悪かったので、まだガラケーの走りの時のスタービーチという出会い系をやっていました。連絡が返って来るのはまれですが、投稿している女子に片っ端からメール送っていました。黒歴史です。30代を超えてからの独り身の時も、女性を求めてマッチングアプリをやっていて課金していた時期もありました。私の場合は寂しいと女性を求めていました。結婚してから思うのは、友達を大事にしておけばよかったなあと思っています。一つの結論を最初に言うとしたら、今寂しい人は友達を本当に大事にしてくださいと言いたいです。
現代人の寂しさ
話を戻して現代人が寂しく思う時ですが、SNSがごろごろとあるので、赤い通知である程度寂しさは埋められるのではないでしょうか。
Facebook、ツイッターは名前を変えてX。インスタ、ティックトック、他にもまだまだ無数に暇つぶしはあるのでしょう。今ではゲームもオンラインで会話やチャットしながらできるんですよね?
寂しくなんてなさそうですが、まあまあ、現代でも寂しい夜も寂しい時もおそらく誰にでもあり、1人なら無限に充実したエンタメのやりたい放題ですが、粗悪なドーパミンを取り過ぎたあとは喪失感も半端じゃなさそうなので氣をつけてください。友達大事にしながら、やりたい事全部やりきってほしいです。
パートナーが居ても、慣れてしまってもうラブラブでない人は一緒に居ながらお互いスマホを見てたり、一緒に居ながらも好きな事してられる関係になってしまいがちですよね。それは全然悪いとは思いません。
一緒に居て無言でも氣まずくない関係って本物だと思いますし、空気感っていうんですかね、無言でただ一緒に居て別々の事していても落ち着く人が生涯のパートナーになるような氣がします。
さばさばしているけど仲がいいみたいな家族もそうですよね。かと言えば、一緒に居てもぽっかり穴が開いたように孤独感を感じる関係もあると思っています。
赤い通知の魔力
現代人のようにスマホやPC、TVがあれば寂しさを埋められるとはいえ、赤い通知ってかなり魔力で、赤い通知が欲しい為に、なにか映えるものを探して日々動いたり、また、誰かが投稿した映えるものを真似したり、映える所へ行ってみたり、自分が本当に行きたい所ではなく、「映える」を最優先してしまい、人から見て私は充実していると見せたいが為の行動になっていませんでしょうか?かくゆう私も、noteを書き始めて、赤い通知が嬉しくてうれしくて人からいい記事だと思われたくて、スキボタン押して欲しくて、本来の目的を見失いそうになっていました。
私の場合、純粋に人の為になりたいと思い、始めた時の本来の氣持ちのままワクワクして行動できていればいいのですが、それが、お金を求めたり、ただ自分がスキが嬉しいと知ってしまったがゆえに、情でもらうスキでも取りにいったり、本来の目的以外が第一になって事務的になってしまった時の自分のむなしさや寂しさの経験を考えてみると、赤い通知は確かに嬉しいですが、それが人の為になっているとわかった時や、本当に読んで良かったな~と言ってもらったり思ってもらえた。または何か動き出すきっかけになってもらえたり、やりたい事に向けてのモチベーションが上がる、持続するなどの効果を感じてもらえた時、自分の存在意義が出来て、価値が上がって、本当に嬉しくなる。情ではない心の底から読んで良かったー、楽しかったー、わかるわかるーみたく思ってもらえて押してもらえたスキボタンが私は嬉しくて、それが欲しくて無料で情報を提供し続けようと思ったんだと思います。だからなのか、私はインスタなどのピクチャーアートで人を喜ばすのが苦手で、Xも見る専門情報収集用で、長々と文章にして人に勇氣や元氣を提供したくてnoteで文章を書きだしたんだと思います。
※ちなみにお金を取りに行くのはとてつもなく素晴らしくて良いことですが、私の場合がそのレベルに達していない為、有料記事にしようとするとおかしくなってしまうだけで、皆さまにあてはまるわけではないので悪しからず認識ください。
私は、本でもネットでも活字が好きで、いろんなものを読んだ事で知識がついたり、前向きになれたり、一生ものの氣付きを得られたので、同じような効果をたくさんの人にわけるにはどうすればいいかと日々考え、思い行動しています。
インスタはノアの方舟か
インスタの投稿でどこどこに行ってきました、イベントがあってめちゃくちゃ楽しかった~みたいな投稿で、見たら私も行きたかったけど行けなかったって、誰かの投稿で寂しくなった経験ってないですか?自分が投稿したことで誰かに寂しい思いをさせてしまうことってないですか?もしそうだとしたら、全員が乗れるノアの方舟ではなさそうですよね。その時に、みんなを救えるノアの方舟って、SNSにはなかなかないのかなって思ってしまったんです。アプリを開いた時に何かの投稿を見てすごい寂しい思いをしてしまったら、その投稿って、万人の為にならずその人の自己満、見た人が寂しくなって、投稿した人は赤い通知で氣持ちよくなっている。noteはそうでないと信じて今書いていますが、一応SNSなので慎重に考えていこう思います。
また、投稿したはいいけど、足跡がついているのにイイねがつかないのも寂しくなりそうです。寂しくないっていう人も多そうですし、わざわざ誰が見に来たかを確認する行為もネチッこいといわれたりします。誰もが一度は氣にして、氣にしない方がいいやって思ったら氣にしないで、かといってやっぱり氣になったり、そのアプリのその機能がある限りはずっと氣にしたりしなかったりします。
お店をやっていたり、イベントやらその他色々サービスの提供を生業としている方や、ダンスや歌のミュージックビデオで人々を勇氣づけたり笑ってしまう動画を作って元氣づけたり、自分の表現するアートがインスタやYouTubeで提供できる方にはもちろん有効で、どんどん使ってほしいと思います。私は個人のサラリーマンで動画や写真ではサービスの提供が出来ないと思ったために、見るのもやるのも辞めているだけで私個人の意見は絶対鵜呑みにしないでくださいね。
LINEの場合
グループLINEの既読無視しかり。現代人、いちいち氣にしてられない、氣にしたくない事を氣にしないように強くなっていっているとはいえ、どうしても氣になって仕方ないことを氣にして氣に病んでいる人居るんじゃないでしょうか?
そう思うとアナログの方が良かったな~って思うけど、ガラケー時代のアナログはアナログで、好きな子にメール送れば延々と「センター問い合わせ」してましたが、今ではLINEの既読機能があって読まれても無視されてるのが明らかになってしまったり、ちびスタンプで終了の空気を作られたり、便利になればなるほどいらない事氣にしなきゃいけなくって正直疲れてきます。私は、今スマホに依存していません。note初めてちょっと依存し始めました(汗)
でも、通知だけ見に行くのはちょっと寂しく楽しめないので、やはり皆様の為になる記事を書くこと、AIでは書けない人間くさい記事、現代人に忘れがちな寂しさの埋め方、私のような中卒の何者でもない男でも毎日なにかしら記事は残せると体現して、皆様のモチベをあげる記事を書いていようと意気込んでいます。
まとめ
寂しさを楽しむの第2弾を書いてみましたが、このテーマまだまだ奥が深そうです。
私は、グループLINEの既読無視、ちびスタンプすらなしがどうしても楽しむ事ができなかったので、希薄で事務的なグループは退会して、違う事で楽しむ事にしました。
これの1番寂しく思ってしまった原因は、私が暇だったと言う事です。
忙しくて好きな事に没頭していればすっと返していくら返信なくてもなんとも思わないハズです。
そしてそれ自体に意味はなく、私が勝手に勘繰る事を選んだのですね。
和を乱してしまったかもしれませんが、私の考える和は、温故知新、古き良き文化の呼び起こしと現代の便利さの融合にあると考えておりますし、グループを抜けたところで、皆さんとはもっと深い所でつながっていますから、LINEが消えたところで何も心配しておりません。
毎日を氣分よく、ネガティヴに捉えがちな事も楽しむように考察する目的で寂しさを楽しむ記事を書いてみました。本日もお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
仲田武生