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サンセットシンドローム

 前々からではあるのですが、母の夕方の寂しさが耐えがたいものになっているらしく、こらえきれずに電話がかかってくるようになりました。

 調べると、これは「サンセットシンドローム」というらしいですね。

 介護施設でも、認知症の入居者などが、家に帰ると言い出すそうです。
 僕の母の場合、さすがに現実と、想像でつくりあげた夢の世界の区別はついているようですが、母が思い描いているのは、僕が小さいころに住んでいた団地の賑わいです。

 その後、団地からは引っ越して、別なところで12年ぐらいは住んでいたのですが、そこは人間関係が薄く、僕や弟も成長して、あまり家にいなかったりしたので、記憶から抜け落ちているようで、話をしてもピンと来ていないようです。

 いつも戻りたいと言っているのは、父と最後まで住んでいた、ターミナル駅のそばにあって交通至便なエリアですが、そこではそれこそ、人間関係は希薄であったはずで、マンションの自治会などは、父が担っており、母はそこでの人間関係はなかった。

 であればこそ、父が亡くなった直後から、引っ越したいと言ってきかなかったわけで、そこでの人間関係は、父だけであって、戻るのは夕方に買い物に出かけても誰かしらと出合う、団地なんですよね。

 理想の団地の夕方との対比で、今の寂寥が際立つようです。

 夢と現実の区別はついているとはいいましたが、頭の中では良いように記憶が組み立てられ、純化した理想像が実は心のコアにあり、青い鳥になって、現実と折り合うのを妨げている、今はそのように感じています。

 理想像とは、団地の賑わいの中に住んでいて、買い物は徒歩圏、駅が近くて文化施設では楽しいイベントがあり、家に帰っても人を感じられる安心感がある、自由と安心に包まれた世界といったところでしょうか。

 当然ながら、団地は40年前の姿で、今や高齢化により賑わいは昔日のものであり、前に住んでいた場所に戻っても、人間関係があるわけでもなく、文化施設のイベントも、家に帰れば寂しさ倍増で、おそらくそんなことで癒されはしない、これが現実なんだと思いますし、そもそもこうした好条件をパッケージした場所なんてないわけです。

 とはいえ、そんなことを話しても、過去の経験則から怒り出すに決まっています。

 非常に面倒なんですが、こうした思いがある以上は、簡単には心を解きほぐすことができないわけで、一度で決めるとか、ここしか選択肢はないでしょとか、即断させるのは無理で、少しずつ、サ高住を受け入れてもらうしかない。

 寂しさが根底にある以上、その寂しさを和らげるには、人の中にいるしかなく、母の都合の良い家族とか知人なんているわけがないので、せめて、こうした高齢者の対応に長けた、施設のスタッフにお任せするしかない、満点は無理でも、75点を受け入れてもらうため、押しては引いてを重ね、年内、できれば3月までには、この母の住まい問題、決着させたいところです。

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