今を中心に生きる
昨日までインターネットを使って精神保健福祉改革を訴える活動を続けようとしていたが、一切辞めることにした。日本の桎梏とも言える重大な人権問題だが、自分がインターネットを使ってあれこれやっても非力すぎてどうにもならない。現厚生労働大臣武見敬三氏の父親の元日本医師会会長故武見太郎氏が精神科病院を牧畜業者と発言したこともあり、国策として一種の隔離収容政策が行われていると見て間違いないと思うが、これ以上はそのことに対して言及しない。精神医療の人権問題について活動している活動家や団体に精神保健福祉改革を委ねることにして、自分は今興味や関心のあることに意識を集中することを決めた。
長い間、仕方なく福祉就労の労働環境下で働くしかなかったし、そこは望んだレベルの仕事や作業の全く出来ない、低賃金の内職工房的な場所だったので、数年前に療養のためにそこを退職したのは、改めて考えると自分にとっては嬉しい誤算だった。少ない賃金を稼ぎに意にそぐわない作業を延々とやり続けるのはハッキリ言って苦痛でしかなかった。
実際のところ、やりたいレベルの仕事は最低でも通ったことのある短大のファッションデザイン科レベルであって、内心ではそれ以下の仕事はやりたくなかった。自分の程度を抑え込んで働くのは苦痛であり、屈辱的だ。
と言いながらも、今はそこから開放されたので、病院デイケアに通いながら、創作活動に性を出している。水彩画教室に通って水彩画や鉛筆画に挑戦したり、スマホとコンデジで写真を撮ったり、迷っているのだが大人の学び直しとして数学をやろうと考えたりして、自主的に行動している。
話を戻すと、精神保健福祉に関する人権運動を辞めたのも、自分の信条とする禅の教えの影響が大きい。今日や今という時間に意識を集中する禅の教えは、余計な悩みや迷いを薄くしてくれる。
自分の30年近くに渡る精神保健福祉にまつわる人生を思い出すと、あまりに非道に感じて怒りがこみ上げるし、三十年頑張り続けて何にも積み上がらなかったという徒労感が大きい。
だからということで、禅的思考というか今を中心に考え、次に向かって努力を重ねるという意識を重視することに決めたのだ。
実際、スッパリと精神保健福祉改革の人権運動は辞めてしまい、ネットで見つけた人権NPO2つの賛助会員となって、活動を委託することにした。
人生の時間は短い。自分ももう五十代なかばである。変わるか分からない社会問題にまで意識を向けていては、あっという間に人生が終わる。
これからは綺麗サッパリ昔のことは意識しないようにして、創作活動やもしかしたら数学の大人の学び直しをしながら人生を送る予定にしている。本当に自分の人生の機会を奪われ、時間を奪われ、自己実現?の機会も奪われた。精神保健福祉を恨み過ぎだと思われそうだが、あの酷い抑圧状況は二度と味わいたくない。まだ、厚生労働省は自分たちの都合のいいように患者の主体性を奪い続けているようだが。
今後の人生がどうなるかは不明ではあるが、ひとまず創作活動を続けながら、作品を介して人とのコミュニケーションを図ってみたいのだ。これには心の病の人も一般人も変わりなく含まれる。秋までに地元の絵画コンテストと写真コンテストが同時に開かれる。それに応募する予定なので、調子を整えて絵画制作と写真撮影を頑張りたい。
やっぱり今だよなー、と思う今日の自分である。
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