武士は喰わねど高楊枝
話は少し以前の投稿に戻る。ある晩に前日に読んでいたホスピス医の先生の書いた「もし人生があと一年だとしたら」というような内容の自己啓発本とフォレスト出版の台湾人の著者が書いたEQに関した本の内容を思い出しながら、内省していた。要するに過去の自分や今の自分、将来的な自分のあり方を想起しながら自分の気持ちを確かめてみたのだ。
そうすると「やりたいことをやれずには死んでも死に切れない」という気持ちが湧き上がり、アラフィフで人生を黄昏れるどころではなく、徐々にやる気が湧いてきたのだった。つまりは将来への希望というか目標も湧いてきたし、それを実現するためには今という瞬間を充実させるように行動しないといけない。それから行動主義というか、考える前にまず行動という性格に変わってきた。
実践している仏教の禅の教えでは過去も未来も考えずに今を充実させることを第一に考えるのだが、キリスト教徒のホスピス医の先生の本の内容にも一理あり、人生を通観してみることもたまには有用だと感じた。
といっても、日々の日課に変わりはない。noteの投稿に始めたばかりの物理と数学の勉強、それに水彩画教室に向けての水彩画と鉛筆画の制作という具合である。
しかし、漠然と続けていても仕方がない。この気持ちを切っ掛けに、もっとしっかりとした目標を持ってみることにした。理系の勉強は怒られそうだが数独やクロスワードパズルと同じ?頭の体操の高級版と考えてぼちぼちと取り組み、本題の絵画制作は水彩画教室に通い続けるのはもちろんだが、まずは市民対象の公募展に応募したり、市民ギャラリーを借りて個展を開くのが目標だ。夢ではなく目標なのは、目標だとプロセスや段取りが具体的に決まる。例えば、市民ギャラリーで個展を開くにも、場所の選定から搬入や搬出の手順、利用料金の割り出し等、やることが逆算的にハッキリする。いちばん大切なのは作品を描き貯めることで、これは日々コツコツと欠かさず描くしか無い。
noteの投稿の方は、情けない話だがしばらくアメブロに逃避していた。自分の文章でもいくらかの金銭になればいいと思ったが、そういううまい話はない。そもそも文章を読みたい人はアメブロにいなさそうだ。noteの投稿はまず良い文章を描くように習熟し、フォロワーさんとアクセス数を増やしていくことを目標にして、ある程度それが増加してきたら、記事の有料化を試してみたい。そんなところだ。
アラフィフで心の病とはいえ、病気も回復してきたし、インドア系の創作ならある程度の頑張りはでてきそうだ。
いやー、今も昔もちょっと自分にとっては不満な状態でもあるのだが、武士は喰わねど高楊枝というか臥薪嘗胆。創作活動の結果がでてくるまでとにかくがんばる。