年が明けたら。
先ほどAmazonで自分の尊敬している俳人の先生の名句集を注文したのだが、それは後においておき、まずは自分の俳句を載せる。
長谷川櫂選「ネット投句」年間賞(秋)候補作
踏み折りて気づく悲しみ花畠
山本葉舟
ということで、俳句を始めて四ヶ月程度で、尊敬する長谷川櫂先生に年間賞の候補に選んでいただいたのだが、これは選者の好みも絡み、他のアートやデザインや文学賞の選考と同じく非常に人間臭いアヤが付きまとうと言っていい。落選者の怨嗟の声も上がるが、それは運の神様のなせる技だから、諦めたほうがいいだろうと思う。
それはそうと、今日は病院から訪問看護師が2名来て、色々と話していたのだが、相談したのは先日教室を退会した水彩画を続けていくかどうかと、代わりに数学検定を目指して勉強するかどうかという話だ。体調面は先日の特定健診で検査したので、今回は特に話はなかった。
それで、看護責任者のNさんは僕が水彩画を始めた3年前からずっと作品のできを見てもらっている。彼女によれば明らかに僕の水彩画は上達というか変化が見えていて、まだ伸びしろがあるように見える。しかし、数学の方は理系の学者だった父への執着心というか拘りがあり、いつまで経っても切りのない思いが続くだろうという話だった。
僕も彼女の言うとおりだと思ったし、理系への執着は例えば学者クラスになりたいと思うくらい強いものだし、それは不可能だということも現実的にわかっている。そういう葛藤を抱え続けるより、自力で見つけ出した創作活動に生きがいを見つけるのが山本さんにとってはベストだろうと言われた。
水彩画教室を辞めて半月ほど迷い、いったんは数学書も解いてみたが(もちろんできた)、今はnoteのエッセイに俳句に絵画制作を続けているから、それに数学を加えようとすると、一つのジャンルにかけるリソースというか、労力と時間が少なくなり、必ず成果は落ちてくる。
純粋に数学を学びたいのではなく父へのややこしい執着も絡むので、ある程度の数の数学書を集めたものの、俳句とエッセイと水彩画にジャンルを絞ることにした。
これは、前にも書いた通り尊敬する俳人の正岡子規と同じジャンルであり、もちろん内心では正岡子規レベルの表現者になって死にたいという念願というか悲願があるが、これは笑いものだろう。しかし、生きる張りあいになるから、正岡子規を見習ってコツコツと創作活動に専念したい。
俳人長谷川櫂先生が元主宰をしていた俳句結社「古志」の句会が近所で開かれているので、来年を回ったら「古志」に入会するつもりでいる。
今まで水彩画のことで頭の中を一杯にして三年間を過ごしたが、今はそれも過ぎ去り、これからは俳句を第一にしながら、アートも頑張ってみようという二刀流というか三刀流という感じだ。エッセイもあるからね。
そろそろ夏バテも回復してきて、落ちた体重も再度増えてきた。しばらくは俳句のネット公募に応募しながら、水彩画と鉛筆ドローイングで絵画スタイルを模索してみたい。まあ、エッセイの出来は皆さんに読んで判断してもらえばいいが。
そういうわけで、俳句の入門書だけでなく俳人の金子兜太先生や小川軽舟先生が名句を選んだ本をそれぞれ注文したところで、熟読して感性を磨こうと思っていたりする。国語の教科書的な文章力というよりも、言葉に対する感性が物を言うと思っていたりするからね。持論だね。