人はなぜ人生について悩むのか?
昨夜からぐっすり眠れなかった。人生については何度も悩んできたのだが、昨夜は「なぜ人は人生について悩むのか?」という疑問に取り憑かれた。
書店に行くと人生やお金をどーするといった本が並んでいて、「チーズはどこに消えた?」や「金持ち父さん貧乏父さん」、「7つの習慣」に「嫌われる勇気」といったベストセラーも売れ続けている。
そうまでして、人は人生を良くしたいんだよなとか、救われたいんだよなーと思うたび、自分の人生の読書も色んなジャンルを乱読したが、人生に関する本もある程度あったような気がする。いや、まずまず多かった。
京セラ名誉会長稲盛和夫氏の「生き方」は以前読んだことがあったが、最近Kindleのセールで買ったし、高校生ぐらいの頃にコペルくんで有名な「君たちはどう生きるか」を読んで悩みを解消しようと試みた記憶がある。うーん、人生のアレコレを解決しようとする本には事欠かないし、ラジオや新聞では人生相談、巷には占いに宗教と、人生を何とかしたい人も多いのだろう。それを狙って産業化している部分もあると思うのだが、人間自体が悩む生き物なので、そのあたりは目をつむる。
で、問題は自分も10代の思春期から現在の50代なかばまで、人生訓や生き方の本や宗教書とかに手を出してはみたが、これといって人生が変わったという手応えは得られず、残ったものと言えば「方丈記の鴨長明のようなスッキリした暮らしをしよう」や「坐禅をして気持ちを楽にしよう」といった、人生の本質とはまったく違う結論に落ち着いている。
では、人はなぜ人生の回答を求めるのか?と考えてみると、ある種の理想形が頭の中にあり、そこから自分の状況が外れると不安に思うのではないか?と考えている。これは脳科学者藤井直敬先生の「予想脳」も参照した感想だが。
しかしながら、理想を無くせば無くすほど悩まなくなるかと言うとそういうこともなく、不幸なことに人間には欲求というのが分かちがたく張り付いている。これは生物学的本質だから強力な物欲や名誉欲や出世欲として現れている人もいるくらいだ。
ああ、この文章の結論をどうするか思案しているが、ひとまず人生以外のことを考えるか、人生に理想を持たないようにするのが、最良と言えないまでも人生の悩みを少なくする効果はありそうだ。脳科学的に頭の中に予想した理想と現実がズレを起こすから苦痛を感じるというのが脳科学者の藤井直敬先生の学説だから、なるべく人生のような抽象的なものに理想を持たないようにするのが最善の策に近いと言えるかもしれない。
というものの、自分も3年間ほど水彩画教室に通い、「良く続いたよなー」と思うものの、実際はそれほど上手くならない画力に少しがっかりしている。これも脳科学的に大きな期待を自分の絵画生活に描くのを止める代わりに、実際の制作はせっせとやるのが一番なのか?
個人的に「人間万事塞翁が馬」や「人生山あり谷あり」、「諸行無常」が人生のモットーなので、ある程度のガス抜きは出来ているが、彷徨するように消えたチーズを探し回る日々なのである。なかなか「三ツ矢清左衛門残日録」のような悟ったような日々は難しい。そういえば、清左衛門も悩んでいたような気がするなー。