好かれなくても、リーダーは充分務まるその理由。
私の場合、いちスタッフとしての経験も、リーダーとしての経験も持ち合わせているため…。両方の立場を想定した論理を展開できると思っています。これは実体験からの備忘録的な内容ですので、参考になれば。
まず、私のリーダー論というのは…
敬意は持たれても、親しみは不要
というモノ。別に好かれたいと思ったことは無かったですね、今でも。
それはやはり、歴史書や経営学・組織論といった書物をよく読んでいたからかもしれませんが。そうした中で心に響いたのが
リーダーたるもの、好き嫌いを悟られてはならない
ということ。それはグループ内の行動でも、同じことです。
この理由は極めてシンプルです。好き嫌いがNGなのは
フェアという信用があってこそ
最大限に評価される。業績を上げるためにも、最も必要な要素だから。
こうした考えに至ったのも、自分の性格分析をしていたから。どうみても、
カリスマ性で人を惹きつけるようなやり方はできないな
という自己判断だったから。それだけです。
実際、こうしたことがやはりそうだったな…と言う経験もあるから確信してます。実際のケースを紹介しましょう。
私がリーダーだったころ、Aさんという人がいました。これは
コレで書いた人ですね。
で、本人は力量は充分でしたが…自分のこだわりが強すぎた。そして、自分の考えや行動が充分に認められていない、不当だと思っていたようでした。だから、ついつい周囲に対して皮肉や批判的な言動・行動が見受けられた。
その程度なら気にしない程度でしたが、何かと食って掛かるケースが多かった。必然、距離を取られる。特に私がアレコレ考えを述べると、
私はそうは思いません
という形で挑戦的になることが多かった。なので、あまりそうした話をしなくなっていきました。それ位、自説に固執しすぎていたから。
その結果、Aさんは
自分は嫌われている
と思ってしまったようです。自分の力量に自信があるだけに、リーダーである自分に認められなかった理由がそのようになってしまった。だから、私が見切りをつけた”事件”すら起こった。
ある時、急に忙しくなってどうしても迅速に処理しなければいけない事態に陥った。そこで、私はAさんに…
「これこれをやってきてくれないか?」
と頼んだのですね。
しかし本人は…
「私はそうは思いません。」
と返してきて、私がやればいいと。急場だというのに論戦を挑んできて、自分が動こうとはしなかった。
私の中では、Aさんの力量自体は認めていた。本人の力量は、有事にこそ光り輝く、ありがたい存在だと。だから平時においては、むしろ力量不足な周囲を支える存在になってもらえたらな…と言うのが私の本音でした。
だから、その有事が来たので当人の力量に頼みたかった。しかし本人から理解を得られていなかったのです。この点、徹底できなかった私の力量不足でした。
で、流石に腹の立った私は…
「もういい、なら自分でやるよ。」
といって、自分が動く前提での指示を出してその場を離れた。今にして思うと、本人は自分の主張を認めてもらいたいとか、頼む!とでも言ってもらいたかったのでしょうね。でも、当時の私はそうしたことを受け止める器量がなかった。よって、そこで見切りを付けました。
ただ、今思い返しても当人の行動は完全にNGですよ。まず、上司に対する反抗は命令違反であり、業務上やってはいけないことですから。皆がいる場で従わない、という行為は
この人(リーダー)に従っていて大丈夫か
と思わせる態度ですからね。私は逆の立場だった際、相手の権威を冒す様な行動は慎んだし、後でそうした行動に気づいたら反省してます。正当化する気にも、なりません。そこでも一杯、失敗はありましたから。
それ以降、当人との距離は益々離れて…特に頼むことも無くなりました。残念なことに、陰口は聞こえてきましたが。女性ばかりの職場だからかわかりませんが、聞きたいとも思ってないのにご注進してくる人がいるんですよね。(苦笑)
で、私が転職が決まった後にAさんは力量=肩書だけみたらその任にふさわしい、という事で私の退職後に後任に据えられた。後任の相談を受けた際に…
Aさんは力量は充分でも、リーダーとしてはトラブルを起こしますよ
と忠告した。事実上反対という意志表示をしていたのですよね。もう時効だろうからバラしてしまいますが。
でも、会社側は履歴上での納得感やアピールがしたいので後任に据えてしまった。そうなるだろう、と思っていたので驚きませんでしたが。で、一年後にたまたまその職場近くに復帰した為、挨拶がてら訪れると…
Aさんはやめてしまった
と伝えられた。ヤッパリな、と思いました。
というのも、その経緯まで詳しく教えてもらったから。本人は、それまで私に受け入れられなかった自分の理想をリーダーとして実現できる!と最初張り切っていたようでした。が、自分の力量と考えに自信を持ち過ぎていたので…
自分の立場が変わることにより、見方も変わる
ことに気づけなかった。だから、周囲は当人の振る舞いを…
出世して、権力を持ち、高圧的になった
と捉えたようでした。それは私が、懸念していたこと。
私は自分のリーダーとしての立場が、周囲からはどう見られているのか?という事を経営学や組織論、歴史書の人物伝から多数の教訓を得ていた。その際にリーダーとしてあるべき姿を
公平平等、親疎を作らない
ことだと。だから、厳しい態度は誰に対しても同じにしてました。
ただ、業務上は個人の性格や力量に差や違いがある。その中で、どのように配分・配置するか。そこがリーダーの腕の見せ所であり、悩ましいところ。その過程で自分の判断が
えこひいきや好き嫌い
というご都合主義的に解釈されることも分かっていた。だから、一つの基準として
どんなに口で言っても、態度で見せても理解しようとしない
姿勢のままの人は、切り捨てることはできないので距離を置いていたのですね。
だから多めにチャンスを与えている人たちに、注意することを遠慮はしなかった。そこで手心を加えてしまうと、
やっぱり可愛いからだ
とみられかねないから。当時は上手にまとめる技量がなかったのです。(今もあるとは思えませんが。)
そういう私から見て、Aさんは私自身の表面的な振る舞いしか見抜けてない考えが感じられた。だから、破綻するとみていたんですね。Aさんは私の様に周囲を好きなように動かせる、と勘違いしていたのだから。
そもそもAさんは自分が批判的なことを言いたい放題していた時に、迎合してくれていた人たちが
スタッフという、おなじ立場
であるから、という視点がなかった。
同じ立場で批判を展開しても、対象が私という目上だから、共感が得られやすい。意見が違っていても、当人には影響は少ない。だから、聞き流すかやんわりと同意する程度にとどめていた。そういう心理に対する洞察がなかった。だから、自分の考えは正しい、とエスカレートしたのでしょう。
しかし、Aさんがリーダーとなった場合は違います。権力を手にしている訳だから、相手からすれば立場はもはや同じではない。言動や行動が同じだとしても
権力者の振る舞い
という見られ方をする。私が公平・平等に気を付けていた点を、全く見ていなかったのでしょうね…やはり。
結果、Aさんの振る舞いにスタッフが耐えきれずに反発。自分が正しい、という考えを曲げないAさん。間に入ったAさんの上司とも対立してしまい、一年で退職してしまった。そういう経緯だったと聞いています。
親しみや好感を持たれていなかった私と、親しみ程度はあったAさん。結果が全く違ったのを見ても、好かれるかどうかで務まるかは左右されない。そこに必要なのは
明確な基準と一貫性
であると思うのですよね。感情は熱意やまとまりという点では必要な要素ですが、自分の求心力のために使うのは限界があります。ハッキリとした味方を作れるので、その分かりやすさから使いたくなるものですがね。
いぢょー。