諸葛亮を軍事が苦手?の間違いを正す。
以前にも、似たようなネタを書いたと思いますが…。今回は改めて、諸葛亮の偉大さについて書いておこうと思いマス。
まず、陳寿が言うような
戦争の指揮は不得手か
という指摘は当てはまりません。私もこういう年齢になってきて、彼のおかれた状況から考えて相当優秀であることが分かるようになったから。
まず、なぜ断言できるのか?をまとめると…
① 蜀漢と魏の国力比
② 国家を預かる宰相としての優先順位
③ 制約が多くある中での”最善”とは?
この三つに集約されるからです。
①については、三国志演義においてもチラホラ出てきますが…。当時の記録上の人口を見てもかなり無理筋なことがわかるのです。そもそも、諸葛亮が描いていたであろう戦略を台無しにしたのは他ならぬ劉備。諸葛亮としては、
1 荊州と益州を保持しつつ、揚州と交州を保持する呉との連携
2 最大の敵は魏だから、呉との戦闘は絶対回避
3 蜀の人材や資源が最大のうちに魏の領土を奪取
という青写真を描いていたハズ。
それなのに、関羽がいたずらに孫権を刺激して敵に廻す。挟撃されて荊州を失う。それに激怒した劉備が呉に戦闘を挑んで大敗。その際に人材も戦力も激減させる。こういう大きなマイナス要素をすでに生み出していた。
ここが、中小企業のたたき上げの創業者が大企業に飛躍できるかどうかの分かれ目だったと言えるでしょうね。そこで古参の社員を必要以上にかばいすぎたために、
社長はヤッパリなじみの社員を優先するんだな…
と思われる愚行を冒した。今の私だと、劉備の関羽に対する弔い合戦は完全なるナンセンスとしてしか見えなくなりました。
曹操の方が、よっぽど経営者として、組織のリーダーとしての判断に徹している。やはり魏があれだけ大きくなった要因は、そこにあると言えます。
こうしたことがあるので、そもそも諸葛亮の立てていた戦略が成功する確率を下げたのはほかならぬ劉備その人なのですよね。見込みアリ、として様々な戦略を立てて蜀の制覇までは思惑通りいった諸葛亮もこれ以降は苦悩を抱えることになる。
劉備死後は、本来の戦略に立ち返る。呉と関係修復して、魏への遠征が可能な状況を作ろうとする。そこで、先手を打って司馬懿が対抗して来たりする。司馬懿は諸葛亮の戦略を読み切っていたので、以後は魏の政界における遊泳をしつつも蜀漢への対応は基本的に専守防衛です。
諸葛亮による北伐開始により、魏の西部で蜀に寝返る事態が発生。だがそこでも馬謖によるスタンドプレーによって敗退。人材不足という弱点を露呈しましたが、そもそもその原因を作ったのも劉備その人なのですよね。その位、夷陵の戦いは蜀漢の運命を大きく変えてしまう出来事だったのです。
それに対して、蜀の武将・魏延は自分が提案したリスキーな戦術を採用されないことで
臆病だ
と否定的に見ていたようですが…。これも的を得ていません。そもそも魏延の立ち位置は、軍事のみ。対する諸葛亮は国の命運を握る宰相。見ている視点が全く違います。
私もリーダーをした事があるからわかりますが、
限られた人材や資源を最大限に使いつつ
できる限りヤル気を出させて育成し
それでいて過大な目標を達成しろ
といわれてどれ程困難か…と言う事なのですから。
②の説明にもつながる、諸葛亮が置かれていた状況とは
ハイリスクな選択不可
少しの無駄も許されない
というNG項目の多い、制約の多い中での成功。要するに
ローリスク、ハイリターンを実現せよ
ということ。それが、彼のおかれていた困難な状況だったのです。
そういう事を吹っ飛ばして、不得手だったとか諸葛亮の実際に置かれていた背景を余りにも過小評価しすぎ。中国の古典であり、私のバイブルといってよい程の良書・韓非子には
元手によって成否はおのずと変わって来る
という事がハッキリと書かれています。
トップシェアの企業に二位はおろか、三位以下の企業が単独で挑めるはずがない。現実にも、ニーズを余程外すとか、市場規模そのものが縮小・衰退でもしない限りトップシェアの企業が入れ替わるという事はなかなか起きない。それが、実際の困難さを表している。それは昔であろうと、現代であろうと変わらない原則なのです。
そして最後に③の説明にもなりますが、諸葛亮の考えなければならない最善策とは
Ⅰ 蜀漢の延命(滅亡させない状態維持)
Ⅱ そのための積極策(何もしないと元手の違いからリスク増)
Ⅲ 自分がいなくなった後のリスク最小化
にまで及びます。しかし彼はそこを、キチンと行っていた。だからこそ、司馬懿が諸葛亮のことを
天下の奇才である
と評価したのです。司馬懿もオールマイティなタイプだっただけに、諸葛亮の異才ぶりをよく理解できたのでしょう。
その後能力が同程度といって差し支えない司馬懿が、魏において天下を取ってしまった。この事実は、間接的に拮抗していた諸葛亮の能力の高さを証明したと思っています。
それは司馬懿のやり方が、先読みと備え、そして相手の隙を突くという部分において共通項が数多くあるから。最後の隙を突いてくる、という点において司馬懿が戦略レベルや現場の指揮官として押しとどめた。従って諸葛亮に対する本当の理解者は、司馬懿仲達その人であったかもしれませんね…。
いぢょー。