リーダーとして、やり方は人それぞれ。
私はリーダーとして、経験があるので歴史上の人物の組織を率いる際の苦労話についても
うんうん、そうだよね(笑)
と共感できるようになっています。つまり、皆さんはどう思っているか分かりませんが実のところ
人を率いるやり方は、2000年以上たっても変わってない
のです。嘘だと思うなら、私自身がそうした人たちのやり方をそっくりそのまま真似た結末をお話ししましょう。
まず、私の性格は社交的ではありません。(苦笑)自分でも他人と濃密なコミュニケーションをとることで相手のヤル気などを引き出すタイプじゃないな、と自己分析していました。で、自分にない要素へ目を向けるよりも
過去の歴史において、自分でもやれるやり方があるはずだ
と思って、経営学の書物と共に、人物伝を読み漁っていた訳です。
結果、前回挙げたような
曹操孟徳
の様に、信賞必罰。親疎によってヤル気を出させる方法は一切取りませんでした。
なので、普段でもスタッフとはあえて一定の距離感をとる。飲み会なども、最低限にとどめ、決して積極的に参加しない。周囲からも
あの人は一人が好きだから…
といった感じでうわさされていました。実はそれも、私の狙い通りではあったのですが。
これは冗談でもなんでもなく、歴史の本からすでに得ていた人を率いる哲学の中にあったから。それが、
リーダーたるもの、孤独であることが前提
という部分。これは、本当にそうです。
なぜなら、特定の人(たち)との距離感が近いと見られたら、たとえ本当に力量・結果を評価したものであっても
親しくしてたから…
という理由付けをされる。この点、嫌というほどそういうとらえ方をする人たちを見てきています。
だからこそ、余計に誰に対しても同じで、厳しく、功績には評価し、注意すべきは、する。これを貫き続けていました。当時の私は、そういうやり方しかできない、不器用で力不足でしたからね…。(だからといって、今は違うとは言えませんが)
でも、今に至るまで全く間違ってなかったな、と確信ができるのは前回触れたような諸葛亮の
畏れられながら…
というあの一節。愛されてはいなかったでしょうが、少なくともえこひいきのない人だ、という事は理解された模様。とは言え、最後まで理解できなかった人たちは
自分(だけ)嫌われてるから…
という感情論を捨てませんでしたけど。(苦笑)
でもその人たちが気づけなかったのも、無理はないんですよね。何しろそういう人たちは
客観的な評価基準の下に、キチンと自分の評価をしてくれる
体験がなかったようなので。全部スタッフ、という名の下で曖昧にできたから。集団に隠れられたから、個人でむき出しの評価をされることが
干されてる、あげつらわれてる
と捉えていた。気づけないのは悲劇だな、と怒る気はなれませんでした。
結局私は、スタッフ一人ひとりとの距離感を縮めることで相手の感情をつかんで動かす、といういわば
劉備玄徳
のようなやり方ができるタイプではなかった。今だからこそ分かるようになりましたが、曹操が劉備を警戒し、かつできれば用いたいと思っていた理由がここでしょう。スナワチ、
自分にない能力を持ち合わせている
から。曹操らしく、才能や力量をよく見ていたのです。
結局劉備の大望という野心があったため、あくまで二人が協力して…という事は現実にはありませんでした。歴史にifがあるなら、当時戦乱になっていない安定した世であったなら…。むしろ二人は良い協力関係にあったかもしれませんね。
私の履歴として、図書館ギョーカイでの体験をお話していますが…。残念ながら、あえてぶっちゃけると
あの環境ではそこまでの意識は求められていなかった
と断言できてしまいます。
だからこそ、私の先の先、上の上を目指そうとした姿勢はかなり異質であったといえます。実際、浮いてましたからね。(笑)
それでも、今振り返っても全く間違いがなかったと言い切れるのが
その姿勢を貫いたおかげで、たった一人でも気づいてくれた人がいたから
に他ならない。
最後に自慢話として残しておくと、とある大学の図書館での契約を終え、最終日になった時のこと。よく利用していた学生の子がワザワザ私のところに来て、
ありがとうございました
といいに来た。これだけなら、ありふれたことかもしれませんね。
しかし、私が驚いたのは
その子に対し厳しい態度の時もあった
から。例えば返却期限や、ルールについても注意し、どうやって欲しいのか、どうしたらいいのかを添えて苦言も呈していたのです。
餅ロン、利用者に対して最大限に利活用できるようなサービスを提供するのが基本ですよ。そこがなければ、これは単なるノロケ話です。学生が論文や研究のしやすい道筋(つまり有益な資料や利活用の仕方のレクチャー)にまで誘導し、どうしたらいいのか。そういうところも私がしていたのですね。
そのことを、本人は感じ取ってくれていたのでしょう。そうでなければ、私個人にワザワザ、しかも最終日(それは当人にとっても卒業であったから)に言いに来たりはしないでしょう。だから、本当に涙が出るほど嬉しかった。一生の宝物となりましたしね。
この体験があったればこそ、その後いかなる状況に陥ってもそのポリシーは曲げませんでした。残念ながら私の図書館マガジンでの過去記事で、言及した様な図書館ギョーカイの環境なので…。余り意味はなかったようですが。
反面、トコトン自分の正当化に走らず、客観的な分析を貫き、自分の働き手としての想いや哲学を貫いた結果、今の結論や意見がある。何が幸いするかわからないものだな、と思うだけでナンの後悔もないですね。
唯一、残念なのはやはりOBとして
自分がいた環境がぞんざいに、ないがしろにされたまま
であること。労使双方、何をどうしたらいいのか分かってない様なので。この点は、非常に寂しいしつらいし情けない気分です。
いぢょー。