リーダーとしてみんなの利益を優先できる、その合理的な理由とは?
私の場合、リーダーとして心がけていたことがあります。それは、
全体の利益を最大化し、みんなに分配し、最後に自分が取る
というもの。それはかっこつけではなくて、これが自分のリーダーとしての合理的なやり方だったからです。今回は、その辺を歴史に絡めて説明します。
まず、なぜそういう考え方でやっていたかと言えば簡単です。
自分はカリスマ性や人望によって人は動かせない
タイプだったから。たったこれだけのことでした。
まず、自己分析しても
社交的じゃないし、ひとりでいたい
タイプ。みんなと和気あいあいとやる性格はしていなかったのです。
基本は一人でいたい方。そんなタイプが、人を率いるとなったらどうしたらいいのか?を色んな組織論や人物伝といった、書物を読み漁った。
歴史から特に納得が得られたのが、
自分の個人的な要素に頼らない
という事。それが、
公平平等、信賞必罰
であったに過ぎない。
そして、この本題にもなりますが
人と距離感のある者が、人を動かすために必要な要素
は何なのか?という事を色々読んだ結果…
利益を最大化し、みんなにまず振舞えば良い
という結論でした。
これは単純なことで、かの
豊臣秀吉
もこのやり方と言えましょう。彼の場合、
上司の利益を最大化
するだけでなく、
自分の部下の利益も最大化
していました。だからこそ、上司の受けがよく、部下も報われ感があってついてきた。最後に天下を取った際、のちの徳川幕府よりも直轄領は半分ほどと言われています。それでも天下人であったのはその
報われ感
にあったのです。
その後豊臣の天下が崩壊したのも、その報われ感が薄れたからというのは否めません。何しろ、朝鮮半島への出兵は赤字になりましたしね。その後、秀吉は死去。マイナスのまま次世代への継承となってしまったため、豊臣家に対する信頼感というモノが薄れたのはあったでしょう。
個人的には石田三成が失敗した原因として、こうした要素もあったと思います。彼個人は清廉潔白でしたし、部下は忠誠心をもって最後まで戦った。つまり上司と部下には受けが良かったといえます。それなのになぜ?というところは秀吉と違い
同僚との折り合いが下手だった
という点がある。こうした複合的な要素の結果、徳川へと天下が移ったと考えています。
その家康は、と言えば関ケ原の後自分についた外様に大盤振る舞いをしている。これこそ、私が感じていた
利益分配の最大化
にほかなりません。
私の場合、人望や距離感を縮めることで人を率いる長所はなかった。そうなると、どこで信用や信頼関係を築くか。それが、上記の原則であったわけですね。
こうしたことに合理性があるのは、要するに
皆が従って動いてくれるかどうか
がまず入り口になるから。そこが動かないと、そもそも人が動かない。その際、分かりやすい約束事や看板が必要になります。これは率いる人数が多くなれば多くなるほど、シンプルかつ普遍的なモノでなければ機能しないのです。
これは歴史的に見たら全て同じ。中国においては
漢の劉邦
にしても、功績に対し報いるという信用があったからこそ。曹操もその劉邦の姿勢を真似て、
信賞必罰
という方針で三国で最有力の立場を築いた。
ひるがえって日本でも
足利尊氏
が、こうした功績に報いるという姿勢が好感を持って迎えられ、幕府を開いた。家康も、諸大名が離反しない様に
戦後の大盤振る舞い
をすることで、その後も自分の味方をし続けるように仕向けた。こうした事例を見ているからこそ、
まず周囲にシッカリと行き渡らせること
が自分がリーダーとして高い成果を上げるための必要不可欠な要素だな、と納得できたわけです。
従ってこうしたロジックは、決して聖人君子だから行うシロモノではないんですね。私だって凡人(笑)ですから、自分の報われ感が欲しい。でも、リーダーとして責務を全うしたい、高い業績を上げたい、という野望があるなら…。どうしても皆の力を最大限に出させないといけない。その結果が、このロジックなのです。
それに、このロジックだと自分の取り分を増やすためにはどうしても
利益の最大化
と切っても切れない相関関係を持っている。だからこそ、成長と拡大が必須になる訳です。オールハッピーを目指すならこの道しかない、というのは実はみんなのためなのですよね…。
いぢょー。