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京の小部屋のスパイス談議
真夏の京都、烏丸四条を歩いていた僕は、喧騒と蒸し暑さから逃れるようにして、ふと目に入った小さなカレー屋「Chamber」のドアを押し開けた。店名は、何か閉じられた空間を連想させた。まるで時間が止まったような空気が店内に漂っている。扉が閉まると同時に、外の蝉の鳴き声や車の騒音が、まるで絵画の中に閉じ込められたかのように消えた。
中は薄暗く、木製のカウンターがひとつだけ。飾られているレゲエのポスターや、古びたスピーカーから流れる音楽が、どこか懐かしさを感じさせる。店主が静かにカウンター越しに立っていた。髭を蓄え、無地のTシャツにダボっとしたジーンズ、頭にはニットキャップをかぶっている。どことなくレゲエ風の佇まいだ。目が合うと、彼は軽く頷いた。
「カレー、一つでいいかな?」と彼が尋ねた。 「はい、それでお願いします。」と僕は答える。
カウンターに腰を下ろし、スツールの硬さを感じながら、店内を見回した。外の暑さとは対照的に、ここには静かな時間が流れていた。扇風機がゆっくりと回り、スパイスの香りが鼻をくすぐる。彼は厨房に入り、手際よくカレーを作り始めた。音楽とともに、包丁の音や鍋の中で何かが煮立つ音が微かに聞こえる。しばらくして、香りが一層強くなり、彼がカレーを持ってカウンターに戻ってきた。
「どうぞ、特製のスパイスカレーです。」と彼は静かに言った。
一口目を口に運ぶと、スパイスの豊かな風味が口の中に広がった。辛さがじわじわと体を温め、少しだけ汗が額に滲む。外の灼熱の太陽とは違った、心地よい熱だった。
「美味しいですね。」と僕は言葉を漏らす。 「ありがとう。スパイスって、面白いんだよね。京都みたいな街とよく似てる。」と彼が言う。
「京都とスパイスですか?」僕は興味を引かれた。 彼は少し笑みを浮かべ、スパイスの瓶をひとつ手に取って振って見せた。「スパイスは、混ぜ合わせることで、その土地独自の風味を作り出すんだ。京都も、古いものと新しいものが混ざり合って独自の文化を生み出しているだろう?まるで一つのカレーのように。」
「なるほど。」と僕はカレーをもう一口口に運びながら考えた。京都の街も、この一皿のカレーのように、時間と共に多様な要素が重なり合い、深みを増しているのかもしれない。
「それに、スパイスって、いつも同じ味じゃないんだ。」彼は続けた。「その日の気温や湿度、作る人の気分次第で、味が変わるんだ。京都も、訪れるたびに違う表情を見せてくれる。だから、何度来ても飽きないんだよ。」
外の暑さは相変わらず続いていたが、店内の空気はその会話とカレーの香りで満たされ、少しだけ涼しさを感じた。店主の言葉は、僕の心に静かに染み込んでいくようだった。
「また来ます。」と言い残し、僕は店を後にした。外に出ると、夏の陽射しが再び僕を迎えたが、心なしかその光は少し柔らかく感じられた。京都の街は、いつもと変わらないようで、しかしどこか違った風景を見せてくれるような気がした。