書くということ

*2021年に「文芸福岡」という雑誌に載せてもらったエッセイを公開します。


 今から十五年ほど前、新卒として働き始めた職場は業務量が多く、皆日付を越えて働くのが当たり前、土日も出社、全員消耗し切って誰かが潰れたら他も共倒れるのが明らかという状況だった。その場所で私は、ただ仕事ができない自分が悪いとかたくなに信じて毎日働いた。そこに居場所が欲しかった。

 社内で書類のやり取りを行う「社内便」というシステムがあり、それ用の封筒がいくつも棚に仕舞ってあった。その中にひと際くたくたの封筒があり(ほぼタオル地の感触だった)私はその封筒に「ベテラン」と呼び名をつけた。
 
 ある日、同僚が「あー、でもひとつで送りたいよね」と言いながら「いや、やっぱ無理か」とその封筒に書類を詰めようと試みていた。
「ベテランなら行けますよ、ベテランを信じて下さい」
 そう言って、何人かの人が輪になって書類が封筒に入るかを眺めていた。   

 書類はちゃんとベテランに収まった。ほら、ベテランを舐めないでくださいよ。楽しそうに笑っている人がいた。いつの間にやら、私のつけたあだ名が浸透し、部署の人たちがみんなその封筒を「ベテラン」と呼んでいることに私ははじめて気がついた。あの場にいた人は、そう呼び出したのが私だということも分かっていなかったと思う。

 先日、電車の中で当時の同僚のひとりと再会した。〇〇くん、覚えている?先月離婚してさー、引っ越しの手伝いに車出したんよ。ミスターマックスに家具とか買いに行ったら、向こうから△△さんが歩いてきてね、偶然ってあるんやね、何しとるん?ってめっちゃ笑ったよ。などと柔和な顔で同僚があまりいい話とも思えない近況を話始めた。俺は今宮崎県に単身赴任しているんだけど、淋しくて毎週こっちに帰ってきちゃうんだよね、片道五時間かけて。笑いながらその人は言って、それから「でもあの頃に比べたら今はほんと幸せよ」と続けた。
 電車で会話を交わしたのは十五分ぐらいのことで、私たちは軽く手を振って別れた。
 
 その場所で働いていた日から十年近い時間が過ぎた頃に、私は物を書き始めた。月に一首の短歌を作って、月に一回の歌会に出る。自分の短歌を人目に晒すのには恐怖心が強くあって歌会に向かう道中で立ち止まってしまうこともあったけど、歌会の帰り道にはいつも必ず心地よい高揚があった。新人賞を受賞した頃、割と身近な人に、
「竹中さんって商業主義なんですねー、よっぽど賞が好きなんだ」と言われたことがあった。
 最初は単純に傷ついた。自分にとって大切なものを、言葉の力を使って別の意味にすり替えられたことを卑怯だと思った。
 大切なのは、書きたいものを書いているかということだ。でも、書きたいものって何だろう。「書きたいもの」と私が思っている奥の本当に書きたいものって何だろう。

 詩も短歌も人が書くものはすべて人の息遣いがあり、味わいや発見や人の心を動かす何かが含まれている。私は、魅力のない作品に出会ったことはない。でも、表現である以上、「みんな違ってみんないい」という価値観では済まされない残酷で過酷な力がそこにあるべきだと思う。でもその「場所」だってひとつではなく、すぐそばにある世界が私の目からは全く見えないということもある。どんなに望んだって、扉が開かなければその先に行けない、そういう現実だってある。

「あなたはこの世界を再構築するのが得意なんですね、でも表現って外側から眺めるものじゃなくて、自分自身の心を差し出すものですよ」
 とある場で、そんなふうに評されたことがあった。とても印象に残っているのは、それが作品というより私自身のことを言われているようで、完全に図星だったからだ。自分は変われないだろうとも思った。この世をずっと外側から眺めているだけの屈折の置き場がなく細々と短歌や詩を書いているのに、その世界でもまた外側から眺めていては駄目だと言われる。

 自分よりずいぶん若い人の本が、本屋さんにずらっと平積になっているのを見かけると、どきっとしてしまう。羨望や嫉妬で焼き切れそうになる。コインの裏表のように、その誰かでない自分は、そうなれない自分には価値がないのだと思ってしまう。

 お風呂に入って、一晩眠ると、そういう感情は遠くに行ってしまう。翌日には早起きして家を出る。最近はペースを作るために、仕事の前に一、二時間書くことを習慣にしているからだ。コンビニでコーヒーを買って、その朝の隅っこでパソコンを立ち上げる。私は何を書きたいんだろう。そう思うと、時々「ベテラン」のことを思い出す。でもあの頃もちょっとは楽しいことがあったよなと思う。

 私にとって今一番楽しいことは、書くことの残酷に自分の体を投げ出すことだ。そして、あの時の「ベテラン」のように、現実と心のはざまにある如何ともしがたい何かをぱっと繋ぐような軽い冗談が、いつか自分を超えて遠いどこかに飛んで行きますように。そんなことを考えている。

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