負け犬たちの哲学【14歳からの哲学入門】
哲学は死んだそうだ。
僕は博士(Doctor of Philosophy, Ph.D)なので、哲学(philosophy)が死ぬのはすこし困る。遺伝学を専攻して理学博士になった僕は自分のことを科学者だと思っているし、科学は元々哲学と起源を同じくするからだ。
古代ギリシャの「最初の哲学者」と呼ばれるタレスは自然のメカニズムを解き明かそうと試みたことから、自然哲学者と呼ばれている[1]。彼は自分たちが住む世界を神話ではなく、観察に基づく思考によって説明しようとした。この試みが自然科学の始まりといっていいだろう。
そんなわけで、科学者である僕は哲学の子でもある。だが、どうやら親である哲学は死んだらしい。
近代哲学のはじまりから哲学の死までを語るポップな哲学書
「14歳からの哲学入門」[2]はそのタイトルや平易な文章から軽い印象を与える本だ。表紙には不条理ユーモアでお馴染みの漫画、ポプテピピックのポプ子とピピ美が描かれている(※1)。
だがそのポップなイメージとは裏腹にこの本は近代以降の哲学の流れをしっかり、わかりやすく説明している。デカルトを始まりとする合理主義、現実の存在に自ら意味を見出す実存主義、自分の意志を疑う構造主義、そして哲学を殺した哲学のポスト構造主義。近代哲学の始まりから終わりまでの大きな流れをしっかり噛み砕いて綴っている。
この本は著者の大変な勉強量が見え隠れする。例えばボードリヤールが資本主義社会が恒久的に続くという主張をしたという説明のために、経済学者のケインズの著書を引用している。分野を跨いでサーベイするのは中々の労力だ。それだけではない。この本の文章は平易な、言ってしまえば砕けた文体で綴られている。とにかくわかりやすいのだ。難解なことを身近な例え話やカジュアルな表現(自分の言葉)で説明するには原著の徹底的な読み込みが必要になる。そこからも著者がどれだけこの分野について勉強したかをうかがい知ることができる(※2)
そして先も述べた通り、この本は近代哲学の始まり、そして哲学の死が説明されている。ポップな見た目で軽い文体、そして哲学殺しの本。それが「14歳からの哲学入門」である。
どう哲学は死んだのか
哲学を「殺した」のは哲学である。ポスト構造主義の哲学だ。詳細は「14歳からの」を読んでもらえれば確実だけれど、大雑把に言ってしまえば、ポスト構造主義の哲学者達は「普遍的な真理」を得ることは原理的に不可能、という結論を矛盾なく説明してしまった。それにより、「普遍的な真理」を追求する学問である哲学は死んだ[2]。
哲学が死んだらどうなったか。「14歳からの」の著者は次のようにまとめている。
絶望感漂う世界観だ。これが最新の哲学の結論であり、哲学が死んだあとの世界だ。
そしてこの哲学なきあとの世界は、まさに僕たちが生きている資本主義社会のことである。著者は次のように述べている。
なぜ仕組みを破壊できないのか?それについては次のように説明している。
このシステムには、倒すべきの王様などいない。望む望まないにかかわらず、僕ら自身がシステムの一部なのだ。
悲しい結論だが、なんとなく皆心のどこかで思っていることではないだろうか。不良も反乱軍もただのファッションなんじゃないか、と。
科学者にとっての哲学
相対性理論を発表したアルベルト・アインシュタインが言ったとされる「宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲目である」という言葉は有名だ。もちろん宗教と哲学はまったく異なるのだが、アインシュタインの発言は、科学の意義を担保するものとして宗教を語っていると思われる(※3)。もしそうであれば、ここでいう宗教は、「意味の世界」を求める哲学とほぼ同じ働きを持つだろう。
哲学によって明かされる「意味の世界」の本質を理解しないかぎり、科学が求める「事実の世界」のことを完全に理解するのは極めて難しい[5]。つまり、哲学がなければ、僕たち科学者は「事実の世界」を正しく認識できず、途方に暮れてしまう。
確かにこれは、僕個人の実感でも当てはまる部分がある。例えば、博士課程で僕は微生物のゲノムを観察(解析)してどのように微生物が進化するかを説明するモデル(現実を簡略化した図式や数式など)を作ろうとしていた。
モデルを作る、というのは現実の現象を簡略化して理解しやすくすることだ。簡略化のためには、意味のある要素やパラメータを抜き出し、それ以外を捨てなくてはならない。
だが、この「意味のある要素やパラメータ」というのを決めるのはかなり恣意的になる場合があるのだ。理解したい事柄、研究の目的、これまでの知見。そんな諸々の大枠(フレーム)を踏まえてモデルを作る。
この時のフレームはそのまま哲学と言えるのかも知れない。どの要素にどんな意味や価値があるかを理解するものなのだから。
モデルを作る時だけではない。ある研究テーマを始める時から、このフレームは必要になるのだ。そして、そもそも研究活動自体をする動機だって、知的好奇心というフレームによって生成されている。
そんなわけで、価値や意味を与えるための哲学が死んだら、僕達は途方に暮れてしまうのだ。
負け犬が新しい哲学をつくる
ニートは経済社会の発展にほとんど寄与しない。
……ニートの皆さん、怒らないで下さい。決してニートを馬鹿にしたくてこんな事を言っているわけではない。「14歳からの」の著者はニートこそが、哲学が死んだあとの絶望の世界を変えられると言っているのだ。
現代は記号消費社会のお陰で、「労働には価値があり、人間は働いて当たり前」の時代だ。そんな中で、働かないという(積極的な、あるいは消極的な)選択をしたニートに対する風当たりは強い。
でも、現代社会の人々の仕事による成果のほとんどが生存や生活の向上に直接は寄与しない。ただ単に経済を回すだけの仕事だ[2]。そんな不毛な社会を変える事ができるのは、システムの外にいるニートたちに他ならない。経済社会に寄与しないことこそが重要なのだ。
それに、先人がいないわけではない。例えばニーチェは過激な論文をだして大学の教授職を追放され無職になった。その無職のニーチェが西洋的価値観に疑問を呈し、新しい価値を提供する哲学を発表した[2]。ルソーだって四十歳近くで無職のニートだったときに学問芸術論というタイトルの論文を出している[6]。
次の時代の哲学は、前の時代の常識となった哲学を蹴り飛ばすことで作られてきた[2]。だから、きっと「哲学が死んだ」という哲学を蹴り飛ばす哲学だって作れるはずだ。こんな風に「14歳からの」は僕たちへの熱いエールで締められている。
僕自身も、自分が哲学の子であるから、親を取り戻すために、勉強して考えを発表しようと思う(生活のためにしょうがなく働くけど、心はニートである)。科学や物語が好きだから、論文や小説を書いていきたい。それだって、システムの中をグルグルしているだけかもしれないけれど、いずれ不毛なシステムとそれを押し付ける価値にヒビを入れるかもしれない。
備考
※1.ポプテピピックがポップなのか、という疑問はある。早稲田大学の生命科学を専門としている教授が「ポプテピピックは革命である」という趣旨の論文を出している[3]。このことからも、意外と哲学書の表紙を飾るのにふさわしい漫画かもしれない。
※2.僕は自分の専門分野で難解な事柄を噛み砕いて説明しようとしてnoteの記事を書いたことがあるが、おおよそ上手くいっているとはいえない。これ[4]なんか、微生物のリスクの説明しようとして、最後「本当に気をつけるべきは何かを『自分がきっちり把握すること』」とかテキトウに説明を投げ出してるし。だから「14歳からの哲学入門」の著者の飲茶さんがいかにハードワーカーかが分かる。
※3.間違ってたらごめんなさい!
参考
1. 苫野 一徳. はじめての哲学的思考 第3回 科学とは何がちがうの? . webちくまHP
https://www.webchikuma.jp/articles/-/96
2.飲茶「14歳からの哲学入門 「今」を生きるためのテキスト」河出文庫
3. 郡司ペギオ幸夫(2018)ポプテピピック革命
https://www.researchgate.net/publication/323990807_poputepipikkugeming
4.note. right brothersの記事「微生物ってなんですか?【コラム】
https://note.com/right_brothers/n/n77d416a99917
5. 苫野 一徳. はじめての哲学的思考第4回 科学とは何がちがうの?(続) . webちくまHP
https://www.webchikuma.jp/articles/-/132
6.飲茶「史上最強の哲学入門 」河出文庫
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?