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最近世に広がっているインテリマッチョイムズ【ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち】

 高校時代、僕は日本史のテストで7点をとった。もちろん100点満点中の7点だ。まったく勉強しなかった結果がこれでもかと点数に反映されていた。

 一桁台の点数をとった理由は、僕は日本史にまったく興味がなかったからだ。僕が知っていたのは新撰組の小説から得た史実くらいである。多分、その辺の時代の問題が、その時のテストの7点分の配分だったのだろう。

 だけれど、そのテストの結果を受け取ってから15年以上経った現在の僕は、丸善書店で日本の古典に関する本を物色していた。中々目当ての本は見つからないが、色々な本を手に取り、つまみ読みするのはとても楽しい。

 歳をとって面白いと思えることが増えた。日本の歴史もその一つだ。昔は関心がなかったことでも、今は読むのが非常に楽しい(今でも詳しいわけではないが)。

 少し脱線するが、僕は理学の博士号を持っている。博士をとってよかったことを一つ挙げるとすれば、論文や学術本やノンフィクションに書かれている妥当性を吟味する力を得られたということだ(審美眼ともいえるかもしれない)。研究において、先行研究の論文を大量に読み、引用されているリファレンスにあたるという作業を繰り返すことで、そこに述べられた主張の妥当性を判断する能力が磨かれる。

 さらに、自分で論文を書くという経験を複数重ねることで、より他の人が書いた文章を吟味する力が増す。一報の論文でも、そのすべての文章を完璧に隙なく間違いなく書くのは、相当難しいのだという事がよくわかる。結構、有名な学会誌に投稿された論文でも、著名な学者が書いた学術本でも、変な記述や不確実なことを事実であるように主張している事がある。当然、自分の論文の隙や間違いも多い。後から読み直して気が付くことが間々ある(もちろん、投稿時は全力で完璧に仕上げようとするし、最善を尽くすが)。

 話を戻すと、過去に興味がなかった日本史をはじめ、現在は色々なことに興味が出てきた。最近だと、警察の仕組みや半導体、経営、哲学、心理学、と幅広い分野の本を読んだ。何に役立つわけではないが、単に新しい事を知るのが面白い。

 また、博士で培った審美眼もその面白さを増すのに一役買っているように思う。リサーチする側を想像するのも楽しみの一つである。

 だが、世の中には面白いだけの教養よりも、役に立つ、もっと言えばお金稼ぎに役に立つ教養を求めるという風潮があるようだ。今日はそんな風潮について書かれた本を紹介し、感想を書いていこうと思う。

ファスト教養

ファスト教養[1]
【「教養=ビジネスの役に立つ」が生む息苦しさの正体】
社交スキルアップのために古典を読み、名著の内容をYouTubeでチェック、財テクや論破術をインフルエンサーから学び「自分の価値」を上げろ───このような「教養論」がビジネスパーソンの間で広まっている。
その状況を一般企業に勤めながらライターとして活動する著者は「ファスト教養」と名付けた。
「教養」に刺激を取り込んで発信するYouTuber、「稼ぐが勝ち」と言い切る起業家、「スキルアップ」を説くカリスマ、「自己責任」を説く政治家、他人を簡単に「バカ」と分類する論客……2000年代以降にビジネスパーソンから支持されてきた言説を分析し、社会に広まる「息苦しさ」の正体を明らかにする。
Amazon「ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち」商品紹介ページ (https://amzn.asia/d/eTvty8h)

 この本では、最近世に広がっている変なインテリマッチョイムズのような空気が言語化されていて、納得感が大きかった。

 ファスト教養は「お金稼ぎの教養」であり、「稼ぐが勝ち」「スキルアップ」「個人主義」という価値観に支えられた主義である。ただし裏を返すと、立場的に弱い人(税金を払えない、努力する環境が得られないなど)を切り捨てるという考え方と親和性が良い、ということである。

 なるほど、ここ数年のインテリ系インフルエンサーに感じていた違和感はこれだったのか、と納得した。

 論旨の展開が面白い。例えば、次のような展開である;

インテリ系インフルエンサーたちの主張は「変化の激しい現代を生き残るには今までの表面的なハウツーやノウハウを学ぶのではだめだ」というものである。

そのためには「本物の教養を身に着けるべき」である。

だが「本物の教養というのは読んだり調べたりするのが大変」である。

そのためインテリ系インフルエンサーが「本物の教養をかみ砕いて説明する」ことになる。

だが、かみ砕いて出来たものは教養ではなく表面的なハウツーやノウハウである。

皮肉だなあと思った。これは一例であり、この本で述べられているファスト教養を取り巻く環境は複雑で簡単には結論づけられない部分もある。

 ファスト教養は確かに役に立つ部分もある。入門編としての役割をもたせ、そこから深くその分野を勉強するきっかけにすれば良い。本書終盤の「もっと勉強すればよい」という言葉について、作者自身はそれだけの言説だと誤解を生むと考えていたと思うが、行動指針としてはシンプルで役に立つ。ただし、このような「役に立つ」という発想こそファスト教養の大元になっている。この問題は根が深い。

 この本の総論として、著者はファスト教養から完全に決別するのは難しいので、「お金稼ぎの教養」を学びつつも、そもそも何故これを学ぶのか、という視点の両方を持つ必要がある、としている。

 先述の通り、自分にとって納得感のある論旨だった。誰しも大人になれば経済的な自由ということを大いに意識することになる。この本にもある通り、それは必ずしも目指してはいけないものなどではない。貧すれば鈍する。

 だが、それとともに今まで興味を持っていた、文化的、学術的な探求に意識を裂けなくなってくる、というのも実感としてある。「元来の教養」などの本を出しても、売れるためには即物的な価値をのせる必要があったり、多方面でジレンマが起きているのだろう。おそらく個人レベルでもそれは起こっていそうである。無駄なことでも良い、という意識で始めた趣味でも効率を求めてしまう事はある。

 この本の最後の「解毒」は劇的に効くわけではないが、ちょっとずつ人に変化をもたらすのだろう。

おまけ

……日本史で7点取った話、いらなかったな。

参考文献

1. レジー「ファスト教養 10分で答えが欲しい人たち」集英社新書. 集英社


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