紺と黒について
朝、着る服を選ぶ時に、気をつけていることがあります。
それは、その日の顔が服に着られていないか、です。
服というのは、その日の顔と合っているかで決めるべきです。
服と相関関係にあるのは、顔。
似合う、似合わないは、スタイルでなく、顔。
似合っていないのではないだろうか?という気持ちが顔に出るから、似合わなくなると思うんです。逆に、自信に満ちた顔で変な格好をする人はかっこいい。
志村も、たけしも、談志も、赤塚も完璧じゃんか、です。
でも、僕には、そういった理解をしているにも関わらず、どうしても自分が「似合わない顔」になってしまう服装、というか色の組み合わせがあります。
紺と黒です。
もともとは苦手じゃありませんでした。
感染したんです。
苦手が感染?と思われるかもしれませんが、こういうことってあると思うんです。誰かの影響で何かを好きになったという話は「新しい世界に出会った」というポジティブな意味でよく聞きます。音楽やら、映画やら、カレーやら。
要はそれと全く逆のことがおきたのです。この感染は社会人になったばかりの頃、当時付き合っていた彼女がテレビを見ながら放った言葉からでした。それはよくある街角ファンションチェックで、画面には明るいグレーのスラックスに黒いセーター、紺のジャケットと都市型の装いで垢抜けた印象の男性が映っていました。唐突に彼女は彼に向かって
「紺と黒の組み合わせが本当に好きじゃない。個人的には信じられない組み合わせ」
と、浴びせたのです。
その彼女は一方的に考えを押し付けたりする人じゃなかったので、とてもびっくりしました。だから、それは本気の漏れであったろうし、ファッション誌の編集を仕事にしている人だったのでとても正しく聞こえ、僕には洗練された装いに見えたその被写体は、実はわかっていない典型にすり替わってしまったのです。それからというもの、もう「紺と黒の組み合わせは無し」というインプリンティングみたいな感染が脳におこっていて、ジーンズのインディゴは例外として、紺と黒の組み合わせを避けるようになりました。
何年も経って紺と黒の組み合わせでも素敵なファッションがあるのは理解しているんです。でも、ダメなんですね。なんとなくで遠ざけてしまいます。
感染と言いましたが、呪いって言っても良さそうです。縛られてますから。
つまり、レビューは呪縛になる、ということです。
呪いとはそもそもこういうことだったのかもしれません。誰かの言葉から逃げられない。で、僕は考えました。ということは、そこから逃れるために逆のことをして、逆の結果を得られればいいのではないか?
今回なら、紺と黒を組み合わせた服装で褒められたらいいのではないか?そういう外部からのレビューをいただけたらいいのでは?ということです。
なので、今は積極的に紺と黒の組み合わせの服を着ています。
でも、まだ誰も褒めてくれません。
きっと、顔が服に着られているからでしょうね。