学校に蔓延る「must」…一度立ち止まってその意味を考えてみませんか?第79回e-cala cafe2

なぜ学校で移動する時、整列していかなければならないのでしょうか?
そこに何か意味はあるのでしょうか?

落ち着いて学校生活してほしいという願いがあるならば、どうすれば落ち着いた学校生活ができるかを子どもたちと考えればいいのではないでしょうか。
時間を守れるようになってほしいと願うならば、どのような行動をすれば時間が守れるようになるかを子どもたちと考えればいいのではないでしょうか。
整列させて全員そろって移動する
それで、先程述べた目指す姿が実現するのであればやればいいと思いますが、私はそうは思いません。
整列するまで時間がかかり、指導が入る
待っている人が私語をして指導が入る
列が乱れて指導が入る
何のために整列してそろって移動するかを子どもたちが理解していないし、そこに良さを感じでいないから、結局、指導が多くなるのだと思います。
さらに、教師も形にこだわるあまり、指導が多くなってしまいます。
誰のためになるのでしょうか…

私は特別教室での授業の場合、下のようなことを子どもたちに伝えます。
「〇〇時から始まるから、きちんとそれまでに移動してね」
「あせると、走らなければならなくなるから、落ち着いて時間を見て、考えて行動してね」
そして、
先に教室で待ちます。
子どもたちの様子を見て、授業前に素敵な姿を価値づけます。
間に合わなかった子がいたら、まず理由を聞いて、その理由に合わせて対応します。
こうしたかかわりを繰り返し、子どもたちとともによりよい学校生活を作っていけたらいいのでないかと思っています。

また、
事前指導が大切だと思います。
例えば、学級目標と照らし合わせて、今の学級の現状を踏まえて、目指す姿を設定して、今回頑張ることを具体的に決めます。
実際の活動が始まったら、教師は可能な限り、子どもたちの視野から外れるようにします。
教師はいるだけで「圧」があるからです。
子どもたちの視野から外れたところから子どもたちの様子を見取り、終了後、振り返り等で価値づけたり、課題を示したりします。

これが自治的な集団を作っていくためには必要不可欠な視点だと私は思っています。

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