それって、誰の学びを想定しての言葉ですか?第93回e-cala cafe

教科書通りに進めてください
指導書通りに進めてください
まず、マニュアル通りに進めて、「型」を学びましょう

私は、この言葉に違和感を感じます。

もちろん「型」を学ぶことは大切です。「型」がないままでは、「かたなし」になってしまうからです。何のためにその「型」があるのか、その「型」がどんな力を身につける時に効果的なのかを知っていることで、授業の引き出しが増えます。だから、「型」が不要だとは思いません。

しかし、
教科書通りに進めましょう
指導書通りに進めましょう
この言葉は、誰のことをイメージしての言葉なのでしょうか?

目の前に子どもたちのことをイメージすれば、きっと教科書通りには進まないことは多々あるでしょう。子どもたちの学びの流れに合わせて授業を進めていけば、問うことも共有することも、問い方も変わってくるはずです。また、言葉の吟味も必要になることでしょう。

教科書や指導書に書いてある発問例や板書例は、一般的なものであり、必ずしもその言葉を使わなければならないわけでもなく、板書もその通りにしなければならないわけでもありません。

大切なのは、その単元で何を学ばなければならないのか、目の前の子どもたちにとってどんな学び方だとより学びが深まるのか、どんな言葉で問うと子どもたちと問いを共有することができるか、どのタイミングで問題を提示するとよいのか、どのように問題を提示するよいのか・・・ともに授業をつくっていく子どもたちの学びを想像することだと思います。

教科書通り、指導書通りは、子どもたちの学びを想像することにつながるのでしょうか。想像した上で、教科書通り、指導書通りの流れがもっともよい流れだと判断するのであれば、批判はしません。しかし、何も考えず、まず、教科書通り、指導書通りというのは、私は反対です。

何のために、どんな力を身につけるために、どんな学びを引き起こすために
そのねらいをより達成する可能性がある授業の流し方について、目の前の子どもたちの学びに合わせて考えていくことが大切だ思います。

#教育 #授業 #子ども #小学校 #e -cala cafe

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