『人新世の資本論』が全く理解できなかった
『人新世の資本論』を読みました。分厚くてだいぶ時間がかかってしまったんですが、こんなに書いてあることが理解できない本もなかなかなかったので笑、学者でも評論家でもなんでもないですが、感想(というか憤り)をまとめてみました。
本書の要点とそれに対する僕の感想をまとめると、
という感じです。
後半の主張が全くデータに基づいていない
前半の地球温暖化に関する話題では、地球温暖化がどれだけ深刻な状態にあるかや、資本主義では地球温暖化を止めることは(現時点では)不可能であることが、データに基づいて論理的にまとめられていました。
しかし、後半の資本主義では限界がある。今こそマルクス主義を!という主張になると、途端にデータの出典がなくなります。資本主義の悪い点だけを挙げ、さらにマルクスの資本論の解釈を書き連ね、今こそマルクス主義だ!と結論付けているわけですが、ちょっと待ってください。
物事には良い面も悪い面もあるわけで、全体として良いか悪いかを、データに基づいて判断すべきですよね。
おそらく、斎藤氏が提唱する『コモン』が実際に運営されている例が限りなく少ないので、データの持ち出しようがないんでしょう。さらに、『コモン』の代わりに社会主義と資本主義を比較すると、資本主義の圧勝という結論になってしまうので笑、こちらもデータは使えない。結果、具体的なデータに基づかない机上の空論状態になってるんですよねー。
せっかくバルセロナの例があったので、バルセロナでコモンに近しい地方自治が導入された結果、環境負荷が減ったのかとか、市民の幸福度があがったのかとかを出してくれたら良かったんですが。
『コモン』ではイノベーションが起きない
日本で実在する『コモン』の例としてはコープ(生活協同組合)が挙げられてました。あとは市役所とかも、市民の公共財を管理しているのでコモンに近いのかもしれません。でもさ、コープとか市役所で人々の生活を豊かにするイノベーションって起きます?
イノベーションなんて必要ない??いやいや、例えばさ、
Zoomは、今まで会議の度に出張していたビジネスマンをリモートでつなぐことに成功し、二酸化炭素排出量を大幅に削減した。
ファイザーやモデルナはmRNAワクチンという初の手法で圧倒的スピードでワクチン開発し、何億人もの人々を救った。
こういうイノベーションが、コープや市役所から出てくると思いますか??資本主義の最先端であるシリコンバレーで、多額の資金が集まったから生まれたわけですよね??
斎藤氏はGAFAのようなインフラになりつつあるサービスもコモンにして管理すべきと言いますが、そんな強権的な、いつ資産を没収されるかわからない状態で企業は積極的な投資を行いますかね??
『コモン』で格差は消えないどころか固定化される
20世紀にマルクス主義から生まれた社会主義という壮大な実験は、大失敗に終わりました。
おそらく斎藤氏は、企業でも国家でもない『コモン』で民主的にサービスを運営すれば、社会主義のような独裁体制は起きないと思ってるんでしょうが、本当にそうですかね?
実際のところ、電気、ガス、水道、通信網、食品、衣服、私たちは一体いくつの話し合いに参加すれば良いんでしょう?学校のクラス会じゃあるまいし、これらの運営には専門的な知識が必要なので、普通に考えてお金払うから詳しい人に任せようってなりません?
それって、少数の運営者が資産を独占している状態と何が違うのでしょう?なんなら、資本主義で起きる新陳代謝が起きない分、最悪では??社会主義国で支配層と民衆で格差が固定化されたのが再現されませんか??
いちいち話し合いで決める世界がうまくいくわけがない
資本主義の素晴らしい点は、いちいち話し合わなくても自動的に市民の声が反映され続ける点です。例えば、政治家はよく「みなさまの声を国に届ける!」と言って実際は届かなかったりします。
しかし経済では、需要と供給に従って常に価格と供給量が最適化されます。すなわち、ある商品が売れるのは、市民がその商品を支持しているからに他なりません。自動的に、市民の声が反映され続けるのです。
もちろん、それだとマイノリティが無視されたり、環境問題が生まれたりするので、それを政治でサポートしていくことは必要です。ただそれは、政治と経済の両輪で、適材適所でまわしてべきです。
国鉄や郵政など、多くの国民が使うサービスはどんどん民営化して儲けてもらって、それを税金として徴収し、政治はマイノリティや弱者のサポートに専念すべきだと僕は思います。
斎藤氏は『コモン』を広げていって資本主義を打倒することを目指しているようですが、あらゆるものを話し合いで決める社会がうまくいくとは到底思えません。
贅沢が制限された世界がうまくいくわけがない
斎藤氏は、自由には良い自由と悪い自由、技術には開放的技術と閉鎖的技術があり、それぞれ前者を推進していくべきと言います。
では、良い自由と悪い自由ってのは、誰が決めるのでしょう?もしかして国??いやいや、さすがにそれは社会主義国になっちゃうのでないでしょう。おそらく、コモンで民主的な話し合いで決めるんですよね。
ではもし、民主的な話し合いで「うちは地球温暖化対策を一切しない!じゃんじゃんお金を稼ぎまくる!」みたいなコモンが出てきたら、どうするんでしょう?
それは悪い自由だから、制限するんでしょうか?誰が?もしかして国??
いやいや、さすがにそれでは社会主義国になっちゃうので、民主的な決定が優先されるはずです。でもそうやって贅沢三昧のコモンが現れた時、他のコモンの人たちは律儀に我慢を続けられるんでしょうか??
レジ袋を有料化しただけでこんなに不満が起きているのに、コロナで人と会っちゃいけない!ってだけでこんなに不満が起きているのに、あらゆる贅沢が制限された世界がどうしてうまく回ると思うんですかね??
そりゃあ、マルクス主義者みたいな高尚な理想をお持ちの方々は、我慢できるかもしれません。しかし、多くの一般市民は欲求に忠実なのです。もしかして、人は正しさで動くなんて思ってます??
社会主義国でも支配層は贅沢な生活を送り、賄賂が横行し、市民も西側諸国の製品を裏で取引したりしてたわけですが…。
「みんなが我慢すれば世界は救われる」は解決策になってない。それどころか…?
みんなを我慢させることが可能な世界というのは、国のルールとして罰則が規定された世界です。そんな世界は、そのルールを決めるところに権力が集まります。要は社会主義国です。
てか、地球温暖化を止めるには、日本以上に二酸化炭素を排出している中国、アメリカ、インド、ロシアも資本主義をやめなきゃいけないんですよね??それって実現できると思いますか??
結局、「みんなが我慢すれば世界は救われる」という解決策は、解決策になっていません。それどころか、「俺の意見にそぐわない奴は抑圧しないといけない」という社会主義的思想が出ちゃってます。
本書の最後で斎藤氏は3.5%の人間が動けば、革命が起きる。だから今は少数派でも行動を起こそう!と呼びかけていますが、やはり大多数の96.5%の意見は「正しくない」から「抑圧すべき」という意見にとれちゃいますね。。
マルクス主義は宗教である
そもそも、マルクスという一人の考えに傾倒するのは、宗教に近いと言わざるを得ません。基本的に、ある宗教の信者は、他の宗教をかけ持つことはできません。社会主義国でも、宗教は禁止されていました。
反対に、資本主義はあらゆる宗教もマルクス主義的活動も許容します。資本主義の中でも、別に資本家にならなくてもいいし、芸術家やスポーツ選手など自分の好きなことをやってる人もいるし、マルクス主義の素晴らしさを本にして出版することもできます。逆に、資本主義者がみんな崇拝してる人や本ってないですよね笑
つまり、宗教として一部の人が信仰するのは良いが、それを共通のルールにしては絶対にならないのです。「明日から全員キリスト教徒な」って言われたらどう思いますか?というお話です。
まとめ〜資本主義の中でやってください〜
色々書いてきましたが、言いたいことをまとめます。
本書は、ソ連崩壊後、全く日の目を見なくなってしまったマルクス主義が、「地球温暖化を止めるために」という新たなロジックのもと蘇ったものと考えます。さらに、今すぐ脱成長に舵を切らないと間に合わないと煽ってきます。
しかし、そのロジックは、みんなが我慢しないと達成できない時点で破綻しているどころか、俺の考えに反対する奴は抑圧しなければならないという、20世紀の社会主義国と何ら変わらない思想を露呈してしまっており、非常に危険です。
では、斎藤氏はどうすれば良かったのか。おそらく、斎藤氏の真の目的は地球温暖化を止めることではなく、資本主義を打倒することなんだと思いますが、それだったら地球温暖化なんかに頼らず、脱成長する生き方の素晴らしさを「資本主義の中で」広めていくべきではないでしょうか。
現に、ミニマリストとかFIREとか、脱成長する生き方って今の資本主義社会でも十分ブームになっていますよね。全く成立しないロジックで危機感を煽るのではなく、資本主義という個々人が自由に自分の生き方を選択できる社会の中で、純粋にその素晴らしさを説いて、資本主義からシェアを奪っていくべきではないでしょうか。
資本主義はあなたたちの存在を否定しないので。