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竹美映画評103 80年代青春ホラーにMAGAが見える 『ロストボーイ』("The Lost Boys"、アメリカ、1987年)
しばらく1本の映画について書ける体力が無かったが、久々にヒットだったのが『ロストボーイ』。うっかり長々書いてしまった。
1987年アメリカのホラー映画が一つの全盛期を迎えた時期に製作されたジョエル・シュマッカー監督によるバンパイヤ映画である。
あらすじ:
離婚した母ルーシー、その息子サムとマイケルの家族は、彼女の実家のある海辺の観光地サンタ・カーラに引っ越して来る。サムは街の漫画店で地元の少年2人から「これを読んで気を付けろ」とバンパイヤに関するコミックを買わされる。一方マイケルは街で出会った少女スターに惹かれるも、彼女が一緒にいる男達に絡まれる。リーダーのデーヴィッドは、「お前も仲間になれ」とマイケルに迫る。
ゲイテイストとアメリカ青春ホラーの相性
実は80年代、子供の頃にはこの映画が怖くて観ることができなかった。バンパイヤ映画にはどこか陰惨な部分があり、私の琴線に引っかからなかったのだが、今になって観てみると、無駄のない構成で低予算ながら迫りくるバンパイヤ達の恐怖と悲哀が、生き生きしたキャラクター達によって作り上げられていて大変面白かった。
監督の性的志向で映画を断じるのは危ういとはいえ、ジョエル・シュマッカ―監督の作品にはそこはかとないゲイテイスト、特にマッチョな若者に対する控えめながら確かな欲望が感じられる。
前半、マイケルがスターに出会うシーンでロックを演奏するバンドのボーカルが、筋肉むきむきで金属のネックレスをじゃらつかせており、嗚呼、監督、そういう男が好きなのね!と邪推。
監督は、アイルランドから出て来たばかりのコリン・ファレルを起用して『タイガーランド』という映画を撮っている。無名だったコリン・ファレルを思いを込めて描いた。かつて読んでいた映画雑誌では「ゲイポルノみたい…」と評されていたのを私は忘れていない。
今回マイケルを演じたジェイソン・パトリックは、後に『スピード2』で出演するも、石川三千花先生をして「もっと地味な作品の方が似合ったと思う」と酷評させるに至るが、この『ロストボーイ』ではきらっきらのハンサム青年として非常に魅力的に描かれている。
デイヴィッドによってバンパイヤの仲間にされそうになるあたりが危険(おいしい)だし、バンパイヤのパワーを使って事態を何とかしようとする様に悲哀があって大変よい。
『スタンドバイミー』以来のチンピラっぷりがハマるキーファー・サザーランドは本作では彼の放つ場末で薄暗い空気がばっちりハマっている。
他にもサム役の俳優コリー・ハイムも面白かったし、ルーシー役のダイアン・ウィ―ストもいい味出していた。また、街をバンパイヤから守るのだと漫画から知識をため込んでいるオタク兄弟のエドガーとアランを演じたコリー・フェルドマンとジェイミソン・ニューランダー(こちらは私は存じ上げず)も最高だった。
「偉大なアメリカ」に対する絶対的信頼
ところで、非常に面白いと感じたセリフがある。エドガーとアランが、この町を守るんだと決意を表明する際に、「The American way」でやるんだという言葉を吐く。ダメ押し的に、もう一度その言い方がサムによって繰り返される。
80年代のアメリカ娯楽大作は、私にとっては懐かしいアメリカの姿だ。社会問題を抱えつつも(ドラッグや貧困・失業、おそらくHIVの流行も)、アメリカらしさに全く迷いもなく、実にストレートにアメリカらしさを表明している。一点の疑いも不信も感じられない。
1970年代のアメリカ映画は、確かに動揺する価値観を描きはした。しかし『エクソシスト』『オーメン』『魔鬼雨』等のホラーを見る限り、「アメリカ」が揺らいでいるとは描きつつも、作り手は、まさか本当にアメリカ的な価値観の崩壊が起こるとは全く思っていないように見える。
80年代ホラー・アクション等の娯楽作が華やかに花開いたように思えるとしても、70年代から連続している者があるのではないかと思うのだ。
また、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』で忘れがたいシーンがある。ルーシーが、十字架を額に付けられて焼きを入れられてしまうシーンで「私はけがれてしまった!」と叫んでいるのだ。
1977年のメキシコ映画『Alucarda』、日本でのソフト名『鮮血の女修道院/愛と情念の呪われた祭壇』は、冒頭でルーシーが娘を産み落としている。その娘アルカルダはむろん魔性の女として修道院を混乱に陥れる…一方で彼女は自由な女を縛ろうとするものに対する抵抗文化を体現してもいる。
バンパイヤとは悪魔に淫した者たちであるからして、滅ぼされるしかないのだが、サタニズムを両義的に使って表現している点がむしろ昨今のアイデンティティー・ポリティクス的な視点を内面化した観客には受けがいいかもしれない。
一方の『ロストボーイ』では魔に淫したバンパイヤは「American way」で滅ぼされなければならない。そしてAmerican wayは、半分バンパイヤにされた娘と小さな子供を救えると言っている。魔と手を切り悔い改めれば、ノーマルに戻れるのである。
疑似家族は血縁家族に屈するか
映画評論家ロビン・ウッドの論をはじめとして、古典的アメリカ・イギリスのホラー映画では異性愛核家族の在り方を脅かす存在はすべてモンスターとして表象されてきたと論じられている。
バンパイヤは口づけにより自分の仲間を増やし、一緒にどこかへ去って行く…再生産はできないのだからそうやって家族を作るしかないじゃないか…どこかクィアの悲哀と相通ずるのもバンパイヤ映画の面白さだ。キャスリン・ビグローのバンパイヤ映画の傑作『ニア・ダーク/月夜の出来事』もまたそういう疑似家族を描いているが、そこにカッコよさが滲んでいるのがユニークだった。
注目すべきは、疑似家族を作ってどこかへ行こうと誘われるという反モラル性を象徴しているからこそモンスターとして滅ぼされて来たのであるし、アメリカ社会の基盤のために犠牲になって来たのである。
ところで、自分のことをありのままに受け入れない家を捨て、自分のことを受け入れてくれる人を家族として選ぶのだ…これは今むしろいい話として受け止められているように思う。
リベラル・アメリカのZ世代は、親たちの混乱した価値観に潔癖的に反発する形で、「ありのままの自分を受け入れてくれる人達」をインターネット上に幻視してしまい、彼らの中に入って行ってしまうことがあるということを、シュライヤー『トランスジェンダーになりたい少女たち』が指摘している。
私がうまく察知できないのが80年代のバイカー不良集団がどういう人達を表象していたのかということなのだが…少なくとも80年代バンパイヤの疑似家族は滅ぼされるべきクィア家族であった。
自分を受け入れてくれない生まれの家族から早く離れるべきだという物語は、現実には、子供を直接加害する犯罪者や、子供の苦しみを利用して、副作用が指摘されている治療を施す「善意の間接的加害者」が入り込んでしまうリスクがある。バンパイヤ映画はそちら側の物語だ。侵入者は家族によって撃退されるべきだ。
おそらくそれが、家族を選ぶのだとする『AJ&クイーン』のようなドラマがシーズン1で打ち切りになった背景にあるのではあるまいかと邪推している。
そういう中で、Z世代的な価値観を体現したヤングアダルト小説『ボーンズ・アンド・オール』が一級の監督・キャストで映画化されて賞賛されるわけだが、これは、80年代ホラーが描いた疑似家族を反対側から眼差しているのだろう。
ところで、本作では、離婚して母親だけになった家族が、祖父の力も動員して家族を守ることになる。実は、80年代のアメリカ映画では既に家族は理想の異性愛核家族の形を成していないケースがよく見られる。
『ポルターガイスト』シリーズ、『危険な情事』『E・T』など、少し考えるだけでも同時期のアメリカ映画では異性愛核家族が崩壊している。
家族が信用ならない場所に変わってしまった中で何とか生き抜いた80年代の子供達は今やZ世代の親である。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、移民1世の親は、家族を捨てようとするZ世代でアメリカ生まれの子供の腕をしっかり掴んで頑張ってそこに立ち続けるのだと宣言した。
アメリカ社会の美徳を支えているのは、結局のところ「ノーマル」家族の力だ。同性婚が合法になり、同性愛者が異性愛者核家族を模倣することで「ノーマル」に仲間入りした今、MAGA=アメリカをもう一度偉大な国に!というスローガンに共鳴する同性愛者はたくさんいるだろう。またそうしなければ、また同性婚を取り上げられてしまうかもしれない。
ゲイ男性が銃を手にしてトランプ支持を叫ぶ様は異様に見えるのだが、結局そういう国是「The American way」をやめることはできないのだろう。そして私は、やめない方がいいと思っている。国是を熱く語り伝える物語を喪失したアメリカは、おそらく『シビル・ウォー』なんか目じゃない混乱に陥るであろう。
誰もそれは望んでいない。