『破墓/パミョ』公開に寄せて 後編 日本への尽きぬ興味
遂に10月18日から公開の期待作『破墓/パミョ』について、前回は、日本と韓国の怪談を比較してみた。
今回は、作中で触れられる日本、そして、現在の日本への眼差しについて考えてみたい。
『破墓/パミョ』では、抗日運動家の名前が登場人物名に使われているが、一人、本名を変えられた人物がいる。日本人の村山智順である。作中では「やまむら」と言及され、怪異のキーを握る存在だ。
それは映画を観ていただくとして、村山とはどんな人物だったのだろうか。
村山は、日本統治時代、朝鮮の文化・習慣に関して詳細な調査報告を残した人物である。
村山の著述は、ホラー好きとして読むと大変面白く、韓国・朝鮮のホラーの特徴を把握できる。しかも国会図書館のウェブページでオンラインでも読むことができるのはありがたい。
1919年の全国的な抗日運動(いわゆる3.1独立運動)の後、1924年~1941年まで、朝鮮総督府による大規模な調査に参加した。
朝鮮人の心を理解するうえで民間信仰の理解を重視したとの由。村山は、1891年新潟県出身で東大卒の秀才、幼少期はお寺で育ったそうだ(主なプロフィールは、朝倉敏夫「村山智順の謎」『みんぱくリポジトリ』2016年によるが、孫引きの形になってしまった)。
さて、村山の研究は質の高いものであったが故に、後年「そこまで我らの文化や民俗を調べ抜いたのは、我々の民族精気を打ち砕くためである」と観念された。上記朝倉敏夫「村山智順の謎」では、韓国では村山の優秀さの裏に「悪意」を読み込むふしがあることに触れられている。
まさにそれが「風水謀略説」に繋がり、本作のベースとなっている。
朝鮮人の文化を知らなければ支配はできない。そういう動機で行われた調査でもあるので、半分当たっているのだが、民族精気を打ち砕くために風水を使ったというのは考えすぎだ。日本では風水に対する理解は表面的なものにとどまっていることが韓国・朝鮮では知られていないのである。朝鮮・中華圏とはその点でも大きく違う。
他者集団を見るとき、どうしても我々は自分の価値観や習慣をベースに思い込んでしまいがちである。
朝鮮の鬼神を概観する
村山の著書『朝鮮の鬼神』をのぞき込んでみよう(ミスタイプが無いことを祈る。国会図書館の画面を見ながら打つのは非常に難しかった)。韓国ホラーのみならず、韓国社会のベースにある考え方が垣間見える。
前後してしまうが、色々な種類の鬼神の中で朝鮮人が最も恐れるのが、「孫閣氏」と言われる未婚=処女のまま死んだ女の霊で、未婚女性に取り憑くらしい。
村山は「鮮人は最も之を怖れ巫女は之を金儲の材料に使ふ。」(『朝鮮の鬼神』184ページ)としている。「金儲けの材料」というのが面白いが、要するに、朝鮮人が最も恐れるが故に、そこにムーダン(巫女)の活躍の場があるということであろう。
また、こうも書いている。
「寃に死んだもの」とは無実の罪=冤罪で刑に処されて死んだ者のことである。
興味を惹かれるのは、女が貞節を守るため「自殺」をするという考え方だ。その口惜しさ(恨=ハンと言ってもいいだろう)が人を幽霊にし、悔しい悔しいと慟哭するのである。
これが韓国のホラー映画に「女幽霊もの」が多かったことの背景である。村山の指摘したことは、未だ多くの韓国の怪談話の中に脈々と息づいている。
韓国ホラーにとっては、上記の論文集の中で検討されたように、「悔しい、恨みを晴らして正義を取り戻し、汚名をすすぎたい女の幽霊」という伝統的なお決まりを如何に乗り越えられるかがポイントだったのだ。
特に名誉の「自殺」をしたとされる烈女とは、家門の名誉を守りたいという家族主義の名残なのであるが、そうした古い価値観をどう訂正、ないしは読み替え、時には乗り越えるかが課題だったのだとも言える。
そしてそれに見事に成功したことで、現在の豊かな韓国ホラーが花開いたのである。
さて、次に、韓国特有の霊魂観に繋がる部分も触れてみる。
この部分は『パミョ』前半のストーリーの理解を助けてくれると思われる。
さて、面白いのは「先祖を正しく祀らないと気分を悪くして子孫に絡んでくる」という点だ。
近い感覚を持っている中華圏のシンガポールのホラー『メイド 冥土』(2005年)でも、明らかに祖先が現世を生きる子孫に祟っている…というかたかっていることが見える。
もう一回書くが、先祖による子孫へのたかりが、本作前半のストーリーの骨子を作っている。
この点は、先祖の霊が助けてくれると観念する日本と全く違っている。
ここでは李斯という人物の家と、奇裕という人物の話を引用して説明しているが、ポイントは、「家族頼み」という意識である。身内を頼りたいが故に、それが叶えられなければ祟るのである。
家族主義の強烈なインドも同じ道を辿るのではあるまいか…と思いきや、インドの場合は、死ぬとこの世から消えてしまうためか、先祖が面倒なことをするというホラーが育たなかったのであろう(他方、処女で死んだ女の霊や、冤罪故に死を「選んだ」女の霊の系譜は共通している)。
みんな大好き、巫覡
さて、本作のみならず、様々な韓国映画・ドラマで大活躍しているムーダンと呼ばれるシャーマンについて村山は以下のようにとらえた。
朝鮮・韓国と言えば儒教の影響が極めて強いことで知られる。朝鮮時代にかなり厳しいやり方で(仏教を弾圧して)教化されたと言われる一方で、元々儒教的な考え方に馴染む要素があったのではないかという感じもする。
上記で言及した、特に烈女の寃鬼は、はっきりとした家族制度という名誉装置が無ければあまりインパクトを持ちえないからだ。
その一方で、一貫して消えることがなかったのがムーダンを頼る民間信仰であった。
ムーダンは、病や災害、不幸などの原因を超自然的な方法で指摘するが、科学とは無縁の時代のものであり、村山自身も著書の中では、人々を惑わす遅れたものだと捉えているようである。
ここで、少し長いが、ムーダン及び埋葬に関わる興味深い話を紹介したい。
現代の怪談ユーチューバーの語りを聴いてみよう。
1970年代全羅道の田舎の村。いつも具合の悪い娘の様子を心配した母が、ムーダンにクッを依頼。ムーダンは「どこどこに生えているこんな草を食べれば治る」と神託を与える。草を煎じて飲まされた娘は一時的に元気を取り戻すが直ぐに死んでしまう。ひどく悲しんだ母親は、お棺に入れることも、土を盛ることもせず、ムーダンに教えられ草を手折って来た場所に娘の亡骸を埋めてしまった。
時は流れ、2000年代にこの地域は軍事施設として収用され、民間人は立ち入り禁止となったが、元住民だけは立ち入り許可を得ることができた。ある老人がその村のあった場所へ戻り、山菜を取ろうと山に入ったところ、口に草を頬張る、青白い顔の少女の姿を見た。それはまさしく、昔死んで埋められた少女の顔だったという。
さて、このお話から分かること。
①70年代の田舎では、医療が行き届いておらず、ムーダンに頼る習慣が残っていた。
②それと同時に、ムーダンの言うことが当てにならないものだということも認識されていた。
③きちんと埋葬されなかった娘は未だに母に与えられた草を頬張りながら地縛霊になってそこにいる。
③が興味深い。「きちんと埋葬して祀らないと、霊魂が悪くなって幽霊(鬼神)になる」ということを踏襲しているが、子供の霊なので子孫を呪う力も無いのであろう。そこがひどく悲しい。
抗日を超えつつある克日の韓国人の眼差し
さて、日本でのプロモーションが始まるまでは、本作の抗日映画としての部分を如何に宣伝するのだろうかというのが一番気になっていた。
蓋を開けてみると、プロモーションでは抗日の要素に一切触れないことにしたらしい。
また、上記のニュースでは、チャン・ジェヒョン監督が、如何に日本の怪談に惹かれてきたかについて語っている。
そう、『パミョ』は日本のものが大好きな人が作った映画でもあるのだ。
本作で、日本の怪異がいかによくできているか、どれほど日本のことを調べてるのかに驚かされ、うれしくなるだろう。
前に触れたが、韓国のユーチューバーの番組を聞いていると、わざわざ日本の怪談と題して紹介するのをよく見る。
韓国のコンテンツには、いろいろな形で日本のものが取り入れられていることはよく知られている。
金大中政権が日本文化の段階的解禁を決めた1999年以前、日本のものは、海賊版や雑誌などを通じて、または、吹き替えられたアニメなど、非常に多くのものが公然と韓国(おそらく北朝鮮にも)に流入し続け、憧れの対象で有り続けた。
今や、韓国映画、K-ドラマ、K-pop、韓国料理など、韓国のものが世界中で楽しまれる様は否定できなくなってきた。
その逆転した状況で、グローバル化した若い世代にとっては、特にコロナ対策の様子を見て「克日」ができてしまい、却って、なんの屈託もなく、日本の怪談や古典的ホラー映画に憧れを表明できるのではあるまいか。
YouTubeの話の中では、関東大震災での朝鮮人虐殺事件をもとにした復讐の幽霊譚さえも語られているのだが、抗日・反日の中に「現在の日本」への並々ならぬ憧れが読めたりする。
抗日が終わりつつある韓国人の自信がホラー映画の中ですら漲っている。
是非本作を楽しんで、韓国の中で生きる日本という、面白く、古く、そして新しい眺め合いの結実を体感していただきたい。