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アデイonline再掲シリーズ第十二弾 楽勝でハリウッド越えの映像国家 ~「太陽の下で-真実の北朝鮮-」(“В лучах солнца”、 2015年、ロシア・ドイツ・チェコ・北朝鮮・ラトビア)

最近用事があって『愛の不時着』を全部観た。

韓国における北朝鮮イメージという観点でも非常に面白く、韓流ドラマの鉄板ネタ(禁断の愛、過去から始まっていた二人の縁、コミックリリーフ、悪役)も健在で楽しかった。

日本の大半の視聴者は「あの北朝鮮」というだけで嫌悪感が増すはずで、「あれは本当の北朝鮮を描いているのか?」→「おまいら日米と中朝のどっちに付くんだよう」という点が気になるわけだが、韓国人の感覚からすると、「細かいことは気にすんなよ!同じ民族だからいいんだよ!ははははは」で色々な不都合に目をつぶってしまうか、逆に日本を叱り始める。そこが日本人には理解しがたい。李御寧ならばそんな日本人の感覚を『縮み志向』と呼ぶだろう。

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新聞切抜き捨てちゃったのが惜しいんだけど、李御寧さん、2005年に新聞で「世界に広がるわが民族」というような記事を出し、「大韓民国成立以後に何十万人もの人が韓国捨てて移民した」という現実を大胆にいい方に読み替えたようなコピーライター(法螺吹き)。都合よく日本の在日韓国・朝鮮人のことは書いてなかったしね。戦前生まれというのがまたすごい。

さて、そんなわけで久々に北朝鮮・韓国のことを調べ直し始めている。そこで読んだ本がブラッドレー・マーティン著『北朝鮮「偉大な愛」の幻』上下巻。長い!だが、2004年頃までの北朝鮮を、様々な脱北者の証言や公式資料等から描き出していて、中々よかった。

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この後に脱北者YouTuberの動画でも確認したが、北朝鮮の中で共有されている考え方は:

①金日成は誰が何と言おうと偉大(韓国の学生運動のコアメンバーはもちろん、韓国人全体もうっすらそう思っていると思う)。

②彼の独裁体制が本格化した60年代末辺りから社会・経済がおかしくなっていき、生活も貧しくなり圧政もひどくなった。※金日成は最初からライバルを粛清し続けてきたが、全部粛清し終わったのが60年代の半ばと言われる。

③抗日闘争の経験もないくせに、その体制を作り上げた金正日は全く評価に値しない極悪人。

④60年代までの北朝鮮だったらまだマシだった。

私は頭の中がまっかっかの理念パヨクだったので、北朝鮮のこと勉強してた頃は、書かれていることが「普通に」読めていた。それを自覚できず、結局、その方向の研究はできなかった。当時の「思想転向」というキーワードが私を苦しめてきたが、「今やっと10年前のことが分かる」という体たらくなので、研究はまあ無理だったと思う。自分の妄想癖を俯瞰して飼いならし、ファクト中心の論に落とし込むまでモチベーションを保つこともできなかったわけだし。

ところで、トランプ・バイデンの選挙戦はすごいのだが、コロナウイルスに感染したトランプ大統領の復帰ツイートが最高だった。

映画なのだ。私は、前回の大統領選挙運動の後に映画評を書かせてもらうようになったのだが、色々考えると、メディアで目にする米国の様子も、北朝鮮メディアに映る北朝鮮も、虚構の精密さと作り込みという意味では同等だなと思う。そう思って観ておかないと騙されてしまう。「ダマしてごめんね」と言う米国の方がまだマシなんだけど、最近金正恩さんが韓国側に示したような形で北朝鮮も「ごめんね」に味占めちゃうようになったら、もう何が本当かさっぱりになっちゃうよね。

以下のは2017年の秋に書いたものです。ここまで長かったけどよかっただどうぞ。※ボールド化以外は直しておりません。

世界を常にあっと言わせ続ける…それはハリウッドでも難しいことですが、今、世界最大規模でどぎついエンタメを提供している国と言えば、北朝鮮。指導者の様子からして只者ではない。朝鮮半島という存在が日本国民としての態度を測るリトマス試験紙と化して既に15年程になりますが、北朝鮮は本物の劇薬。ミサイル撃つんだから! 止めてちょうだい! でも、発射されると、寝言の帝国ツイッターが活気づく。「パヨクは北朝鮮がミサイル撃っても「そうさせてる周辺国が悪い」とか言うww」等、まさにお祭り状態です。ちなみに「パヨクって○○のこと、絶対悪く言わないよね」の語りの形は、ネトウヨの方が面白いこと言ってた時代に出てきたと記憶しているけど、これ痛くなかったらパヨク・リハビリはまだまだね! 「正しさ」の呪いが思考や事実認識に奇妙なブレーキをかけている、というのを、ネトウヨはわざわざ教えてくれていたのよ。最近は何かもうアレですが。

で、北朝鮮に関して思考に妙な細工をして、目の前の「本当」を見えなくさせるあの感じを助長させてくれるのが、時折西洋の国が作る北朝鮮ドキュメンタリー映画よ。マルクス主義の敗北を目にしたパヨクは、そういうのを観て「あっち側にもそれなりの人生と社会があるんだ」とほぼ無意識に安心しようとする。「ヒョンスンの放課後」(2004年)なんて映画、盧武鉉政権時代の韓国でも上映されて、私も観に行って、大いに安心させてもらったものよ。


今回はリハビリ向けに、「そんな中でもそれなりの人生」なんてあんたら西側諸国に住んでるパヨクの幻想よ、と冷水ぶっかけてくれる映画、「太陽の下で」について考えたいと思います。


北朝鮮のピョンヤンに住むある少女の一家を撮影するドキュメンタリーを撮りに来たロシア人の監督さんが、当局が一家や周囲の人々に対し、言動や所作などについて一つ一つ指示を出している様子に気が付くの。「アクション!」の掛け声とともに歩き出したり話し始める人々の姿をこっそり撮り始めて…という映画。


映像がとにかく美しい、と同時に寂しい。がらーんとしている。だだっ広いピョンヤンの広場や、金日成・金正日両名の巨大像の前にぞろぞろやってくる人々のシーンは凄みを感じる。そして像や建物が巨大で立派であるほど、人々の質素な様子がよく見えてくる。


広場で金正恩氏を称える歌に合わせて円舞する青年団体の男女。音楽が止まると、ポカーンとなる。指示を待っているのよ。自由意思を極限まで奪ってしまうと、人々は本当に何も考えなくなるというのをまざまざとスクリーンに映し出すわ。それが何か妙に満ち足りているようにさえ見えてくる。金一族を神格化して宗教国家になってしまったことで、その国体に一体化している限り、大半の人間はぼーっとなって不満なんか持たないあったとしても、それが体制転換圧力にはなりえない。これは、欧米人には理解しがたいらしい。ロシア=ソ連は少し違う形で終わったようだけど、東欧革命は市民革命だとされているわよね。映画ならば「1984」は言うに及ばず、「マトリックス」「Vフォーヴェンデッタ」「リベリオン」に至るまで、欧米の全体主義ディストピア映画は、ラストを革命か、管理社会の中で圧殺される個人の悲劇で終わらせている。逆に、日本だと「PSYCHO-PASS」みたいのが出て来ちゃう。管理社会が善悪越えて一般人から選択の自由を奪っておいて「まあいいか、こんなもんだ人生」と諦め交じりの「気楽さ」を与えるというディストピアがディストピアにならない世界観は、欧米のメジャー作品としては多分出て来ないでしょう。「PSYCHO-」ではレジスタンスが「悪」ですから。


本作の途中で、動力源が止まっているのか、トロリーバスをみんなで押している早朝のシーンがあるんだけど…生きてるってそういうことなんだとしみじみ思った。みんなで一緒に静かにバスを押してる…その日常性が1ミリも動かないのがピョンヤンの姿。あ、この国まだまだ続くわって思わせる。ラストシーンも印象的よ。自由意思を徹底して持たせないという方向に突っ走った国。でも、この子可哀そう、とか、体制転換を!とかを声高には言わない。それは私達が考えればよいの。考えたところで何もできないんだけど。

本作、ロシアという体制崩壊と移行を経験した国の人が監督しているってのも印象的です。DVDには監督のインタビューが入っていて、これを以て本作がきちんと締めくくられると思います。曰く「自分はソ連の崩壊を見ており、自分の親は全体主義を知っている。北朝鮮という全体主義の国を映画にするのは、自分の家族の歴史を知るため」ですって。何か…あたしそこで感動しちゃった。このヒゲ熊おじさん監督、「自分」を知りたくてカメラかついで地球を半周しちゃったんだわって。


北朝鮮側は本作の上映禁止を求めたそうですが、ロシア政府はそれを拒否したというエピソードも、ロシアという国が、個人の思想の自由を確立している側の国なのだと暗示させていて興味深い。今、世界で最も支持されている指導者、プーチンさん(450人位からなる私のツイッター世界調べ)のロシアは、どういう国になっていくのかしら。多分、「欧米」とは少し違う方向に行くのでしょう。


監督さん、日本の人に言いたいことは?と言われて放った言葉も何だか意味深:「予防接種というのはいつか必ず効き目が切れる時が来る。だから気をつけなさい」ですって。どういう意味にも取れるこの言葉、パヨクという慢性病を押さえるワクチンも、地道に打っとかないとダメだよという訓戒として、受け取らせていただきます。

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