音をつむぐ⑳(アルバム曲紹介5曲目)
アルバム「50/50」の曲の紹介。
①いつ頃に制作したものか?
②制作当時どんなミュージシャンに影響を受けていたか?
③歌詞を書く上で影響されていた作家、読んでいた本は?
【「50/50」アルバムの5曲目「春風」紹介】
①いつ頃制作したものか?
20代の後半、右行こうとしてもダメ、左もダメ、もちろん前にも進めず、後ろにも戻れず、なんだかどうしようもない時ってあります。
そんな時、なぜか人間は笑ってしまうんです。春の風に吹かれながら、涙さえ出ず、街の中で突っ立ったまま。2000年の春、28歳の時の出来事です。その時に作った歌が「春風」。
②制作当時どんなミュージシャンに影響を受けていたか?
当時、奥田民生なんかを結構、聴いていたと思います。ビートルズのホワイトアルバム、アビーロードなんかも。
③歌詞を書く上で影響されていた作家、読んでいた本は?
この頃は、うろ覚えですが金子光晴の詩集、自伝的小説などをかなり読んでいたと思います。この頃、なにもかもうまくいかず、少し自暴自棄にになりかけていたので、深く共鳴したように思います。
■「ねむれ巴里」金子光晴
金子光晴
明治28年(1895)、愛知県に生まれる。早大、東京美術学校、慶大をいずれも中退。大正8年、『赤土の家』を出版後渡欧、ボードレール、ヴェルハーレンに親しむ。大正12年、『こがね虫』で詩壇に認められたが、昭和3年、作家である夫人森三千代とともにふたたび日本を脱出、中国、ヨーロッパ、東南アジアを放浪。昭和10年、詩「鮫」を発表以来、多くの抵抗詩を書く。
ねむれ巴里
中国から香港、東南アジア、そしてパリへ。夫人三千代との流浪の旅は、虚飾と偽善、窮乏と愛欲に明けくれるはなやかな人界の底にいつ果てるともなくつづく。『どくろ杯』につぐ、若き日の自伝。
■「絶望の精神史」金子光晴
自分の才能に絶望し、音楽を諦めようにもそれができない自分にも腹が立ち、経済的にも困窮する時に出会った「絶望の精神史」。
この本に救われた部分があり、金子光晴の容赦ない言葉の数々。
ただ、その言葉には「微塵も嘘がない」ところに僕は惹かれたのでした。
最後まで読んで頂きありがとうございました。