自己肯定感って何だろう?
『自己肯定感』
よく使われる言葉だが、いまだにその意味はよくわからない。なんなら、『自己否定感』の方がまだしっくりくる。ずっと、何から何まで自分はダメだ、存在そのものがダメだと思って生きてきたので。では、自己肯定感はその逆なのか?と考えると、それも違う気がする。何から何まで正しくて、存在そのものが良いことである。なんかちょっと怖い。
思うところがあって心理系の本をちょっと読んでみたりしたけれど、やっぱりよくわからない。というか、みんな言うことが違う。自己肯定感は必要だとか、やっぱり要らないとか、良いものだとか、それよりも大事なことは他にあるとか。自己肯定感について書かれた文章を読んでも、つかみどころがなくて、大体が煙に巻かれた気分で終わる。たぶん、自分と遠い存在すぎて、実感ができないせいもある。遠い遠いアンドロメダ星雲にあるブラックホールの研究を読んでもよくわからないのと同じだ。想像ができない。
さて、そういう状態で38年間生きてきて、諸事情によりカウンセリングを受けることになった。そこでカウンセラーが何をしてくれたかと言うと、まず徹底的に私を肯定した。
うまくいかないこと、たとえば「子供にものすごく怒ってしまうんです」とか相談すると「そうなんですね」。それはいけないですね、とか否定しない。「私は本当にダメだと思います」と言うと、「ああ、そう感じるんだね」否定しない。その原因を自分なりに考えてみて、それがどんなに偏った考えであっても、「うんうんそう感じたんだね」と肯定する。やらなきゃいけないことができないことも、子供にきつく当たってしまうことも、やめたいと思うことを繰り返してしまうことも、「仕方がないよ、そういうこともあるよ」と本当に何一つ否定しない。
否定されたり、ダメだしが当然で、「こんなことを言ったら怒られる」と思いながら話しているので、怒られないどころか、1mmたりとも否定されないことが衝撃的だった。
許されるというシンプルなことが、どれほどその人の考え方に寄与するのか、カウンセリングを始めてすぐに分かった。
カウンセリングルームに入ると、何でも話せる。話せるだけじゃなく、今までに感じたこともない感情が次々に出てくる。自分がそんなことを感じ、考えてきたなんて、ちっとも知らなかったようなことが、自分の口からバンバン出てくる。しまいには、カウンセリングルームに一歩入るだけで、抑えていた感情があふれ出して泣き出すようになった。
そこでようやく、自分が今まで365日24時間、常に「怒られるのではないか」「きっと否定されるだろう」とびくびくして生きてきたことに気が付いた。否定があまりに当然のことすぎて、自覚すらしていなかった。
「ああ、そう感じたんだね」
「なるほど、素晴らしい考えだと思う」
「それは本当につらかったね」
「できなくても大丈夫」
そうやって、今まで生きてきた中で受けてきた肯定の一億倍くらいの肯定を浴びた。猛烈な肯定のシャワー。カウンセリングを重ねて何十時間も肯定シャワーを浴び続けていると、少しずつそれが自分の中に浸透してくる。そして、私の中に小さな芽が吹いた。
自分が感じることを、自分に許す。
自分の考えたことを、自分で否定しない。
自分のことを自分で応援してあげる。
小さな芽は、私の中でぐんぐん育ち始める。
悲しむべきことがあったら、悲しむことを自分に許す。
こうしたいと考えたことに、自分で否定の言葉を投げかけるのを、やめる。
今までの自己否定の習慣が強すぎるから、最初はすぐにはできない。何かを感じたとしても、意識に上る前に無意識のうちに否定してしまい、気が付かない。そんな時は、家に帰ってから夜、時間をとってゆっくり自分の無意識を向き合ってあげる。
ポイントは、幼児に話しかけるように自分の声を聞くこと。
何がイヤだった?
悲しかった?
傷ついた?
本当はどうしたい?
繰り返しているとだんだん分かってくるけど、大人とは名ばかりで本心なんてものはまるで理性のない2歳児だ。
やりたいことをダメと言われれば、悲しい。
寂しいときには、誰かに甘えたい。
暑い寒いはイヤ。
疲れた不機嫌になる。
赤ちゃんみたいにヨシヨシされたい。
今までそういった欲求や感情を全部、無いものとしてきたけど、在るものは在るとして認めてあげる。
一つ大切なことは、2歳児みたいな感情は認めるけれど、感情のままに行動するわけではないということ。つまり、感じたことは絶対に否定しないし、喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも、感じたことは私にとってまぎれもない真実だけれども、それをそのまま人にぶつけることは、別物。
例えば、仕事で理不尽なことがあって怒りを感じたら、それを絶対に自分で否定しない。なんなら、相手に対して「コンニャロー許さないぞタンスの角に小指をぶつけちまえ!」と思う。ただし、礼儀としてそれをそのまま伝えるのは失礼にあたる。また、一時の感情で自分が誤っていることに気づいていない可能性もある。そしてそういう暴言を吐くことは当然社会的立場が危うくなる。そういういろんなものを考えて、感じたことをそのまま口には出さない。
例えば、嫌な仕事をやらなきゃいけないとき、悪い例として、
「嫌だなと感じるが、『仕事なのでそんなことを思ってはいけない』と感情を否定する」
これは、自然な感情を押し殺すことなのでダメ。
「嫌だなと感じたので、態度に出して嫌がる。またはふてくされて周りに察してもらおうとする」
これは、大人としてダメ。
私が心がけているのは、
「嫌だなと感じ、自分の中でそれを認める。しかし、それはそれとして、やるべきことはきちんとやる」
これは、自分の気持ちを押し殺さないし、責務もちゃんと果している◎
『自分の気持ちを否定しない』を徹底していくと、『自分は尊重されるべき存在である』と自分が認識していく。
すると、どんどん自分を大切にできるようになっていく。
自分を大切にすると、『自分には大切にされる価値がある』と信じられるようになっていく。
自分を尊重する習慣がつくと、間違えることや失敗することが怖くなくなっていく。
うまくできなかったときだって、自分に「がんばったね」と言えるようになる。
チャレンジするのが怖いときも、「失敗しても大丈夫だよ、がんばれ」と自分を応援できるようになる。
どんなときでも自分が自分の一番の味方でいられるようになる。
自己肯定感って何だろう? と考えたとき、私にとっては、
『自分が自分の一番の味方でいること』。
今まで、親から教えられた価値観とか、世間とか、規範意識とか、こうじゃなきゃダメとか。そういうものと一体になって、自分で自分を殴っていた。その手を、止めよう。もしもそれら全部が自分の敵だったとしても、自分だけは自分の味方でいてあげよう。
生まれてから死ぬまでずっと味方でいてあげられるのは、自分だけだから。自分の中にいる、純粋で、素直で、あるがままの2歳児を、愛してあげよう。