私を救ってくれた言葉たち
休職をしてから4ヶ月。
うつ病を患い、再起不能かと思っていたあの頃から2日後に復職を控えるまでに回復することができた。
この4ヶ月間、私は人の言葉と優しさに沢山救われた。
私をここまで生き延びさせてくれた大切で宝物のような言葉たちを絶対に忘れたくないので、ここに記しておきたいと思う。
本当に幸せで恵まれていたと思うことは、この休職期間に寄り添って背中をさすってくれる友人がいたことだったと心から感じている。
過度に私を丁重に扱わず、いつも通りのおふざけと茶化しで笑わせてくれながら、少しだけいつもより私にたくさん連絡をくれて、少し多くの時間を割いてくれた。彼女たちのおかげで、別になんら変わらないいつもの私が生きていられた。
私がここまで立ち直ったのは、彼女たちがかけてくれた言葉、作ってくれた時間、貸してくれた肩、飾らないいつも通りの空気だったように思う。
私は自分で自分のことを結構人に頼ってる方だと思っていた。一人でいるのも好きだけど、私は人といる時間で癒される。
辛い時はすぐに弱音も愚痴もこぼすし、すぐに誰かに会いたくなる。
休みに入る前もそうやって息抜きをしていたつもりだったけど、この言葉をかけてくれた友人からすれば私は弱っているのに頑張ろうとしすぎていて、無理だと言えばいいのに、自分でなんとかしようとしていたと。
友達なんだからもっとワガママを言って欲しいし、頼って欲しい。それは負担でも迷惑でもない。頼られて嫌なことは一つもないからもっと頼っていいんだよと。その代わりに私も頼らせてもらうからね、と。
どこかで彼女の負担になってしまっているんじゃないかと感情をセーブしていたことを気付かされた。
その日以降、すべての弱音を彼女にぶつけるようになって、心がどんどん軽くなっていたように思う。
休職をした時、どうしても自分の頑張り不足だと疑わなかった。
周りは出来るのに自分が出来なかった、と自分の落ち度だと責めた。自分で選んだ転職という道を誤ってしまった。ちゃんとした判断が出来なかった。とにかく過去の自分も今の自分も全部失敗だと思っていた。
「私はたまたま今の職場が合っていただけ。別に何も素晴らしくないし偉くない。」と彼女は言った。
私を肯定してくれる言葉は、当時の私にはあまりにも温かかった。
これは昨日、友人がかけてくれた言葉。
頑張らない頑張らない、と言い聞かせている私に「もしかして会社のこと考えてる?笑」とニヤニヤしながら言ってくれた。
「ただ行くだけでいいよ、そんで無理だと思ったら帰ってきな、その日在宅で家にいるからさ」
別にダメでもいい。無理でもいい。無理だった時に待っていてくれる人がいる。
ちゃんとしないととどうしたって身構えてしまう私を解き放ってくれる魔法の言葉だった。
色んな人が言ってくれる「無理せず」という言葉。
とてもありがたくて力になる言葉だけど、心のプロがかけてくれる「無理ぜず」はプロだからこその力があった。
無理をしない自分をどうやって作るのか。
「一時間に1回休憩を挟む」「定時の15分前から帰ることに集中する」「家に帰ってグッタリしていたら過ごし方を見直す」etc…..
単に励ましの言葉としてではなく、無理せず生きるの指南。
私のことを完全に第三者として冷静に専門的に支えてくれて、裏付けのある心の安全性が保たれたように思う。
休職期間に配信されていたことが偶然とは思えないほど、私が救われた映像作品が韓国ドラマ『ドクタースランプ』。
最終回で、仕事に復帰し、前に進み始めた彼女がメンタルクリニックを卒業するシーンで主治医がかけた言葉が心に残っている。
自分が壊れてしまうというのは、人生の中でもそうそう訪れない怖さを伴う辛く苦しい時間。その不幸と呼べる時間から回復するということで、自分を少し信じられるようになる、というのはとても心強かった。
今日より明日の私は、昨日の私よりもきっと少しだけ不幸に強い。
回復のことを簡単に「元気になる」「幸せになる」と言わず、不幸に“強くなる”という言葉で私も自信をもらった気がする。
うつ病で仕事を辞めた主人公の女性が立ち直っていく過程を、ラブコメと絡めながら重たく扱いすぎず、けれど心の不調に関して丁寧に描かれている作品なので、気持ちに余裕がある人には是非オススメしたい。
ハッとさせられた言葉だった。
自分のことを被害者だと思ってこそいなかったけど、社会から外れてしまったマイノリティという意識が心の何処かにあったような気がする。
私と接する人はきっと慎重になるし、どこか哀れな目で見ているんだろうなと無意識に思っていた。
会社に戻ったら気を遣われるだろうなとか、前の部署の人の視線が気になるだろうなとか、そんなことを考えていたことは事実で。気が引けたし、でもそうやって扱われることも当然だと思っていた。
どこかで無意識のうちに自分をかわいそう認定をしていたのかもしれないと思わされた。
私はかわいそうじゃない。
その意識を持つだけで、少しだけ重たい鎧が剥がれるような気がした。
無力感に押しつぶされてしまいそうで、毎日自分を否定し続けていた休職初期。一人暮らしの私の家にご飯を作りに来てくれた母が、泣いている私に小さな声でかけてくれた言葉。母はいつも「大丈夫」と言ってくれた。
私は何も出来ない人間じゃない。
歩けない喋れない、この世に生まれて何も出来なかった私を生かし育て、曲がりなりにも30年生きてきたことを一番近くで見てきた人からもらった言葉が、何よりも根拠のある「大丈夫」だったと思う。
ほんの一部に過ぎないけれど、私は本当にたくさんの言葉に救われた。
このnoteを通して出逢った言葉にも数えきれないほど救われたと思う。
このネットの先にいる、一緒に前を向きたい仲間、偶然通りかかって私の記事に励ましや共感のコメントをくださったその時間と想い。
遠くにいる今ちょっと辛い誰かの温かく柔らかい勇気を覗いて、私もその力のお裾分けをもらったり。
こうして、日々気づいたことを言葉として記しておくことで、過去の私に私自身が救われたことも沢山あった。
言葉に生かされた4ヶ月だったように思う。
私の言葉が誰かにとってほんの少しだけでも、支えになっていたら嬉しいなと心から思っているし、私じゃない誰かの言葉でまた違う誰かが救われていてくれたら嬉しい。
どうか、今辛く苦しい全ての人にとって、優しく温かい言葉が一つでも多く、お布団のようにかけられていればいいなと思う。