日々を甘やかすひと手間
日常の中で心の栄養を受け取るのが上手になったような気がする。
ふとそう感じたんだけど、明確に何がと考えたら、喜びが身近になったのかなぁとぼんやり浮かんできたので書き起こしておきたい。
ここ最近「嬉しいなぁ」と思うことが以前に比べて増えた。
毎日何かに「嬉しいなぁ」と思っている。ハッピーのハードルが下がったのか、ハッピーの受け皿が大きくなったのか、どちらにせよポジティブなエネルギーの受容判定がガバガバになった。
だからと言って毎日ハッピー!ハッピー!人生サイコー!なのではなくて、相変わらずうつ病持ちの気分の波に振り回されたり、疲れて床と一体化したりする日々を送っている。
そういう時に、貯金しておいた「嬉しいなぁ」を思い出すとじゅわ~っと脳内にある黒々とした闇が溶かされる感覚がある。
これって、もしかしてセロトニンが出ている!??!(安易)
今もまだ薬を飲みながら「日常生活(ドーピング編)」をお送りしているわけだけど、自主的に喜怒哀楽の特に喜の部分を生成できるようになってきたのかもしれない。嬉しい。追い嬉しいしちゃう。
季節も感情も、4つ揃うといいですよね。
ようやく秋ですね。
怒哀楽って割と人生の序盤から量産していたような気がするのだけど、喜って特別な時にしか意識してなかったなぁとふと思った。
今はコンビニでお気に入りのスイーツに値引きシールが貼ってあるだけでも「嬉しい!」って思うようになったけど、前は何か特別なことが起こらない限り喜びを体感できなかったような気がしている。
喜びの感情だけちょっと高価で背伸びをしないと手に入らない人生だった。
何かを頑張ってやり遂げたり、目に見える成果を評価されたり、結果を出してようやく嬉しいと思えた。そのくらい、遠くて小さなものだった。
勿体ないな、日常のあちこちに喜びは転がっているのにね。
気にかけていた新人ちゃんが元気そうだとか、待ち望んだ秋!20度台前半の気温!とか超絶嬉しい最高案件なのに、しっかり「嬉しいなぁ」に消化できていなかったのかもしれない。だから積極的に口に出してる。
人間の脳がいかに単純かを、脳を壊してまた再生した私は強く実感しているので、最近なんでも視覚と聴覚に訴えて思い込ませるようにしている。
朝起きて、なんか今日涼しいと思ったら「嬉しいなぁ」て言うし、会社で同僚にお菓子もらったら「嬉しいですぅ」って言うし。
耳に「喜」をひっきりなしに聞かせてあげるようになってから、少し変わったような気がしている。
嬉しいが喜を生み、喜がセロトニンを生み、おかげでもっと嬉しい。
言うなれば『喜びのマルチ商法』である。(綺麗な言葉じゃなくてすまん)
元気になれないなぁと思う時がある自分もまだ沢山いて、でもそんな時に半ば強引に脳みそを勘違いさせるようにするだけでも大分違うのかなと思う。
なんか今日はいつもより髪の毛がまとまるなとか、今日も推しが可愛いなとか、金曜日だなとか。
嫌じゃないことの語尾に一言だけ「嬉しいなぁ」って付け加えるだけで、一気に私の周りの彩度が上がるような気がする。
そんな些細な事でってことでいいから、少しでも心があったまったり軽くなったりすることにひと手間だけ加えて。
ホットケーキにシロップをかけるみたいに。
いちごに練乳をかけるみたいに。
そんな風に、私の周りにいる人も日々を甘やかしてくれていたら嬉しい。
やだ、また追い嬉しいしちゃった。
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