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【小説】昭和、渋谷で、恋をしたり 1-1

もくじ【昭和、渋谷で、恋をしたり】

「みんな、どこから来るんやろ?」

 初めて渋谷駅前のスクランブル交差点に立ったとき、そして東京の暮らしに慣れた頃でも、ここに来るとよく思った。福岡ならばどんたく山笠でもないとあんなに人が集まることはない。それが渋谷じゃ毎日の出来事だ。

 でも、そんな人ごみの中に立っているだけで、いつも嬉しかった。ゴールを決めたサッカー選手がチームメイトに祝福されるように、渋谷に集う人たちが自分を祝福しているような気がしたからだ。


1982年(昭和55年)だった。


「自分を変えたい。」そんな思いだけで東京の大学に進んだ。今も使う言葉なのかはわからないが、心の底から「大学デビュー」を目指していた。アイドルを目指すティーンの女の子が、上京してオーディションを受けるのと同じように、私は東京の大学でオーディションを受け、無事に合格できたのだ。

 上京すると、大学の構内にある学生寮に住んだ。「学生なら当たり前」という価値観をモデルルーム化したような、古く、汚く、今にも倒れそうな木造の建物だった。

 「東京で震度3の地震が来たら、この寮だけは震度5だ」

 上級生たちが笑いながら過去の体験談を話す様子に、当初は作り笑いしかできなかった。しかし、その1年後には全く同じセリフを後輩たちに言っている自分がいた。

 この寮は、滑稽さと誇らしさの同居が魅力として成立する力を秘めていたのだ。そんな古くて、不思議な寮だったが一つだけ他校の学生からも羨ましがられたことがある。それは立地だ。渋谷から井の頭線で2駅。自転車さえあれば、10分たらずで渋谷に行ける上に、超格安の家賃。

 隣の部屋のラジオの音が聞こえるほど薄い壁にも、先輩たちが引き継いできた滑稽さと誇りが染み込んでいたのだ。


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東京は甘くなかった

 カメラが趣味だったので、大学に入るとカメラが役に立ちそうなサークルの飲み会に片っ端から参加した。そして天文サークルの飲み会に参加したとき、私の恋が静かに始まった。その相手は和美(かずみ)だった。


 背は低く、腰の上あたりまで黒い髪がまっすぐに伸びていた。となりに座っていると時折シャンプーの香りが漂った。

 笑うと丸みのある頬が釣り上がり、ルージュが引かれた唇が弾んでいた。その和美が、純粋に星空を眺めるのが好きだという理由で天文サークルに入ろうとしていたので、私も迷うことなく天文サークルに入部した。


 実はそれまでも新歓コンパにはいくつも参加していたが、気になる女の子となかなかうまく話せなかった。和美が他の女の子と違ったのは、鹿児島の出身だったこと。

 福岡で鹿児島出身者に出会っても、すぐに親近感を覚えることはないだろう。でも、東京で出会えたことで、無理なく、嫌がられずに同じ九州グループに所属できたのだ。

 それは「遠くから東京にやってきた」という薄い共通項なのだが、この年頃の大学生にとっては、目に見えない「絆」という手触り感を確かめるために必要なことだったのだ。

 しかし同じサークルの中で、勝手に作った九州グループにいたからといって、簡単に和美に接近できたわけではなかった。

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 大人数で飲んでいる時は先輩に遠慮したり、笑いの中心になれる同級生に圧倒され、和美とうまく話すことができなかった。そんなとき、高校生の自分に逆戻りした気分だった。

 東京で暮らすだけで自分は変われると思い込んでいたが、そんなことはない。この頃は天気が変わるように、それに気づきたくない自分と、気づいて自己嫌悪する自分が日替わりで登場していた気がする。

 その理由は簡単だ。勉強だけを武器に必死に東京まで登ってきた。しかし日本中の成績優秀者が集まる大学に入ったおかげで「成績トップ」という唯一の看板を降ろされてしまった、ヴァージョンダウンした自分がいたからだ。


 福岡から東京に向け、美しい放物線を描いたはずのロングシュートは、ゴールマウスから大きく外れていたのかもしれない。取り柄を失い、捨てたはずの過去の自分に直面すると、浮かれた自分にしらけ、ただただ焦ることもあった。東京は甘くなかった。


1-2へつづく
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