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Books, Life, Diversity #19

雨は苦手で気持ちが落ち込むのですが、けれども、こういう日だからこそ家に籠ってのんびり本を読むことができると思えば、少しは気分もまぎれます。そんなこんなで第19回。

「新刊本」#19

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ジェームズ・ブラッドワース『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した 潜入・最低賃金労働の現場』濱野大道訳、光文社、2019年

イギリス人のジャーナリストである著者が、私たちが普段当然のものとして享受しているさまざまなサービスの背後に隠されている現実を暴くため、アマゾンの倉庫でピッカー(注文された商品をピックアップする仕事)をしたり、あるいは訪問介護やコールセンター、そしてウーバーのドライバーなどの現場に潜り込み、実際に労働をした記録です。原題はHired、一時的な雇用ということで、これらの職場で働く人びとの置かれた不安定な状況を表しています。

私はメディア論を専門にしているのですが、いまだに、「現代の新しいメディア技術やサービスが、新たなライフスタイルやコミュニケーションを云々」という主張を耳にします。そしてその度に(物流の限界が叫ばれるようになるずっと以前から)いやいや、そういった言説の裏では現実の人間の労働があって、それがきらびやかなバーチャル幻想を支えているのだから、それを見逃しては危ないですよ、と反論していました。いまでこそ当たり前と思われるかもしれませんが、ほんとうにほんの少し前まで、それは本質的な議論じゃないでしょという反応が多かったのです。けれども逆ですよね。そういった現実の、人びとの労働にこそ本質があるはずです。アマゾンでぽちれば翌日に荷物が届くとか言っている人の大半が(私もそうです)ピッカーをやったこともない。でも、そこに目が向かないメディア論は、私はあまり信用できないのです。

先に紹介したベイルズの『環境破壊と現代奴隷制 血塗られた大地に隠された真実』(大和田英子訳、凱風社)もそうですが、テクノロジーは決して魔法みたいに突然そこに現れるものではありません。この現実の社会なり自然環境なり人間の生なりから連続して生み出されたものだという認識がなくてはならないはずです。そして現代社会において、それらの問題は、つまり環境破壊やら異様な排他主義やら人間の生の破壊やら非人間的な巨大資本やらは、すべて繋がっている。けれども同時に、それらを知り、理解し、対抗するには、それらによって作り出されたテクノロジーを通して戦うより他はない。そういった、ぐるぐると渦巻いた矛盾のなかでしか、私はメディア論は語れないと思うのです。例によって熱くなってしまって訳が分からなくなるのですが、そんなこんなに関心のある方にはお勧めする一冊です。移民や経済的に貧しい状況に置かれた人びとに対して、システムがいかに非人間的な労働を強要し、そしていかにそこで人間性が破壊されていくのかということが、難解な表現など一切なく(何しろ著者自身がそこに飛び込んでいって体験した記録なのですから)ストレートに描かれています。

当然、ではどうしたら良いのかという解決方法が示されるわけではありません。確かに、アマゾンのサイトでクリックしているとき、私たちは(というよりも私は)大抵、そういったことを忘れてしまいがちです。けれども少なくとも、私たちはテクノロジーがコストゼロだなどという幻想からは手を離さなければならないと私は思います。今回のコロナ禍でアマゾンや(本書で扱っている配車サービスではありませんが)ウーバーイーツが注目されているいま、お勧めの一冊です。

「表紙の美しい本」#19

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蔡志偉、黃千育『昆蟲與植物的愛戀變奏曲 A Romance Between Plants and Insects』國立臺灣博物館、2019年

国立台湾博物館で2018年12月から2019年9月まで開催された展覧会「昆蟲與植物的愛戀變奏曲 A Romance Between Plants and Insects」のカタログです。いやこれカタログなのかな。オールカラーで、植物と昆虫の美しい写真が充実した立派な本です。ただ、虫が苦手な人にはちょっと辛いかも……。あるとき何もかもが嫌になり、十数年ぶりの海外旅行で台湾に行った折に購入しました。表紙がとても可愛いですね。そしてこの表紙、紙ではなく布性です(たぶん)。手に持つと、ふかふかしていてとても心地良い。このピンク色のおめでたい感じとふかふか感、何かに似ているな……と思っていたのですが、あるとき分かりました。昔、小学校とかの運動会があると、紅白饅頭とかってもらいませんでしたか? 運動会ではなかったかな……。ともかく、あの紅白饅頭の紅の方、あれに似ているんです。可愛くて、おめでたい感じ。私は美術館や博物館に行くと大抵カタログを買ってしまうのですが、日本だとこういう感じの装丁、なかなかない気がします。心が明るくなります。美術設計というのが装丁に相当するのでしょうか、張慧娟という方によるものです。

「読んでほしい本」#19

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アンドレイ・プラトーノフ『プラトーノフ作品集』原卓也訳、岩波文庫、1993年(2刷)

ソ連の雪解け後にようやく再評価されるようになった作家プラトーノフの中短編集。大学時代にたまたまこの本を手に取り初めて知った作家ですが、素晴らしい作家です。同じくプラトーノフでは『土台穴』も名作なのですが、私にはこの悲劇がちょっと重すぎて……。

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プラトーノフ『土台穴』亀山郁夫訳、国書刊行会、1997年

きょうはせっかく紅白饅頭的に気持ちが上向きなので『プラトーノフ作品集』の中にある『ジャン』を紹介します。これは、読むと何かすごく前向きで明るい気持ちになる小説です。明るいと言っても、わはは! という明るさではなく、登場人物たちの置かれた状況は悲惨のひとことですし、何かが根本的に解決するというわけでもないのですが、けれども物語全編を通して、人間に対する本質的な信頼があり、それが爽やかな読後感につながっています。主人公のチャガターエフは、党からの指令を受け、自らもその出身である、辺境に打ち捨てられた人びとの集団「ジャン」を救う任務に出立します。そしてようやく帰り着いたその土地は彼が居たころよりもさらに生活状態が悪化しており、チャガターエフの、そしてそこで出会った少女アイドゥイムの奮闘にもかかわらず状況はいっこうに改善しません。けれども最後の最後でようやく党からの支援物資が届き、さあこれから! というときに……、というお話です。と書くと何だか悲劇的な終わりのような雰囲気になってしまいますが、そうではないのです。副題は「ジャンとは幸せを求める魂のこと」。チャガターエフもまた文中で次のように言います。

「僕はその民族を知っていますよ、そこで生まれたんですから」チャガターエフは言った。
「だからこそ、君をそこへ派遣するんだよ」書記が説明した。「その民族は何てよばれているんだい、おぼえてないかね?」
「別に呼称はないんですよ」チャガターエフは答えた。「でも、自分たちでちょっとした名前をつけてますがね」
「どんな名前を?」
「ジャンです。これは、魂とか、いとしい生命とかいう意味でしてね。この民族は、女性である母親が産んだことによって与えてくれた魂や、いとしい生命以外に、何一つ持っていなかったんですよ」(p.77)

そう、私たちは本来何も持っていない……。そしてそのまま歩み去っていくのだけれど、そこにこそ自由がある。何だろうな、安っぽいハッピーエンドではないのだけれど、この物語は人間が生きるということの力強さを本当に美しく描いているのです。ラストシーン、荒れ地をばらばらに散らばっていく人びと……。自由であること、生が制御不可能であることの素晴らしさが伝わってきて、読んでいる自分もどこかへと解放されるような気持ちになります。

プラトーノフ本人はスターリン時代に不遇のうちに亡くなったとのことです。これほど優れた作家が埋もれていたということはほんとうに恐ろしいですし、けれどもいまは読めるのだということに、喜びと、本というものが持つ力を感じます。

この一連の記事では、出版支援として以下のプロジェクト/情報へのリンクを毎回貼らせていただきます。


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