種を蒔く量は適切か?結果を出すための種蒔きとは
4月になり、新たな生活が始まり、それに伴い、目標を立てる方も多いと思います。目標を達成する上で自分が大切にしている考えを整理したいと思います。
努力の3つの指標
世の中には「自分は運が悪いから結果が出ない」、「チャンスが来ないから結果が出ない」といったことを言う人は少なくない。あげく、成功した人に対し「○○さんだからできるんだよ」的なことを言ったりする。
いわゆる結果を残せない人の典型例だ。こういう人は何が足りないのか?
世間的には「努力が足りない」とい言うのだけれど、この努力とは何なのか。努力には3つの指標がある。
■方法
■質
■量
今回は量について論じたい。
なぜ量なのか?
量をきゅうりの収穫を例にしてみる。
きゅうりを収穫するには種を蒔く必要がある。種を蒔かなければそもそも収穫できない。
みんな、そりゃそうでしょ!と言うだろう。
ここで僕が述べたいことは、目標収穫量に対して蒔く種の量が足りているか?である。
例えば、きゅうりを100本収穫したいとする。その場合、最低でも蒔く種の量は100本分必要である。
いくらきゅうりを育てる方法を知っており、精度高く育成できたとしても、そもそも100本分の種を蒔かないことには100本という目標には届かない。10本分の種で100本は収穫できない。
よって、量という指標は結果を残す上では一番重要な要素といえる。
何本分の種を蒔けば良いのか?
100本収穫するという目標に対して、100本分の種で足りるのだろうか?
答えは、十分かもしれないし、場合によっては不十分かもしれない。
なぜなら、収穫するまでに虫に喰われたり、もしかしたら腐ってしまうという不確定要素を含んでいるからだ。
ではその不確定要素を加味して何本分の種を蒔けば良いのか?
110本分の種を蒔けば良いのか?
答えは、110本分の種で100本収穫できることもあれば、できないこともある。加えて、できる人もいれば、できない人もいる。
では、何本分の種を蒔けばよいのか?
今回の論点はここにある。
100本を収穫するという目標に対して、例えば、
Aさんの場合
100本収穫したいけど、たくさん蒔いても手間がかかるので100本分の種を蒔いておこう。結果、80本の収穫。
Bさんの場合
100本収穫したいので少し多めに130本分の種を蒔いておこう。結果、110本の収穫。
Cさんの場合
絶対に100本の収穫は死守したい。1本でも少なくしたくない。よって、倍の200本分の種を蒔いておこう。結果、100本の収穫。
同じ100本の収穫という目標にたいして、3人いれば3パターンのアプローチがある。
10人いれば10パターンのアプローチがあるだろう。
Aさんは結果未達で論外。Bさんは比較的効率よく目標達成。Cさんは不効率ながらも目標達成。
この結果を見てみんながやりがちなのが、Bさんが一番効率よく結果を残しているから、じゃあ僕も130本分の種を蒔こう!と安易に考えることである。
もしかしたら、Bさんには、きゅうりを効率よく育てる知識もあれば経験もあるため、目標が達成できたのかもしれない。もしくは、偶然達成できたのかもしれない。
要は、Bさんが出しだ結果は再現性があるのか?をきちんと理解した上で同じ方法を行っているのかが重要である。
仮にきちんと理解したとして、同じように実践して結果がでるのだろうか?答えは、出せる人もいれば、出せない人もいるだろう。
ここで何を言いたいかというと、結果を達成することに対し、種蒔きが十分に足りているのかどうかは人それぞれであるということだ。
自分は何本分の種を蒔くべきか
結果を残すための努力には、方法・質・量の3つがあると述べた。その中でも量が重要なのは、そもそもの量が足りていなければ、結果が残せないからである。
よって、結果を残したければ兎にも角にも先ずは最低限の量にする必要がある。
そして、量が目標量に届いているにも関わらず結果が残せない人は、自分の能力に見合った量になっているかを検証する必要がある。
自分の能力が足りていないのであれば、先ずは努力の絶対量を増やし、方法と質をカバーしていくしかない。
量という絶対数があるからこそ、色んな施策を行うことができ、それに伴い方法と質の精度があがってくる。
もちろん、センスや感覚で必要最低限の量で結果を残す人も世の中にはいる。でも、その人を羨ましがっていても自分が結果を残せるわけではない。
僕自身も、頭が良いわけでもなければ、秀でたスキルをもっているわけでもない。そんな凡人が結果を残すためには、他人の何倍もの数の種を蒔くほか、方法はないと思っている。
いくらバカでも、1000本分の種を蒔けば100本収穫という目標に対して達成確度があがってくる。
何か目標をもって日々ワークしている人には、先ずは種を蒔く絶対量を増やしてほしいと思う。