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ミュージカル『憂国のモリアーティ』の話。






⁂はじめに⁂


いまだに、足を踏み入れた『きっかけ』が分からない。
"日比谷"の本作発足のニュースがあった時は、薄らぼんやりと見た記憶はあるけれど、本作の決定的な観劇には至らなかった。

原案の『シャーロック・ホームズ』シリーズに特別力を入れて読了しているわけでもなかった。コロナ禍の最中ではあったけれど、ただOp.3が大阪で公演があると聞いて、気が付けばふらっとチケット取ってふらっと劇場に足を運んでいた。

楽しかった。
2.5次元でも、こんなハイレベルな舞台があるんだなと。
あとはマイクがいらないぐらい誰かの高音が響いていた記憶が。

あ、劇場でお気に入りのオペラグラス無くした思い出があった。


ミュージカル『憂国のモリアーティ』
(以下モリミュ)

数ある2.5次元舞台の中でも、回を重ねるたびに『2.5次元』という枠を超えていった。

『2.5次元界の異端児』だったのではないかと。

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先日、新聞で『2.5次元』の舞台関連の記事を拝読。そこを踏まえて。

今、日本発祥の『2.5次元舞台』は世界に認められつつあるのは確実で。
勿論、『モリミュ』もオーケストラコンサートを終えてもなお、国内外で高い人気がある。

ただモリミュを、原作漫画もアニメも見てきたからこそ、今後2.5次元舞台の(いやそれ以外のエンタメコンテンツ含めて)表面的な華やかさだけが独り歩きしないかという事を危惧している。

『憂国のモリアーティ』には『舞台の世界』にまつわる『物語』が掲載されている。※モリミュだとOp.2に該当する。
現実世界で起こってしまった出来事。『外側』にいる私でさえ、嫌悪に近い"怒り"は感じているのに、国内の問題に『当事者に近い人達』ほど言及や意識を向ける人が少ないのではないかと。

いや『痴態』を晒したければ勝手にすればいいだけの話なのだけれど。

劇場という場所が、非現実的で、嘘で、かりそめの場所であったとしても。そこに支払うべき『対価』が発生する。
個々に残される『想い』がある。

『痴態』より『いのち』が軽んじられる事が、私にはどうしても耐え難い。

一人の人間を悲しませることしかできない人間が、その他大勢を本心から喜ばせる事は可能だろうか。劇場か演技か茶番か、今後何に対価を支払えばいいのだろうか。『客寄せ』だけの、観客をいたずらに喜ばせるためだけの作品であっていいのだろうか。届けなければいけない所に響かない作品を披露する事は、ただ虚しい行為なのではないだろうか。

あまり熱を入れると最悪"駆逐"されるかもしれない(苦笑)。

『モリミュ』という作品がこの世界で上演されたことには意味があると思いたい。決して無下にはしたくない。今後何らかの形で本作が『届く』ように、願いを込めて投稿する。



※ミュージカル配信視聴(観劇)基準で語ります。
※初見さんにも分かりやすいように構成しています。が、これから憂モリのコンテンツを楽しみたい方でネタバレ避けたい人は物語の核心部分を書いていますので、ご注意願います。


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『憂国のモリアーティ』Op.1


『我は悪魔を討つ悪魔となろう――君は光と成れホームズ』

†あらすじ†

19世紀末、大英帝国・ロンドン。
古くから続く忌まわしき『階級制度』の元、貴族と市民、双方が相容れず共生する社会。

貴族『モリアーティ家』その三兄弟。
長男・アルバート・ジェームズ・モリアーティ
次男・ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ
三男・ルイス・ジェームズ・モリアーティ

移り住んだ『ダラム』の町も例外なく横暴な領主・ダブリン男爵の支配下に置かれていた。
男爵にわが子を殺された過去を持つ若夫婦の『依頼』の下、"表向き"ダラムの大学で教鞭をとる数学教授兼私立相談コンサルタントの『ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ』は"裏の顔"犯罪相談役クライムコンサルタントとして活動を始める。巨悪には巨悪で立ち向かい、虚栄には虚栄で立ち向かう―――『第一章・モリアーティの誕生』

ウィリアムが犯罪相談役として暗躍する中、豪華客船『ノアティック号』でエンダース伯爵による"人狩り"が行われようとしていた。
この国から忌まわしき風習・悪魔たちを一掃するための劇場型犯罪計画――『モリアーティ・プラン』を遂行するため、古くからの仲間・モラン大佐とフレッドを引き連れ、ノアティック号に乗り込むモリアーティ一行。
計画を進める中、ウィリアムは船内にて後に"好敵"であり"宿敵"となる男、『シャーロック・ホームズ』と出会う―――『第二章・ノアの箱舟』

ノアティック号の一件で、シャーロックの実力を知ったウィリアムは自身の劇の"主人公"にふさわしいか彼を試すことを企てる。
時を同じくして、ベイカー街221Bでシャーロックの『ルームシェア相手』のオーディションが開催されていた。
紆余曲折の末、今後長きにわたり傍らで難事件を解決する相棒――ワトソンと出会うシャーロック。しかし、ひょんなことからドレッバー伯爵殺しの犯人に仕立て上げられる。事件の真相に迫るにつれ、犯行の手口が『ノアティック号』の一件と酷似していることに気付くシャーロック。
自分を殺せば、伯爵殺しの『真犯人』を教えると犯人にそそのかされるシャーロックであったが―――『第三章・シャーロックホームズの研究』


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❁作品のポイント❁

◎『生演奏』
モリミュは、劇伴としてピアノとバイオリンの生演奏が聴けることが最大の魅力。なおモリアーティ陣営の心情(生活音)はピアノ中心。シャーロック陣営の心情(生活音)はバイオリン中心で表現されている。
なお作中、シャーロック陣営の"アドリブ(無茶ぶり)"が多いため、バイオリニスト・林周雅氏は細かい芸を仕込まれたり、仕込んでくることが多い。
※第二章にて、シャーリー『探したぜ数学者』のポーズを密かに真似する裏シャロこと林周雅氏は映像にバッチリ収まってます。

◎『モリアーティ・プラン』

『犯罪』によって貴族の蛮行を『劇場型犯罪』として世に知らしめ(Op.1~Op.3で語られる部分)、貴族・市民にとって"共通の敵"をつくる計画。(Op.4で語られる部分)最終的に『人の死』を通じ、貴族・市民の”意識改革”に繋げ、『階級社会』を撤廃させることを目的としている。なお、モリアーティ陣営の『死』によって全ての計画は終焉する。(Op.5の”肝”になる部分)
個人的見解:一見、国のための『自己犠牲』に見えるけれど、なんだろう。
拭いきれないきな臭さは(笑)
結局『暴力』で解決しようとしているからかなぁと。知恵と権力使えるなら、それをフルに使えばいいのにと思ったけれど、そこツッコミだしたら話成り立たなくなっちゃうか。

◎『モリアーティ三兄弟』
表向きは、長男・アルバート、次男・ウィリアム、三男(四男)・ルイスの『三兄弟』。
実際は長男と次男・三男(孤児院出身)に血縁関係はなし。
長男には『実弟』がいたが、『美しい世界』を実現させるため(その際、ウィリアムと手を組み)、実の弟を自分の家族もろとも殺害し、代わりにウィリアムとルイスを”実の兄弟”として迎え入れている。
個人的見解:今年の4月1日にウィリアムを祝っていいかどうか迷った部分の解説。どの媒体でも一律して『兄弟としての違和感――利害の一致』で兄弟関係が成り立っている事を始終感じさせる人達。『見たら分かるやろ』を押し出してきてるの最高に面白い。
長男と次男・末弟の間に『見えない壁』が見える。言葉として当てはめるなら『遠慮』。よくよく考えたら、ミュージカル全公演の歌聞いていても、長男から次男、末弟(次男)から次男(末弟)を想う歌はあっても、末弟から長男(逆もしかり)がないなと。怖い(こわい)。
比較としてホームズ兄弟がいるのだけれど、ここはどの媒体でも血の繋がり、仲がいいのは伝わってくる。お兄ちゃん、ちゃんと弟の相手してる(笑)



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♦感想♦

最初のピアノの響きはロンドン塔の鐘の音に聞こえる。

はじまりは『大英帝国』。
華やかに栄える足元の悲惨さを伝える歌。

『地獄に希望』をと歌う歌が、後に一筋の光になる歌。

幾度か繰り返し視聴して改めて思う事は、OPの『憂国のモリアーティ』の歌い方からして"伸び”が違う。みな青々しい。
『2.5次元ミュージカル』感が残ってた頃なのではないかと。

ウィリアム役の鈴木勝吾氏もさほど高音が出ていない。
シャーロック役の平野良氏も歌声に酩酊感がない時代。

ただ、一つ言える事として。悲しい話。
ホームズ陣営*はこのころから"暴走"していました。
*シャーロック・ワトソン・ハドソン・レストレード警部

モリアーティ陣営*が真面目に物語の進行を進める中。
*モリアーティ三兄弟・モラン大佐・フレッド
(唯一ふざけていたのは、ノアティック号の話でモラン大佐役の井澤勇貴氏の制服をフレッド役の赤澤遼太郎氏が、ずっと直しているぐらい。三兄弟によるエンダース卿の説明が入ってこない)

シャーロック陣営は、もうアドリブだけで10公演ぐらいこなしてきた感じ。幾度見返しても、シャーロック役の平野良氏にレストレード役の高木俊氏ないしワトソン役の鎌苅健太氏がずっと見えない力に引っ張られている状況。
何度か配信見ている筈なのに、いつもの事だからあんまり気にしてなかった。

第三章内にて。
ひらりょシャロ「じょん、はーやーくー!!」
鎌苅ワトソン「君が指輪投げるし、走ることに慣れてないんだよ!!」
※シャーリーが投げた指輪を拾い損ねてひたすらワタワタワトソン
鎌苅ワトソン「シャーっと!!行きましょう!!」

このあたりの二人のやりとりはとても可愛い。必見。
※あと、221B訪ねてくるワトソン氏の帽子取った後のぽわぽわ頭。

あと、あれから5年経ちましたけれど。シュンリー・レストレード氏のモリミュにおける出番は増えたし、アクスタ芸は受けるし、ブロマイドも完売するようになったけれど・・・女友達は出来たかなぁ。(空を見上げる)
※アドリブの話です。怒られるわ。

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Op.3でも語ってはいますが。
ウィリアムたちの"行い”って本当に世の中にとって正しい事なのだろうか、をまず問われている気がしました。ジャンル的には『ダーク・ヒーロー』なのだろうけれど。アフターサポートが充実しすぎている『喪黒〇造』?『勧善懲悪』は、どちらかというと正典のシャーロックの側の話になってくるんですよ。

初期の段階から考えるに、貴族・平民双方の”敵”になる。事は始終語られるけれど、ウィリアム自身の意識の向け先は『基本”平民(貧しい民)”』であり、少数の権力で人を脅かす貴族は基本”悪魔”として排除対象だと。
後々、ノアの箱舟やOp.5にはつながる話ではあるので、先に言ってしまうと、『地上の悪魔を排除する』という名目で、間引いちゃいけない所まで間引きそうな勢いがある人というのが、この時点でうっすら語られると。
私的に『大英帝国を動かしているのは上の地位の者(貴族)』であるという、エンダース卿の言葉を完全に否定することは、難しいから余計にかなと。

なんだろう、ウィリアムたまに頭でっかちになるよね。
融通が利かない…訳ではないと思うけれど、『計画の想定範囲内だ』と言いながら内心意外に冷や汗かいていたら、それはそれで面白い。

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ノアの箱舟の話。

ウィリアム含めモリアーティ陣営が、改めて『英国の為に冷酷な悪魔になる』事を誓う話。
何度見返してもエンダース伯爵役・小南光司氏は悪人に見えない。
※最近、別の舞台作品で悪者感を出されているそう。つよく生きて。
※なんなら再演してもいいのよ(*´艸`*)
※その際はぜひ、現アルバート兄様の久保田秀敏氏とデュエットを。

ノアティック号の話は『場面転換』の演出が面白かった印象。
※実際映像観た方が早い演出ダイジェスト:オペラ調の演目が流れる中、エンダース卿の"不始末”を片付ける⇒オペラ歌手がメインステージに移動(船内のオペラ劇場になる)⇒時間軸が進んでエンダース卿が舞台の奈落から引き上げられる演出が入る⇒殺人を仮想にも現実にも見せつける⇒実際シャーリーも他の役者さんも客席にいるという演出。

最終的な悲劇の現場が『劇場』なので、実際の劇場も観客もフル活用した演出は、モリミュだからこそできたのではないかと。上演されたのがコロナ禍だったことを思うと、客降り以上の演出ではないのかと。

お気に入りのシーン(?)として、2つ。
エンダース卿の部屋に入って”不祥事”を目撃してしまうウィリアムのシーン。他媒体だと、おやおやと、すっとぼけた感じで入室するけれど。
とずかずか入室。意志が強い。

あとウィリアムとルイスによる実兄弟のかわいいやり取りが見られる。
※歌としては『想い』を歌うシーン。

ルイス「兄さんが計画に参加させてくれない・・・(スネチャマ…)」
ウィリアム「ごめんよおおおおおお!!!ルイスううううう!!!

ぐらいのノリはある。
※何度か見ているシーンではあるけれど、記憶の改ざんあってはいけないからと思って、今回の配信も注意深く見たけれど…間違ってないと思う。

いや、アニメでも原作漫画でもそこまでじゃないんだって(*´艸`*)
なおカーテンコールでも大佐に『おどれおどれ~(”橋の上の踊り子”やりたいって話)』ってされて、二人ともぴょんぴょんしてたのはかわいい。


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総括。
Op.1が上演された時から、すでに観客側の我々も事件の『目撃者』であり『当事者』である事を植え付けられるという。ある意味『没入感』を与えてくる作品ではあるなと。本当、今になって日比谷のニュースの一件を完全スルーしてた事が悔やまれる。

あとキャスト陣による『ゆめゆめ忘れるな!』の台詞が大人気みたいなので、ちーにいさん※、再演という形で伏線回収しませんか?

※カテコでルイスだったかな?兄さんの言い間違いの派生版。

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『憂国のモリアーティ』Op.2-大英帝国の醜聞-


『科学はみんなに平等だからな』

†あらすじ†

ロンドン・貧民街。
夜な夜な子供たちを狙った連続誘拐事件が発生していた。
エンダース伯爵以来の貴族による"人狩り"――子供が狙われることに憤りを覚える“犯罪相談役の窓口”フレッド・ポーロック。
子どもたちを救いたいが、ウィリアムたちの『計画』の邪魔にならないか思い悩むフレッド。兄貴分のセバスチャン・モランを通じてウィリアムに相談を持ち掛ける―――『第一章・パスカヴィル家の狩り』

『ドレッバー伯爵殺し』の一件で、裏で犯罪を手引きする人間―"犯罪卿"の正体を確かめるべく、生き急ぐように貴族関連の事件を追い求めるシャーロック。暴走を止めようとする相棒・ワトソンと道中、喧嘩をしてしまう。気まずい雰囲気の中、乗り込んだロンドンへの帰りの汽車の中で、"偶然"ウィリアムと再会する。再開の喜びもつかの間、列車内で殺人事件が発生。犯人は――『ジョン・H・ワトソン』。『真犯人』を炙り出すため、シャーロックとウィリアムの『推理合戦』が始まる―――『第二章・二人の探偵』

"大英帝国最大の醜聞"ともいわれる『機密文章』が盗み出された―。
英国女王の名を受け、陸軍省情報部官長のマイクロフト・ホームズは、弟のシャーロックが住まうベイカー街221Bを訪れる――『"女"に気を付けろ』と言い残して。機密文章の盗難に、一人の米国出身女優『アイリーン・アドラー』の関与が浮上した。文章奪還とアイリーン抹殺の為、MI6所属のモリアーティ家長男・アルバートが動きを見せる中、アイリーンはシャーロックと接触。行きずり珍妙な"共同生活"を始める。
名探偵を翻弄するアイリーンの『真の目的』と、彼女の運命の『結末』は―――『第三章・大英帝国の醜聞』

♦感想♦


見どころはやっぱり『シンデレラ戦争』
前々から幾度か伝えていますが、女の小さなプライドをかけた戦いは、21世紀を経てもなお続いているという戒めソング。役の力があるからか、ハドソンさんとアイリーンのチカラの入り方が違う。ハドソンさんが年頃の気娘。
あと、何度観ても2人の運動消費量がすごい歌。

他にも『Catch Me If You Can』『生まれ変わる時』『I hope / I will』など名曲が。

注目すべき名曲として『この世界を』
op.5冒頭。是非、視聴してほしい。

そして後の物語の中核を支える、謎の女・アイリーンとシャーロックの兄・マイクロフトが登場する回。あとジョンが本当にいい女房役。

そして伝説のズッコケルイス生誕物語と言っても過言…だった(笑)
※詳細はモリミュコンサートの『現地レポート』ご覧ください。

ちなみに、滑った理由が革靴以外に判明しました。
『(エア)酒』です。
モリアーティ陣営にとって大事な場面でズッコケルイスなのよ。
※『醜聞』の一幕、仮面舞踏会にて、モリアーティ陣営がやっていることは”善行”ではなく”蛮行”じゃないかと、他の弱き者を貶める貴族と同じじゃないかと攻め立てられるシーン。

これ・・・よく立て直したなと(*´艸`*)
ルイス役の山本一慶氏が、酒でも、舞台でも、人生でも、これ以上”深手”を負わないことを切に願う。


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子どもを夜な夜なハーメルンにしちゃうパスカヴィルのはなし。

配信で何度も見ている筈なのに印象が薄いんですよね。原作がアレだからか。残虐性の描写が”執拗”なんですよね。ルイスの『いい性格』している描写も割と”執拗”。

山本一慶氏は割とサラッと眼鏡外してくれてサラッと始末してくれた。
ミュージカル版いい仕事してる。

この話の怖いところ。
ウィリアムの計画『モリアーティ・プラン』は、
世間に対して”劇場型犯罪”でなければならない。だから、同じ”人狩り”のモティーフは選ばないんじゃないかという、フレッドの考え。

…『計画』についての込み入った話は別に、モリアーティ陣営、週一のミーティングとかちゃんとしてる?組織としての風通しが悪いよ?

あと、そんな犯罪の”えり好み”みたいな芸術的思考の人間だったら、教授のブ○カス度に磨きがかかるよ、フレッド。

パスカヴィルで印象深い2曲。

フレッドとモランによる『悩むな兄弟』。
モリアーティ兄弟とは別の可愛いさがある二人。
オケコンでは可愛さとエモさが大爆発してた。
ここがあるからこそop5の大佐はもっとしっかりしてほしかったなと。

『悪魔を裁くは』
リアム勝吾氏のノンブレスで歌いきってからの高音三連発みたいな歌。
聴いてる側も、音程難しそうだなというより、よく歌いきれるなという気持ちで聞く曲。

機会があれば聴いていただきたい。

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二人の探偵の話。
という名目の221B凸凹コンビの話。
ここでも221Bは自由でした。

前回、ホープの事件で謎の真相にいる相手―ウィリアムに囚われてしまったシャーロック。イラつくシャーリーが本当にヤバい人の動き。
ジョンが本当にいい女房役(大事な事なので)。

シャーリーが銃を乱射した後かな。レストレード警部のアドリブとジョンのツッコミが光ってる。

(こんちゃ~)』『媚びなくていい!』

相棒と激しい口論後、食堂車にてウィリアムと再会シーン。

座席の背もたれを『ぺぺぺぺぺぺ(ここ空けてって)』ってするシャーリーがかわいい。

記憶的にルイスにグイグイもたれかかるイメージあったのに、どっから拾ってきた。

シャーロックによる、”犯罪卿”がウィリアムか、人物像を探るシーン。
アニメ版だと、ウィルはわりと堂々としてるのに対し、ルイスが焦っている感覚。ミュージカル版はルイスが割と静かに殺意を抱いている印象。ウィルがシャーロックに自分の事をどこまで把握してるか話を聞きだそうと、ずっとグイグイしている印象。
列車の話は割と好きで、ウィルとシャーリーが掛け合いのように謎解きしながら歌う。Op.3のダラム大学の話にも通じますが、出会い方が違うかったらいい同士になったんじゃないかと連想させるようなシーン。

ここでも、二人の『性格』の違いが出るのが印象的。
シャーロックは正典通り、一つ一つの物的証拠から真実に辿り着く。
ウィリアムは、真実に辿り着く為なら手段選ばない。
(なんなら心理戦で揺さぶる)
ウィリアムのこういう所が『力業』だなと(笑)
ある意味、Op.4の冒頭を提示された気はする話だなと。

シャーロックとジョンの酒場で仲直りシーンはカワ(・∀・)イイ!!ので必見。


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大英帝国の醜聞のはなし。

物語の中だと一瞬の出来事だけれど、現代に通ずる話であるなと。

この章を熱弁する前に。
先にマイキーお兄ちゃんと221Bの話をしよう。

モリアーティ家の長男とホームズ家の長男。
英国の『善』と『悪』が実は繋がっていましたよという話。
※ただし判明するのはOp.4から。

醜聞の情報交換シーン。
ホームズ家のお兄ちゃんとモリアーティ家のお兄ちゃんですが、最初は普通に『2人ともカッコイイナー』ぐらいで観ていたのに、オケコンのマイキー兄さんの視線に全然答えてくれないアル兄さんの話を聞いてから、少々微笑ましい光景になっちゃってますね。
※気付いてないか、気付いていても絶対言いなりになりたくないか、本当に無視したいかのどれかだと思うよーマイキー。

愛は難しい。(私も深く紅茶を飲み干すよ)

221Bにマイキー襲来。

オケコンの時に語っていた『お兄ちゃん時間』
自分が思っていたより、楽しく激しい兄弟喧嘩(笑)。
当時、流し見してたのかなぁ。そこまでバタバタしてたかなという印象。

狭い場所・小さな階段も使っての兄弟間で”余裕さ”のキャパシティーを感じるフルアクション。お兄ちゃんに比べてシャーリーの方が手数が多い。
まくし立てるようによく喋る所は本当、兄弟揃えたなと。(*´艸`*)

Op.5までホームズ兄弟で一緒に出演がないので、ここで存分に楽しんだ方がいい。


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ネタバレ有で。
大英帝国の醜聞とアイリーン・アドラーの一連の行動について。

『大英帝国の醜聞』というのは英国がかつてフランス革命に介入していたことを裏付ける秘匿情報。

アイリーン・アドラーは何故これを手元に置いておきたかったのか。

アイリーン・アドラーって『女優』なんですよね。
汚名を被ってでも、誰かの弱みを握ってでも。
未来ある『役者の卵』を守りたい人だったという事。
過去に守れなかった人がいるが故の『罪滅し』。
一連の行動は自己犠牲精神からくるもの。

根底にあるもの。
階級制度が故、実力が認められない。
努力する人間が馬鹿を見る。

更に『貴族に取り入っても何も変わらない』現実も叩きつけてくる。

『実例にないこと』は、物語にしにくいんですよ。
ドガがこの世に『踊り子』を遺したように。

どこまでを明確な『いじめ』とするか。
ひとつ言える事として『いじり』と『いじめ』は一文字違いなんですよ。
足の引っ張り合いが結果的に誰かを追い詰める事には変わりない。

今の日本って『階級制度』ないですよね。学校なり社会なり。
あるとすれば、誰かが勝手に『偏見』という名の『カースト制度』設けてるだけじゃないですか。

シャーロックの歌であるんですよ。
誰も聞いてないのかという。
モリミュを知っている人達。観劇をした人達。
いったい今まで何を見ていたのかという。
演じた人たち。
誰を誰のこころを演じてきたのかという。

この物語を経てもなお『演劇』という世界で、犠牲者が出ているんですよね。問題が発生し続けている事が不思議で仕方ない。

何のための誰のための物語かを考えて受け取るべきではなかろうかと。
『消費者という名の傍観者』じゃ世界は変わらない。

ほだされれば、生まれ変わるのか。
この世界になぜ、アイリーン・アドラーがいないのか。分かった気がする。

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総括。
モリミュから話は逸れてしまうけれど。
ひとつ。ある俳優が同業者に『アイツは恋愛をしている"目"をしているから舞台から降ろせ』という映像を見たことがあって。昔、2.5次元の舞台のカーテンコール中に"色恋沙汰”を見てしまった人間としては『芸事』はこのぐらい厳しいモノであってほしいなと。

もう一つ。我々、観客席側にいる人間は、当事者たちより受け取る『情報』は、ある程度『劣化(改ざん)』があると考えています。

『真実』が分からない事の方が圧倒的に多い。

長年染みついた性格は脚色できない。

当事者の『態度』に『不信感』を抱いた時点で『信用』は失われる。
下手に騒ぐより、静かに離れた方がいい。

昔、アンケートに書いたけれど、明確な答えの代わりに、”身内を大事にする世界だ”という事を教えてもらいました。そういう世界なのだろうなと。

『貴族に取り入っても何も変わらない。』

言葉通りではないけれど。
昔から伝統的で閉鎖的な場所、というのはどれだけ声を上げても”風”の通りにくい場所なのだなと、ここ数年で痛感しました。

最後にすこしだけ、本編に話を戻します。
『愛国心が必ずしも自己犠牲的であるべきなのか』をここでは問われていました。

今のままだとまた『悲劇』は繰り返される。
悲劇を繰り返さないための物語はある筈なんです。
それを忘れないためにも『モリミュ』は残るべき作品なのです。


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『憂国のモリアーティ』Op.3-ホワイトチャペルの亡霊-


『紛い物は消えゆく定め 悲しき街を悪魔が往く まことの音色よ響き渡れ』

†あらすじ†

ロンドン東部・貧民街『ホワイトチャペル』。
名もなき娼婦たちが狙われる連続殺人事件が横行していた――犯人の名は『ジャック・ザ・リッパー』
"殺人鬼"による残忍な犯行は連日、ロンドンの街を恐怖と混沌に陥れ、やがて『共通の敵を倒したい』という市警と自警団の『対立』を陽動する結果を引き起こした。

事態を重く見たスコットランドヤード犯罪捜査部のレストレード警部は、名探偵シャーロック・ホームズに事件の早期解決を懇願しに221Bを訪れる。

時同じくして、モリアーティ家に新たな『仲間』が加わる。
『ジェームズ・ボンド』――かつて『大英帝国の醜聞』で抹殺されたアイリーン・アドラーその人である。
"生ける亡霊"として新たな名と共にモリアーティ家に『忠誠』を誓う"彼"。

そしてもう一人。

モリアーティ三兄弟の身元引受人・ロックウェル伯爵家の"執事"。
三兄弟、モラン、フレッド、彼らの"師匠"。
第一次アフガン戦争・白兵戦の"英雄"。

名を『"ジャック"・レンフィールド』。

『連続殺人鬼』の恐怖に踊るロンドンの街。
『糸』を操るのは"悪魔"か"亡霊"かそれとも―――『長編・ホワイトチャペルの亡霊』

ホワイトチャペルの一件後、ダラムで教鞭をとるウィリアムの元にシャーロックが訪れる。シャーロックの世間話を静かに聞き入れながら、淡々と業務をこなすウィリアムの手元に"名前のない"一枚の答案用紙が。
それは学生内では誰も解答できず、ウィリアムが正に定理を求めている最中の数式の解答。
別のアプローチで解答を導き出した"犯人"に興味を持った二人。
ささやかな事件のおだやかな犯人探しが始まる―――『閑話・一人の学生』

♦感想♦

『悪魔が往く(Ⅱ)』の良さって伝えましたっけ?
(伝わってる?大丈夫?足りてる??行き渡ってる???)
(不足が生じたらいけないと思ってタイトルにも掲げといた!)
(あとで怒られるヤツ)

いやちょっと語らせてほしいのだけれど、『悪魔が往く』って単純にテンション上がる曲調なだけではなく、三兄弟で、誰かが誰かを想う歌は多いけれど、三人並んで同じ方向向いてる曲って『三兄弟の秘密』以外だとこの曲ぐらいなんですよ。(他にあったら教えてほしい)

シャ―ロック陣営は基本、シャーロック&ワトソンの曲が多いけれど。
ねぇシャーリー、こっちむいて、謎を解かずに~♪
みたいな感じだから。

あ『謎が謎に謎めく』がオケコンの影響でまともに聞けない。
シャーロック陣営すぐになんでも”謎”って言えばいいと思っている案件。
(*´艸`*)

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観客を焚火扱いする伝説はここから始まった。
そして全ての投げキッス魔はここにいた。

見どころ。
まずOp.1&Op.2で使われていた『大英帝国』からOPが変更。
地の底を這うような歌には変わりないけれど。

あと登場する人数が主要人物だけでも4人は増えたので、『ホワイトチャペルの鐘の音は』とか、どの歌も聞きごたえがあり。
特にEDは当時、劇場で観たけれど本当、圧巻でした。
今まで見た2.5次元ミュージカルで、どの作品もここを越えていかない。
ボンドの持ち歌が短調から長調に変わったり。
貴重なパターソンソロがあったり。

そう言えば今思い返しても、両陣営のアドリブが多かったかなと。
面白い場面がモリモリアーティだったなと。

パターソンとボンドの夜のバー(パブ?)のシーンはスマートでしっとりかっこいいのに、警部とパターソンはなぜか居酒屋コントになっちゃったり。

あとは伝説級に有名な、カッコいい変なポーズを繰り広げるモラン大佐。
渾身の投げキッスはアルバート兄様に華麗に躱される(自主回収)

通常の演技でも、部下に『(誘導に)2時間持たせろ』と指示するウィリアムに『鬼か(鬼だった)』と毎度ツッコんでしまうけれど、大佐のアドリブを華麗によけ、『どっかいったぞ』とか言ってしまう兄様に『鬼か(鬼だった)(というか二人も鬼がいる)』とツッコめる、最初で最後のモリアーティ陣営による貴重なアドリブシーン。配信版にはがっつり収録されてるので、機会があれば是非楽しんでいただければなと。愉快、愉快(笑)

真面目なシーンだと「「冤罪だ」」の演出が面白かったかなと。
※切り裂きジャックの件で冤罪を町医者に被せるシーン。

それとウィリアムとルイス、実兄弟の数少ない戦闘シーンがあったり。
ドヤ顔でモデル歩きしながら眼鏡をはずす実弟が堪能できる。(…?)
※一応メモに、「ほなら、アンタらの論理でアンタら倒しても文句あらへんよな?」って感じで丁寧なヤ〇ザムーヴかましてる弟かわいい(机を飛び越えてるシーン良き)って書いてある。いやどんな弟でも弟はかわいいよ(ニコッ)

あとは、今後の展開の根幹を示していく物語でもあったかなと。

『同じ目線で世界を見る』というのを示唆してくるんですよね。
Op.3だと切り裂きジャックの真犯人を追い詰めた後に『ホームズだけは事件の真相に辿り着くだろう』ってちょっと嬉しそうに話すウィリアムがいるんですよ。(悪魔が往くのハミングで消えるのエモい)
ビル・ハンティングの物語の時とかも分かりやすいかと。

そこは、ウィリアム以外のモリアーティ陣営と対照的に描かれてくるなと。
Op.3ぐらいから、ウィリアムに対する『モリアーティ陣営の失態』っていうのはあると思っていて。モリアーティ・プラン含めた、『家族で共犯』というしがらみに変に取りつかれてしまっているなと。
それを『神格化』と言ってしまうのは言い過ぎかもしれないけれど。

代表的なのがウィリアムの持ち歌『孤独の部屋』。
ウィリアムを止められないという事はないと思うのだけれど、むしろ家族だから止められると観客側からすると感じるのだが、ウィリアム自身に響かないんだろうなと。それを見てしまうと、ボスに対して意見が出来ない、モリアーティ陣営も気鋭の部隊ではあるけれど、情報に悪戯に踊らされる一般市民たちと何ら変わらないのではないかなと考えてしまう。

それもあって、この辺りから『ウィリアム』ってどんな人物だろうというのをものすごく考えさせられたなと。

生きるための『小狡さ』を持っている人かなと。

原作漫画であり、アニメだったりだと、わりと堂に入った『悪』のイメージを受けていたけれど、ミュージカルは、生身の人が演じるからか、小さな嘘を綺麗に重ねていく工程が見える人物だったなと。
※あくまでも『役』の話です。

前提として、子どもの頃から貧民街で『窃盗(罪)』を犯している子ではあるんですよ。モリアーティ・プランを持ち出してきた時にも、表向きは彼の中で『贖罪』なんだろうけれど、裏を返せばちょっと『狡猾な考え』だよなと。シャーロックとは方向性の違うブリ○ス野郎。ウィリアムのある意味、こいついい性格してるよな、がOp.3から理解できてくるんじゃないかなと。

対するホームズ陣営はアドリブ含めて演技でよく喋ってました(笑)
予感はあったけれど、レストレード警部はここから開花したと言っても過言ではない。BGMのバイオリンも前に出てくる(物理)タイプ。
膝を痛めそうになったり、造り物の内臓を当て逃げされるワトソンがいたり。

ただ、モリアーティ陣営がアドリブ多めだったことと対比してか、ホームズ陣営も真面目にアツいシーンが多かったなと。

特にジョン・H・ワトソン。
同業者の冤罪を晴らすために、奮闘するワトソンソロからにじみ出る熱血漢。かっこいい。アタートンの不正を暴くシーン『市民は保身のための駒じゃない一人一人に大事な命と人生がある』は、配信版だとアップで抜かれているので、是非見てほしい。かっこいい。

反対にシャーロックは、犯罪卿に対して『私的犯行』か『義賊的犯行』か真実が明らかにならない状況に苦悩している感じで(OP.1からだけれども)、なんかもうずっと犯罪卿に弄ばれてる。
市警と自警団の『再』衝突を防ぐために『嘘』の真実を伝えなければならないとか、本業としては屈辱的なんじゃないかなとは感じた。

『巡れ輪舞曲』なんか顕著。

ウィリアムの手中で踊らされている所か、釣りとか猫じゃらし持って楽しんでいらっしゃる見越し入道犯罪卿の歌よ至極楽しそうよ。
この歌の演出も凝っていて、舞台の高台から歌うウィリアムと真下で歌うシャーロックの図になるんですけれど、完全にシャーリーがマリオネット化してるのが分かるという。
※で、ここでは書ききれなかったので次回持ち越しになるんですけれど、切り裂きジャックの『真犯人』もウィリアムと同じ高台の位置で出番があって喋ってるという演出…全てを俯瞰し操るを目に見える形で表現する所が素敵。

この曲がですね。オケコンでピアノ周りをグルグル回って、歌い終わりに立ち位置が逆になるんですよ(ウィリアムが下に降りてからの『この世界を』)

エモい。オケコンでやっと同じ地平に立てるの、エモい。
(大事な事なので)

・・・オケコン再配信しません?(無茶ぶり)

あ、レストレード警部の何気にツーブロック。カッコよかった。


┈••✼••┈


ビル・ハンティングの話。

一番好きなエピソードかもしれない。
モリミュの作品のなかでウィルとシャーリーが一番心が通い合っていたし、観客側としても力を貰えた物語でした。なので最後にちょっと打ち明けた二人を見てしまうと…OP4.5は地獄だなと(苦笑)

出生は恵まれたけれど大学で苦労したシャーロック。
不遇な出生だけれど勉強ができるという才能に恵まれたウィリアム。

産まれた時から運命が決まっている、というのは階級以前に現代においても何一つ変わっていない事なのだなと思い知らされました。
ここでも表現されているけど、結局ウィルは『自分と同じ地平線を見ることが出来る人』に特別な感情を抱きやすい人なんだなと。

こころに階級制度はいらない。
『心の扉』がオケコンで立派な門出ソングになったのはいい思い出。


┈••✼••┈

総括。
またしてもモリミュから少し話がそれてしまうけれど。
『ジャック・ザ・リッパー(切り裂きジャック)』は創作でもあり実話でもあって。実際の話になると、当時、市警が市民(街の平和)の為に積極的に動くことってなかったそう。市警の不手際を責める声というのは多かったんですよ。それもあって、創作でも実話でも『シャーロック・ホームズ』という『ヒーロー』の登場は一種の『救い』だったんです。

1人の観客として、モリミュないし創作の中で『猟奇殺人』を楽しめるというのは、ある意味恵まれてた時代に生きているんだなと実感。
内臓(綿入りクッション)振り回しても許されるのよ(笑)

あと、この物語から先の話にはなりますが、『弱者(市民)の声を拾え』という人たちの声は思った以上にデカいんだなと。真実を精査する認識(力)を高めた方がいい。という事を考えさせられました。


✣✣­­–­­–­­–­­–­­­­–­­–­­–­­­­–­­–­­–­­­–­­–­­–­­–­­–­­––­­–­­–­­–­­–­­–✣✣


『憂国のモリアーティ』Op.4-犯人は二人-


Catch me if you can―Sherlock.」
『――必ずだ。』

†あらすじ†

英国一の『メディア王』・チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン。
彼の真の姿は、人々の弱みに付け込み堕落させる、絶対悪『脅迫王』。
先のジャック・ザ・リッパー事件の真の目的――市民と市警の衝突させる計画をモリアーティ陣営に阻害され、業を煮やしていた。

同じ頃、貴族院にて『選挙権の平等性』を訴える議員がいた。名を、アダム・ホワイトリー。身体が不自由な弟と共に生活している。
『平等』を掲げるホワイトリーの『覚悟』を確かめるため、ウィリアムは彼に『機密文章』を手渡す―――『第一章・ロンドンの騎士』

221Bの住人にワトソンが1人の女性を紹介する。名を、メアリー・モースタン、ワトソンの"婚約者"。
メアリーの挙動に訝しがるシャーロック。問いただしたところ、彼女は失踪した父親の"謎"について語りだす―――『第二章・四つの署名』

ホワイトリーの"清廉潔白さ”を血に染め、メアリーの"古傷"に付け込もうとしたミルヴァートン。

志の無念を晴らすため。
友の幸せを祝うため。

犯罪卿・名探偵・脅迫王。
三つ巴の戦いが幕を開ける―――『第三章・犯人は二人』

♦感想♦


個人的にOp.5の地獄のような感情の渦へと続く地獄の一丁目みたいな話
曲としてもピアノの音だけ聞いていると、地獄みたいな連番しているなと。ウィリアムは高音の限界に挑戦し続けているなと(笑)

それとOp.4から赤澤ポーロックは長江ポーロックへ。
何度見ても長江ポーロックの意志が強い。(つよい)

あとは日替わりのアドリブがオシャレだったなと。
人を見る目があるホワイトリー氏による護衛選び。
中庭(1階席)と隣の建物(2・3階席)742人も集まっちゃった護衛の人にファンサしてくれるホワイトリー氏。※楽日だったんだろうか。

レストレード警部の日替わりも印象深かったなと。
船着き場にビール持って来たり、アイスクリーム持って来たり…。
※記憶間違ってたら申し訳。配信はパスタ。
刑事屋のブルース』もそうとうアレだったけれど。
『2度と歌わない!』って言ってたのに(笑)(歌わない…??)
名誉のためにいうと、オケコンは本当にテンションがおかしい。

本家、意外にちゃんとしてるのは確認しました。

見どころとしては『思想の対比構造』かなと。
『思想は立ち位置によって天と地ほど変わる』
という事。
ホワイトリーの『信念』とウィリアムの『策略』
ウィリアムの『必要悪』とミルヴァートンの『絶対悪』

そのような立ち位置を顕著に目視できるのが『オルガン演奏』で二つの曲。

『天はいざなう』『悪魔はささやく』

『天はいざなう』は、アルバート兄様の歌。
天はちゃんとみてるやで(だから”誠意”を見せよ)って歌。
ものすごい”聖歌”なので、ウィリアム(モリアーティ陣営)を『ダークヒーロー』かと問われると、疑問が残る歌。

対するミルヴァートンの『悪魔はささやく』。
とにかくホワイトリーに絶望を与えたい曲。復讐の憎悪を魅せよって歌。
(『アダム兄さん』のひと押しは本当にキツかった)

舞台上で歌によってホワイトリーに悪魔と天使が囁いてる様が、恐ろしい程に蠱惑的で、面白い演出であったなと。またオルガンも『そこに仕込んでるんだ!?』と驚きのある設計。ちゃんと教会の一部に見えるように配置されてるのがもう…お洒落。※観劇した時、うっすら移動する姿見えてたなぁ。

あとは他媒体に比べて『宗教的』な色が強く感じられるようになったのは、このOp.4があったからではないかと。
Op.5で兄様に面食らったので。(ゲッセマネは理解できる)
(なんか変なモノ食べた?という気分にさせてくれる)


┈••✼••┈


ミルヴァートンについて。※Op.3と併せて。

本作はウィリアムとシャーロックの2人の共通の敵、『チャールズ・オーガスタス・ミルヴァートン』との決着を描いた物語になりますが、まぁ…ミルヴァートンの悪徳無双感。俳優氏の小憎たらしい演技が上手くて腹立つ。

OP3かop4のどちらかでミルヴァートンの曲が難しいらしいという噂が。
聴いている分には歌いづらそうとかは感じないのが不思議。
中の人の凄さなのか。

Op.3でも小出しにはしましたが、ミルヴァートンって基本的に高い位置からの登場が多かったなと。(Op.3の仕入れた情報(紙)を下段に落とす⇒号外という演出が本当素晴らしかった)
そんなんで『毒牙にかかれ』とか歌われるの、本当…本当…(怒)。


┈••✼••┈


ロンドンの騎士(ホワイトリー)の話。

ホワイトリーという人物。
ウィリアムとは対極の立ち位置にあるけれど、思想は同じだった人。
そして、ウィリアム。ホワイトリーの真意を確かめる前に、お前はどうなんだと毎回問いたくなる。

毎回言っていますが、ウィリアムの思想(決定打ではないけれど)って基本『悪』だと考えていて、生きるために『悪』を施行しなければいけない状況だった人なんですよ。(わるいきぞくをやっつけろ…ってコト)知恵で補える部分は頭使うけれど、最終的に『暴力』で解決していくタイプ。
※確か実際問題でも、問題への理解力が乏しい人は、どちらかというと暴力で解決しようとする傾向が強いとあった気が。

逆にホワイトリーは同じ権力持つ側に常に訴えかけて、『理性』で人を動かして解決していくタイプ。

この時点で、平和を保つことでさえ、階級制度が発生してるなと。
Op.2Op.3でも示唆されていることで犯罪も身分の差異で決まると。

ウィリアムもホワイトリーのような人がいる事で、一つの『自分の終焉』を悟っていたのではないのだろうかと。『生きてちゃいけないけれど、納得できる死が訪れるまでは生きなきゃいけない』というのはあったのかもしれない。

後々、ウィリアムの名前のみが公表されるってなった時も、『自分一人だけで責任を負う』と口では言ってるけれど、本心で言ってる感じではないんですよ。そう言って早急に事態を終息させようとしてないか?この人ってなるのよ。(いわゆる逃げの体勢)ただその姿はウィリアムに好意的な人たちにしてみたら『優しい人』に見える、と。
モリアーティ陣営はウィリアムは『何も間違った事をしていない』という考え。ウィリアムが何か指示すればそれに従順に従うだけって組織。

(´・ω・`)←こんな顔になるんですよ。
いやそれ仲間か?家族か?と。

さらに、ウィリアムはホワイトリーのような高潔な人をミルヴァートンの策略で手に掛けざるを得ない、虚しさ。『代償に命をかける』って、Op.1でも若夫婦に代償として『命』を提示することあったんですけれど、その頃って、まだ『想定内』で収まってた話ばっかりだったと思うんです。ミルヴァートンの存在(番狂わせ?)と、計画の完全遂行でウィリアムも自分でなにやってんだ、理想通りに行かなくて気持ちがごちゃごちゃにになってるんじゃなかろうかと。(ここに関して、血に染まってヤダみたいなことは歌うけれど明確な自白はないんですよね)

このころのウィリアム、正に自暴自棄、だったんじゃないだろうか。

『罪の衣を身にまとい』でマント翻して去るシーン、お気に入りです。


┈••✼••┈


四つの署名の話。

名探偵メアリー爆誕回。
ハドソンさんが久しぶりに来てくれて嬉しいなの気分。
そしてレストレード警部に続きグレックソン警部補が輝き始めた。
(なんか観たことある人形劇始めた(笑)私見た時、こんなことしてたっけ…?死体役の腹話術やって…えっ!?覚えてない!?)

メアリーの存在に、ずーーーっと居心地悪そうなシャーリーがかわいい。
『薬物依存のきらい』(+犯罪卿のことを考え込み過ぎて頭おかしくなってる感じ)をわりと中の人は怖い程忠実に再現してるんだけれど、メアリーが221B登場の時はもう、なんかずっと『子供』。
あと地味に裏シャロと共演しているの本当面白い。

演出だと、水上戦の表現がいつ見ても面白い。


┈••✼••┈


221BにおけるミルヴァートンVSホームズ。
シャーロックのバイオリンに○○は本当に驚いたけれど。
(その後の三つ巴合戦とかで本物の火使う事もあわせて)
昔、大阪の劇場で観劇した時に、短く書いた感想。
ハドソンさんの歌の台詞部分で泣いたんですよ。

本当、Op.2の事案もそうだけれど、色んな媒体の作品でも同じような事って言われてると思うんですよ。現実の事件にもなっているし。

世の中、なぜ『響かない人間』っているんだろうって。
なぜ平気で人の心を踏みにじれる人間がいるのだろうと。

そういう人間ほど”表舞台”で中身のない綺麗事しか話さないのが、本当に腹に据えかねる。

それ考えると、ミルヴァートンのすがすがしい程のあくどさよ。

そういう時に、シャーロックのような、普段ちゃらんぽらんだけれど、いざという時に『道理』を守ることが出来る人っていうのは魅力的だなとこのシーンは感じました。

┈••✼••┈

『この空の下』という青空サンドイッチ友情ソング。

優勝です。かわいい(かわいい)

シャーリーは、嫉妬もあるだろうけれど愛着があるものに執着してしまうのだろうなと。

シャーロックについて、少し思った事を。
わがまま、というより、とにかく奔放といった印象。
正典のシャーロックも、人が出来てないみたいな(ワトソンとの出会いで紳士的になる)描かれ方はしているけれど、憂モリに関しては「人間性をそっちに舵切ったんだ。」という意見ですね。モリミュで『そうとうヤバい人』が出てきた感じではあるけれど。
シャーロックを演じた平野良氏が、何かのインタビューで『わがままが許される環境にいるから、ああゆう態度』というのが本当にしっくりくる。
(中の人は『話は聞いてくれるけど我は通す』みたいな役が多い気がするのは気のせい…?)ある意味、Op.1~5はシャーロック・ホームズの成長物語なんじゃないかなと感じながら観ていました。

人の幸せを願える時点で人間としては完璧なのよ。
ワトソンは育ての親として誇っていい(…?)

ただその後「謎を解く時も牢屋に入る時も一緒」

って言っておいて。

「結婚式にでらんねぇわ。」

かーらーのーOp.5

ジョンは机を投げて大乱闘していい。


┈••✼••┈


クライマックス脅迫王・犯罪卿・探偵の三つ巴の場面。
なんだろう、何度見ても脅迫王がゴチャゴチャぬかしてる間にウィルとシャーリーの二人でグーパンすればいいのにって毎回思う。
※すみません。 藤田玲氏に申し訳ないんですけれど、腹立ってきて仕方ないんですよ。

あと、今回の配信で気付いた話。
シャーロックが(自分が)ミルヴァートン殺めれば手が緋色に染まるで、ウィリアムがハミング入れてくるの本当にくい演出だよなぁと。

更に、その後の『I Will Catch You』で、人を手に掛けた事と、ウィリアムの策略に踊らされている不甲斐なさで感情ごっちゃごちゃになりながらシャーリーが歌うんですけど、ウィリアム笑ってるんですよ。
ふざけないでよ(苦笑)。

そこから、実弟に『一人殺せば二人殺すも同じこと』とか全て諦めたみたいな顔して言いだすんですよ貴奴(きやつ)は…ふざけないでよ(苦笑)
(崩れ落ちる音)
(ふざけてないよ(๑•̀ᴗ- )☆)

そこから流れるようなED。
『運命の車輪』で、ウィルの声が2,3段階ぐらいあがるのがえげつない。
Op.3でもそうでしたけど、EDだけでも知らない作品見てるみたいで、圧巻だでした。


┈••✼••┈

総括。
この世に生まれ落ちた時に与えられる『豊かさ』でさえも極端な話『差異』が生まれているという事を見せつけられたなと。
ウィリアムの行う『計画』は決して褒められる事ではないけれど、一種の『努力』の形かと。そこが徐々に崩されていく苦悩と葛藤を静かに描いていて、心が落ち着かなくなります。

あと、この辺りからウィリアムが救いたい人たち(民衆)の『浅はかさ』が露呈してOp.5に響いてくる、そんな地獄の入口のような物語ではなかろうかと。しんどい。

変な人に地位も実権も与えちゃ駄目って事がよくわかるね(ニコッ…!)


✣✣­­–­­–­­–­­–­­­­–­­–­­–­­­­–­­–­­–­­­–­­–­­–­­–­­–­­––­­–­­–­­–­­–­­–✣✣


『憂国のモリアーティ』Op.5-最後の事件-


『「この世界を」』

†あらすじ†


暗闇の幕開け、薄明の中。
透き通る『声』が響き渡る。

”この世界を”憂い、変えようとした。
何一つ変わらぬ『想い』。
人は、なにを以って『孤独』と化すのか。

『犯罪卿』は"義賊"などではなかった。
悪戯に"命"を脅かす貴族の敵。
明日の"働き口"を奪う市民の敵。

世間を騒がせた、罪深き救世主。
名をウィリアム・ジェームズ・モリアーティ。

彼の掲げた『計画』は最終章へ。
『贖罪』か『逃避』か。
美しい世界―まことの平等に『犠牲』は必要か。

犯罪卿、ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ。
名探偵、シャーロック・ホームズ。

宿命で出会った二人が、未来へと物語を紡ぐ『最後の事件』。


┈••✼••┈

❁作品のポイント❁

◎原作漫画の該当話数:本作は原作漫画でいう所の『第一部』とされている部分を基に構成されている。第1話~第56話が該当する話数。
ただし『第二部』に当たる部分と”地続き”であるが故、登場人物の心情(特にアルバート)を読み解きたい場合は、第67話までの読了をおススメする。
個人的見解:Op.5に来て、アルバート兄様の心情がミュージカルのみを観劇(視聴)すると一個人が(ウィリアムに対して)抱く感情として重たく感じる。
一応、Op.3から話がチラッと出てくるので内容としては繋がるのだけれど、それにしても重たい。
物語を見る(読む)事って登場人物の心情を読む事でもあるから、どうしても第一部だけの話数だけでは兄様の心情を読み解くには”材料”が足りなくて、結構苦労しました。Op.1の頃から兄様の性格と言動に違和感をずっと感じていて、自分のテリトリーを大事にしたい人間&潔癖症のある人が慈善・奉仕活動に勤しむことが結びつかないんですよ。

第二部読んでやっと理解した。
『ノブレスオブリージュ※』を守りたい人。
※高貴なる者に伴う義務。
(兄様、あるべきところにあるべきものが収まってないとイヤという性格)

優しい兄様では、ないんですよ。
『弱き者』に優しくありたい兄様なんですよ。

・・・怖くない?
・・・そこに愛はあるんか?
これがアルバート兄様の違和感であり怖い所。

地獄みてぇな三兄弟だなって(大笑)
そこを理解できていると、よりOp.5であり『モリミュ(憂モリ)』が楽しめるのではないかと。

地獄になるけれど。

┈••✼••┈

♦感想♦


観客の大多数が『橋落ちベンチ』という集団幻影を観た話((笑))

※おそらく俳優側にもその声が届いてるかもしれない話。

ではなく。
個人的には、最後の最後にものすごい『混沌』を与えられて終幕していったなと。正直観劇後、体温が急激に下がりました。

断定できる感情をずっと探して今日に至っています。
『大勢多数の声』というものをどのように扱いたかったのだろうかと。

元々、漫画原作(アニメ版)にはない描写が組み込まれていて、ミュージカルだからこそ表現できたことではあるのだけれど。

ウィリアムとシャーロック、『2人の犠牲者』を観た感じでした。

演じ手、観客は『真実』を知っているけれど、『真実』を知らない人の大声の愚かさを見せつけられた事。

『犯罪卿は死に絶えた』『名探偵は命を懸けて悪魔を退けた』

声色が華やかであればあるほど、温度が色あせていく。
ウィリアムたち、シャーロックたちが積み上げてきたものを否定された気がして、滑稽であり、ショッキングでした。

なので、レストレード警部のアドリブが唯一の救い。
(おめでとう!警部はバイオリニストに昇進した!!)

基本的に約3時間の上演時間なのですが、小一時間程はOp.1~Op.4までのダイジェストを観る状況。(OPがそのぐらいの時間経過してから、始まっていた記憶)

あと、無茶苦茶に重たいアルバート兄様の独白ショー。
Op.5が初見の人、耐えきれたのかな。
いや…何言ってんだろこの人ってならない…?私だけ…?

聞いてほしい楽曲。
『親愛なる君へ』もいい曲ですが。
ウィリアムの「地獄へいざゆかん」って歌ってる…歌。
※曲名出てこない。
聴いてる側が驚愕するぐらいの高音。
どれだけ伸びるんだろう…って聴き入っていた記憶。

最初で最後の221B凸凹コンビデュエット『友のために』。
ハドソンさんのソロ。
シャーロックへの想いを乗せた『あなたが思うよりずっと』。
劇場で泣いた。※主にジョン。※大阪千穐楽
221Bは推せるときに推せ。

なんだろう、パスティーシュ作品で、221Bの凸凹コンビが離れたままになる作品って今まであったかなと。これでもいいんだけれど、馴染みのコンビって言葉に表せないぐらい『最強』なんですよ。

とっとと221Bに帰ってこい甲斐性なしシャーロック。


┈••✼••┈


ウィリアムは何故、自分の『始末』に強くこだわったのか。

を、私なりに少し深掘りしてみた。
※見当違いだったらごめんなさい。

原作漫画であり、モリミュであり。
ウィリアムの"気持ち”ってシャーロックに対して『自分が選んだ主人公に自分が創った舞台の幕を下ろしてほしい』だとか『同じ世界を見ることが出来る君に未来を託したい』という事は明白に描かれていることではあるんですけれど。

何度見返しても強い違和感を感じるんですよ。
『計画遂行』の事の大きさに対処しきれなくて、怖気づいて逃げる、という事もあるのかもしれないけれど、妙に他人任せというか回りくどいことをする人だなと。

現状の犯罪者を鑑みるに、罪を犯したから自死を選ぶ人って、大抵自ら命絶っちゃう人多いんですよね。で、本当に頭脳明晰で、本当に大切な人たち(仲間たち)の事を思うのなら、自分の後始末は自分で綺麗に終わらせるんですよ。

看取ってくれ、じゃないんです。
悟らせないようにわざわざ絶命の手綱を他人に握らせることするんです。
(モリアーティ陣営、周りは本人のいない所で『死んでからも一緒に背負う』とかもしゃもしゃ言ってたり、ウィリアムは自分で一切合切背負います!って陣営には宣言してる状態なんですよ)(だからミーティングが表面上しか上手くいってないんだって!!)

あとシャーロックだけでなく、シャーロックが失敗した時用に保険でモラン大佐も準備してるんですよこの人。(大佐は絶対断らないことを知ってるから)

これだけ聞くと、ウィリアムという男。
深層心理に『やっぱり君たちも最期まで共犯だよ♡』という事で両手握ってくる、マヂブリ○ス野郎じゃない…?

綺麗に終わらせてもらえないの。禍根が残る事をしてくるの!

『死にたい』の裏側に『救ってほしい』という二律背反的な気持ちも抱えていることも勿論考慮には入っているけれど。だからと言ってシャーロック(モラン大佐)に任せようとするもの、ちょっと待ってくれって言いたい。
ウィリアムめんどくさい。

で、よくよく考えてみた。
すっごいボケた初歩的な話になった。
ウィリアムってもしかして『宗教的』に自ら命絶てないんじゃ…って(苦笑)
いやっ…そうだとしたら、どうしてそこは律儀なの…?

どの媒体でも特別、言及されてはいないです。
※宗教に関しての描写って細心を払わなきゃいけないことはあるけれど、こんな薄らぼんやりさせなくてもとは思ってます。
ただ、Op.4からモリミュに関しては『宗教的要素』を意識してるよなと。
それ考えたら、やっぱりウィルくんちょっと小賢しい救いの求め方するよね…って思ってしまう。ウィリアムめんどくさい。


┈••✼••┈


モリミュの『ノブレス・オブリージュ』に感じた違和感の話。

『モリアーティ・プラン』の総仕上げ。
ロンドンの街を火の海にして、貴族と市民で協力して街を救うように仕向ける作戦。

原作漫画・アニメ版・ミュージカル版の比較。
ミュージカル版は個人的に演出がくどかったなと。
貴族『消火活動手伝わせた上に煤まみれにしちゃってゴメンね!』
市民『大丈夫だよ!』
フレッド『市民と貴族が手を取り合ってて…美しい…!!』っていう会話。
あからさますぎるかなと。

いくら街が燃えているからと言って、貴族クラスの”プライド”の高い人間が簡単に動くのかな、更に市民と手を取り合えるかなという疑問。プライドのある人間を動かすには、『その人が絶対的に納得できる理由』がないと動かせないんじゃないかと。だからこそ、アニメ版のモラン大佐の台詞を強く推しているんです。(今自分たちが豊かに生活できるのは、ご先祖様がしっかりしてたからなんやで、って感じの台詞)

一番塩梅がいいのは、やっぱり原作漫画。


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東京千穐楽のシャーロックとレストレード警部の日替わりアドリブ。

ハドソンさんの剛腕話もOp.5だったっけ。
英国女王謁見前の下準備の時だったかな…?このアドリブ。

本当の『英雄(ヒーロー)』って何なのだろう。を考えた時。
『目立たない日陰の存在』だったり『疎まれやすい』存在ではないかと。

前にも書いてますが、19世紀末のロンドン市警って当時あまり、いい印象ではなかったと。現実世界の日本で分かりやすく言うと『自衛隊』の人たちが該当するかな。

シャーロックは物語上『特撮ヒーロー』的な英雄視をされている存在。
そういう『英雄視』されてる人がちゃんと見るべき相手を見て、存在を認めているという会話が当時、"日替わり"で咄嗟に出てくる舞台ってなかなかないと思って、とても感慨深かった思い出なので、紹介。

最後の最後に、ヒーローが市民と同じ目線に立ってくれたと思わせてくれる、素敵アドリブでした。


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犯罪卿と名探偵の話。

Op.5をタイムリーに追いかけていた時は『みんな落ち着け』って感じでポストを眺めてました。

『リアムが!!221Bの!!椅子に座った!!』で速報流れて盛り上がったのも『モリミュ』ぐらいです(笑)

ウィリアムが真夜中に221B訪ねて来る時と、『親愛なる君へ』の時と(隣に座り始めたかなんかで盛り上がった)、橋落ちの、抱きしめ感(笑)
今日はバリエーションが違う!とか言って…たまたまじゃないの(笑)

まぁ、舞台も生き物だし、演じる側もその日を生きているので、そういうことはあり得ると思う。ファンサ的な意味で。

ただ物語の登場人物たちの心情として、221Bで椅子に座るのも、廃屋で手紙読む時に隣に来るのも、やっぱり最後に膝を突き合せて(ダラムの大学の時みたいに)話したかったんだろうなって。(ホントウニカナシイボクラノウタ…)
こういう時の登場人物たちの哀愁や心情(こころのゆらぎ)って、やっぱり生身の舞台(ミュージカル)だからこそ得られる、歓喜に近い『震え』ってあって。そういうのを観ると『君の友だち、早く引き止めに行ってあげなよ』って気持ちにはさせてもらえてました。

『親愛なる君へ』の時の語りかけるウィリアムって、ちょっと子供っぽいんです。遊ぶタイミングが『平等』で、遊ぶ道具が『チェス』だったら良かったんです。出会った場所に『階級(しがらみ)』があって、遊び道具が『犯罪』でないとギリギリまでお互い素直に向き合えなかったんだなと。
観客として『仲が悪い』とかという次元じゃなくて『握手の仕方が分からない子供たちを見ている』気分。

Op.4でも犯人でありウィリアムを絶対殺さずに捉えてやる、というシャーロック。勿論、Op.1でホープの件があったからこそ、出てくる台詞ではあるのだけれど。そこを踏まえた上で、私自身は『罪人は人の世に”法”がある限り”法”によって裁かれるべき』だと考えています。『人を憎まず』というと複雑な心境はあるけれど、罪人を”死”によって処分や償わせたとしても、何も戻ってこないんですよ。罪人一人の命と引き換えに、何かを『取引できる』というのはおこがましいなと。

自らの手で処罰を与えるという行為は人の世としては『野蛮』かなと。人であるからこそ然るべき『法』で裁かれて、『罪状』の部分を人の倫理で戦わなければいけないのではないかと。

戒め、なのかな。

ウィリアム(ルイス)の本当の自分の『隠し場所』に『黒猫』はちょっとにくい演出だなと思った記憶。こういう小さくもオシャレな改変ならとても楽しい。

まぁ、最後のベンチシーン。言葉にならないね。
陳腐になる。
やっぱりウィリアムが『迷子』だったのかな、というのはある。

・・・・。

『肩 つ よ そ う』はあったけれど。

(よく橋落ちの所でシャーリー片腕で捕まえたね)


┈••✼••┈


総括。
詳細は最後のまとめとして書く事として。
第一部として、綺麗ないい終幕だったのではないかと感じています。
あくまで私個人の意見として。

いやー・・・屍みたいに『米国から戻ってこーい』コールをする一定の大英帝国の臣民の皆様がいらっしゃるわけですよ(笑)

いたたまれない。
こころがいたい。

『オケコンあったからいいでしょ!?』と公式から回答ありそうですが。
何らかの形で英国に帰還してくれないかなとは思ってます。

レストレード警部「奴らはたいへんなものを盗んでいきました。」

全くだぜ!!


✣✣­­–­­–­­–­­–­­­­–­­–­­–­­­­–­­–­­–­­­–­­–­­–­­–­­–­­––­­–­­–­­–­­–­­–✣✣


⁂さいごに⁂


改めて俯瞰して。

『虚偽』を孕もうが孕むまいが、誰もが『理想』を積み上げすぎて崩壊せざるをえなかった、というのがミュージカル『憂国のモリアーティ』だったんじゃないかなと。

簡単に言うと。
『バケモノにはバケモノぶつけんだよ』ストーリー。

一部の乙女の方々に喜ばれる言い方をすると。
ヤバい人とヤバい人邂逅させたらお互いシンパシー感じあっちゃって『ときめき橋落ちベンチ』幻想物語※。

…というのがミュージカル『憂国のモリアーティ』だったんじゃないかなと(笑)(大事な事なので)
※鈴木勝吾氏の某アニメ誌インタビューの”問題発言”を最大限にリスペクトしています(…シオラシイハンザイキョウカイシャクチガイ…(ꐦ•" ຼ•))(※ネタです)

演出的な話になると。
ウィリアム役の鈴木勝吾氏はずっと高音への挑戦していたし、シャーロック役の平野良氏はよく動いてたしよく喋ってたなと。

毎回OPとEDが演技をしながら流れるように繋がる様は聞いていて本当心地よかったです。(例としてOp.4より『I hope』⇒『毒牙にかかれ』⇒『憂国のモリアーティ Op.4』とかね)

あと面白い話。
モリミュ(憂モリ)って前に一瞬でも語った事の『応用問題』を解いている気持にさせる物語だなと。強者の弱みを握ろうとするモリアーティ陣営たちが今度は、弱き者の弱みを握ろうとするミルヴァートンと対峙しなければいけなくなるとか。

これも一つの因果応報のかたち、なのかな。

┈••✼••┈

コンテンツの全体的な話にはなるけれど。文章を書いていて、物語が掲げる『憂国』ってなんだろうと、ふと降りてきまして。

ウィリアムって『母国』が大嫌いな人間なんですよ。
今回の行動も『国を愛しているから』革命を起こそうとした。というより、『自分が(仲間が)生きるために環境を変えたかった』に近い考えを持っていたのではないかと。

一瞬、日本の『特攻兵』に近いモノを感じたなと。
※国に住む大事な人を守りたいという点において。
考えが強引かもしれないけれど、『劇場型犯罪』という静かで緩やかな『テロリズム』は彼の中にあったのではないかなと考えています。

ミュージカル『憂国のモリアーティ』の第一部は『ある若者の理想が崩れる物語』という感想もあって、そこには私も同感です。ウィリアムという青年が『理想』のために高貴な死を選ぼうとする、未成熟な死に急ぎ野郎だったことは否めないかと。

プラス『理想を塗り重ね続けた、その果て』を描いているとも言えるし『組織のゆるやかな内部崩壊』も見た気がします。大体、悪の組織ってトップが揺らぎ始めた時点で”共食い”が多いんだけれど。何だろう。
初見でモリミュを見た時の違和感『モリアーティ陣営みんな仲よすぎるよね』という印象。
※演出上の都合もあるかもしれないけれど団子状態が多かったなと。

後半は特に、血が通ってるから故の組織としての手詰まり感を感じました。特別ウィリアムがワンマンという事はなかったように見えるし、どちらかと言うと『ウィリアム(神様)の言う通り』で、仲間たちが行動していたのではないかと。現代の縦社会に通じる、何かかなと。

┈••✼••┈

モリミュが、日本で、世界で受け入れられていることって、決してミュージカルが故の華やかさからくるものだとか、原作元が有名だとか、登場人物がイケメンだからだとか、それだけの理由じゃないと思うんですよ。

『正攻法』であれ『邪道』であれ、人は常に無意識に『救い』を求めている生き物なのだろうと。

創作でも現実でも、常にそこにある抗えない”境界線”。

モリミュの『階級制度』から『自由に生きる事』を考える時。
21世紀であっても世界というものは『多様性』とは名ばかりに『階級(支配)』『差別』の世界であると私は考えています。

そして『犠牲』も絶えない世界。

現代でも『植民地』は存在しているし、『映画祭』というアカデミックな場所でも人種による小さな小競り合いが発生したり。

ひとまず、日本でマウンティングしている日本人。
英語でヘイトされる(仏語で切り返す)某論破王の動画を見てほしい。
アレが現状の世界だ。
※個人的に好きな動画です。

”小さな差別がある世界”を我々がしっかり認識し、受け入れるための導入として『モリミュ』を過去にしてはいけないなと。『需要』はあると思う。
第二部の公演も求められているけれど、再演なり再配信なりで”教訓”としてこの世界にとどまっていてほしいなと。
まぁ…世の悪と茶を”おしばき”しながら、いつでも気長に待ちますよ。


┈••✼••┈


私たちは『演劇』の何を見ているのだろう。
『演劇』に何を求めているのだろう。

林檎は林檎だと正しく認識するために、何が必要か、を問う物語。
私たちが見ている世界は、必ずしも正しい林檎が存在する世界ではなく、その断片を魅せられているのだと。

叫ぶ前に、決めつける前に、安易な多様性ではなく多角化しろと。

モリミュに出会えた3年間。
自分はOp.3からの参加にはなって、やはり原作漫画勢や日比谷からの人たちのことを思うと、どうしても遠くから眺めてしまう癖があります。
作品への理解を深めつつ、どう向き合っていくかを考える日々でした。

狂乱した混沌は吼えたけり。
作品に出会う前、出会ってから。
人間とは思えない人物に幾度と遭遇しました。
作品に『救い』は求めていたかもしれない。
でも世の中の不条理に、ヒーローは現れないのが現状で。
『モリミュ』で得た『糧』を灯しながら生きる日々でした。

きっとこれからも。

地獄はもぬけの殻で、全ての悪魔がここにいるのなら。
これから先も悪魔たちとどのように折り合いをつけていくか、選択をしていくのだろう。

それでも、生きよう、この世界で。



ご覧いただき、ありがとうございました。
また別の投稿でお会いしましょう。






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