なんで僕が本を好きになったのか
又吉の本を読んでいる。
一番最後に『なんで本を読み始めたのか』っていうのが対談形式で書かれていた。
要は又吉のルーツに迫ったものであった。
それを読んでいくうちに、『自分はなんで本が好きになったんだろう』と思った。
僕の最初はいわゆる、カッコつけだ。
当時、ド金髪で髪も長く、片目で隠すという、今でもまだ少し名残を感じるような髪型だった。
当時は大学をやめて、バーテンダーとして色んな経験を積みたいという理由で、最初にいた店をやめて、二店舗目のお店に入った頃だった。
それまでは先輩や店長しかいない中で育って、自分が一番下だった。
新しいお店で働くようになって初めて後輩ができたからよく覚えてる。
というか、単に年下のバイトくんと仲良くなったってだけなんだけど。
いつも仕事終わりにラーメン屋で遊戯王のアプリをやっていたのが懐かしい。
当時はガンガンV系にハマっていた。
そんな容姿もV系な奴が、電車とかで物静かに本読んでたらギャップあるやん!!かっこいいんじゃね!?という安直な理由で本を読むようになった。
最初は飾りで本を広げていたけれど、だんだんそれは退屈になってくる。
どうせなら、広げてるだけじゃなくて少し読んでみようと思ったのが最初だと思う。
そのときカッコつけで広げていたのは、中原中也の『汚れちまった、悲しみに』だった。
詩集ということで、詩なら短いし読もうと思っても多分読めるわって気持ちで本屋で買ったと思う。
読んでみると凄かった。
降りるはずの駅を乗り過ごすほどの衝撃を受けた。
求めていたものがソコに広がっていたという感覚と、約100年前にも似たようなこと考えてたんだ!とかなり衝撃的だった。
それが国語という形で教科書に載るんだもん。
そう考えると、増々衝撃的だった。
中原中也の暗くてどこか前向きな詩が、完全に当時の僕にジャストミート。
V系と純文学の関わりってどこか似たものを感じる。
その著者の考え方など、気持ちがすごく伝わるって感じ。
そういえば、バーテンダーになったのも『もっと色んな人と話して、色んな人の世界がみたい!』って理由だったっけ。
そんな感じで僕は本の沼に溺れていった。
又吉の本との出会いを読んでいて、ふと思い出したので自分がどんな経緯で本が好きになったのかを書いてみた。
これは当分…ってか、永遠にAIが仕事を取るということはないだろうと深く思う。
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