もしかして、時間がないほうが勉強できる? はたらく大学院生の勉強法
もう、娘のお弁当を作らなくてよくなった。
娘は高校3年生だから、もう学校でお昼を食べないのだ。
娘には食物アレルギーがあったので、給食も基本お弁当だった。保育園のころから今までずっとお弁当を作ってきたわけだけど、きのうが最後のお弁当の日だったのだ。
実感がないまま、いつも通りふつうに作ってしまった。写真も撮っていない。だって、ずっと作ってきたからきのうが最後だなんて実感がなくて。
いつもは6時ごろに娘が起きてきて、髪の毛をセットし始める。6時半に娘のヘアセットが終わるタイミングで、わたしが通信制大学院の勉強を終えて台所に向かう。そして娘に朝ごはんを食べさせ、お弁当を作り始める。つまり、娘が朝ごはんを食べ始めるまでの時間が、わたしに許された勉強時間だった。だから毎朝がんばって早起きしていた。ああ、もっと勉強したい。お弁当がなかったらもっと勉強できたのにって毎朝思っていた。
なのに。
きょうは、「もうお弁当作らなくていいんだあ」と思ったら、なんだか急にやる気が失せて、お布団のなかから出られなくなった。
だらだらしちゃって、結局いつもより遅く起きてしまった。とうぜん勉強はできなかった。
お弁当がなかったら、もっと勉強できるのにとあんなに毎日思っていたのに、ぜんぜんできなかった。
なんで?
かえって時間のムダ使いしてない? お弁当なくなったのに。
それで思ったんだけど、「ああ、時間がない」って思っているくらいの方が、時間を有意義に使えていたのかもしれないなってこと。
時間があると思うと、それはそれで勉強できなくなるみたい。
「この時までにやる」と期限が決まってるほうが断然集中できて、かえっていいってことに気がついた。
そういえば、「仕事は忙しい人にこそ頼め」って、こういうことなのかも。忙しくしているからこそ、集中していい仕事ができるのかもしれない。時間のやりくりもうまくなりそうだし、限られたなかでいいひらめきも生まれる。漫然と時間があっても、ってことなのかな。
ってことは、もしかして忙しい社会人大学生こそ、学びにぴったりなのかも。「時間がない」って思ってるくらいの方が、案外ちょうどいいのかもしれないね。
いい学びだった。
これから、自分のお弁当は作るようにしようかな。節約にもなるし、何より勉強のためにね!