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第2章 列島が育む食材 04.イネ:特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」見聞録 その06

2024年02月09日、私は国立科学博物館を訪れ、一般客として、特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」(以下同展)に参加した([1])。


日本で米食と稲作が広まった理由は、日本列島の気候が水田稲作に適していただけでなく、米のもつ栄養価が大きく関係しているものと思われる。米は、相当量のタンパク質と脂質を持つ。玄米またはそれに近い米を多く食べることで、短期的には必要な栄養を摂取できることが分かっている。

また、単位重量当たりのエネルギーでは、穀類は根栽など他の糖質源に比べではるかに優れている。

そして、穀類の中でも米は、アジアの雑穀であるアワ、キビ、ヒエなどに比べて食後の血糖値をすみやかに上げることが知られている。現代ではこの性質は健康上有害であるかに考えられがちだが、何が有害かは条件にもよる。かつて、米は命をつなぎ活動を支えるうえで貴重な食材だった([2]のp.38)。

展示された稲プラスティネーション標本は、イネの生長過程を示すものである(図06.01,[3][4])。

図06.01.稲プラスティネーション標本。制作:𠮷田生物研究所。
向かって右から、
苗:種まきから3~4週間で10~15cm程度に成長し、田植えが行われる。
花芽形成期~穂ばらみ期:茎の数が最も多い時期を経て、穂が茎の中で成長していく。
出穗(しゅっすい)初期:田植えから約50~80日で穂が出てくる(出穗)。稲の花は午前中に開花する。
穂揃い期:出穂しきった様子。 開花時の適温は約30°Cで、低すぎても高すぎても受粉が阻害される。
成熟期:出穂から約45日で収穫できる。脱穀、籾摺り、精米などを経て食卓に届く。


日本の稲作は、今から約3000年前に始まったと言われている。それ以来、明治時代までは人々は、ごく稀に起きる自然突然変異で生じた稲の変わり種の中から、自分たちの地域にあったものを選抜するなどして品種改良は行われてきた。しかし遺伝学に基づかない品種改良のあゆみは遅く、農家は、冷害や害虫などによる凶作と常に隣り合わせで、餓死者(がししゃ)が発生することもしたしばしばであった。人々は無事に米を収穫できるように祈るしか方法はなかった。

19世紀末、日本政府は農事試験場を開設し、収量性や耐病性耐冷性など、の向上を目指して本格的な稲の品種改良を始めた。1921年、日本最初の人工交配によって生まれた優良品種が「陸羽(りくう)132号」で、これは、冷害に強い品種と味の良い品種とを交配してできた品種である。1956年に誕生した日本のトップブランド米「コシヒカリ」は、この「陸羽132号」の孫に当たる。

高度経済成長期頃までの品種改良の目標は、米の自給のため、「収量性」だったが、米の生産過剰が顕在化した1970年頃からは、「おいしさ」をより重視する傾向へと変化していった。「コシヒカリ」は栽培中に倒れやすく、かつ病気にも弱いといった栽培上の弱点がありながら、ふっくらもっちりとした粘り気と、強い旨みがある日本人好みの食味の良さから人気となった。近年はおいしさに加えて、多収性や耐病性を付与することにより生産コストの低減を図れる品種の育成が重要だと国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)次世代作物開発研究センター稲研究領域 領域長の石井卓朗(以下敬称略)は語る。

現在、水稲うるち米の作付割合の約8割が、コシヒカリやひとめぼれ等の上位20品種で占められている。20品種のうち、ハツシモ以外の品種は育成過程でコシヒカリ、もしくはコシヒカリの後代品種、またはコシヒカリの変異種が育種素材として利用されている。これらコシヒカリ系品種にコシヒカリを加えた作付割合もまた約8割を占めている。特に「ひとめぼれ」「ヒノヒカリ」「あきたこまち」はコシヒカリのF1品種であり、この直系品種だけでも作付割合の約6割を占めている。現在の水稲うるち米の覇者ともいえるコシヒカリの来歴を遡ると、「愛国」、「旭」、「神力」、および、「亀の尾」という明治期に篤農家の手により選出された在来稲品種に辿り着く。これら品種が誕生していなければコシヒカリも誕生することなく、現在の作付動向もまったく違う様相になっていたことだろう(図06.02,[5][6])。

図06.02.米の品種改良。


1960年代の水田において、土地の高低に沿ってくねくねと流れる水路、ところどころに残る森、不規則な形をした小さな水田、ならびに、畦(あぜ)に生えた雑草や畦豆(あぜまめ)などが織りなす景観は、現代のそれとは際立った違いをみせる。 同時にそこは淡水魚、水生昆虫、および、植物などの野生生物の宝庫である。 米、魚、大豆という和食の基本の食材が、この水田生態系で育まれてきたことが分かる。

また、森や水田から出るミネラルが海に流れ込むことで、海の魚も育てられてきたといえる。 近年、米離れとともに水田生態系はやせ衰え、米ばかりか大豆や海の魚の生産を減らし、ひいては和食文化を衰退させてしまう可能性がある(図06.03)。

図06.03.1960年代の水田ジオラマ。


水田には、水田および周辺地域の日中の気温上昇を緩和する効果があるが、新たに開発された数値モデルで水稲の気孔応答などを反映させることにより、この水田の持つ気象緩和効果の大きさを見積もることに成功した。このモデルにより、大気中の二酸化炭素(CO2)濃度が現在(400ppm)の2倍に増加した条件では、水稲の葉からの蒸散が抑えられ、関東付近では夏季の晴天日における水田の日中の気温は、平均で0.44℃上昇し、市街地も平均で0.07℃、水田近傍では最大0.3℃上昇することが分かった。今世紀末までに想定される大気CO2濃度の上昇は、温室効果による気温上昇をもたらすだけではなく、水田の気象緩和効果を弱める可能性があることが示された([7])。


大豆には良質な蛋白質が、牛肉や豚肉にも負けないくらい多く含まれている。このことから「畑の肉」とも言われている。さらに、ビタミンB1等のビタミン類、カルシウム等の無機質、脂質、ならびに、食物繊維等も豊富である。また、抗酸化作用を持つサポニンや、細胞の膜のもとをつくり不要なものを体の外に出すのを助けるレシチン等の機能性成分が含まれている。

日本人の主食である米の蛋白質には、アミノ酸であるリジンが不足している。一方で、大豆の蛋白質にはリジンが多く含まれるので、大豆と米を一緒に食べることで、足りない部分を補い合ってくれる。昔から食べられてきたご飯と味噌汁の組み合わせは、相性のよい食べ物である(図06.04,[8])。

図06.04.米と大豆。


アニメ『天穂(てんすい)のサクナヒメ』(以下同作)が放送されただけでなく、農林水産省は、多くの人々に食や農林水産業について興味や関心を持っていただくため、同作とコラボした。その一環として、特設ページを開設した([9][10])。

同作だけでなく、このページを介して、水田稲作の興味や関心を抱いてくれれば、有難い。



参考文献

[1] 株式会社 朝日新聞社.“特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」 ホームページ”.https://washoku2023.exhibit.jp/,(参照2024年12月29日).

[2] 特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」ガイドブック,168 p.

[3] 株式会社 神明ホールディングス.“稲の生長”.お米未来塾 ホームページ.カリキュラム.カリキュラム一覧.稲作の一年.https://okomemirai.jp/basic/inenoseichou/,(参照2024年12月29日).

[4] 国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構).“イネの一生を知る”.イネゲノムと未来 - 未来を切り拓くお米のチカラ - 新農業展開ゲノムプロジェクト トップページ.もっとイネを知ろう!.https://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/cropgenome/ine/isshou.html,(参照2024年12月29日).

[5] 内閣府大臣官房政府広報室.“稲の品種改良の歴史と今”.政府広報オンライン トップページ.English.HighlightingJapan.Archives.2020.Highlighting JAPAN November 2020.Rice Breeding Past and Present.https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202011/202011_03_jp.html,(参照2024年12月29日).

[6] 公益社団法人 米穀安定供給確保支援機構.“日本の在来稲とその現状 ―ブランド米の祖先品種と現在の状況―”.米穀機構 米ネット ホームページ.統計情報・調査・レポート.米に関する調査レポート(消費地情報).消費地情報.令和元年度.R01-1 「日本の在来稲とその現状-ブランド米の祖先品種と現在の状況-」.2019 年 12月04日.https://www.komenet.jp/pdf/chousa-rep_R01-1.pdf,(参照2024年12月29日).

[7] 国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構).“(研究成果) 水田は、周辺地域の気温の上昇を緩和しているが、 その効果は大気CO2の増加により低下する”.農研機構 ホームページ.プレスリリース・広報.プレスリリース.農業環境研究部門.2021年03月12日.https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/niaes/138457.html,(参照2024年12月29日).

[8] 大東市役所.“令和2年2月分 給食だより(PDF:893.1KB)”.のびのび大東っ子 ホームページ.お役立ち情報.学校給食.中学校給食だより.平成31年度.https://www.city.daito.lg.jp/uploaded/attachment/11031.pdf,(参照2024年12月29日).

[9] えーでるわいす,「天穂のサクナヒメ」製作委員会.“天穂のサクナヒメ ホームページ”.https://sakuna-anime.com/,(参照2024年12月29日).

[10] 農林水産省.“テレビアニメ「天穂のサクナヒメ」×農林水産省 コラボ企画特設ページ”.農林水産省 ホームページ.https://www.maff.go.jp/j/pr/social_media/sakuna.html,(参照2024年12月29日).

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