日本人のぼくが作るフランス料理が海外で受け入れられる アラン・シャペルは料理における地域性を何より大切にした。地元の食材の個性を料理に生かすことが彼のテーマであり哲学だった。そういう人の言葉だけに、"見事にJAPONISEE してのけた"という言葉が心に響いた。厨房のダ・ヴィンチは、日本に帰ったぼくが何と戦っていたかを、まるで見通していたみたいだ。 JAPONISEE、 ジャポニゼを直訳すれば日本化だ。 「フランス人シェフたちの料理を日本化する」とはどういうことか。日本人の
海岸にいる。 遠くで崖が崩れて、岩が落ちる音がする。海の水が引いていく。それを追うようにして、海に足を入れる。遠浅で、ところどころにごつごつした黒い岩がある。海はなおも引いていく。 空が赤い。朝焼けなのかな。 赤い空に、輝くような橙と沈んだ紫がかかった雲がかかっている。 あ、波が来る。突き飛ばされるように波に呑まれた。ぐるぐると転がされているうちに、気を失った。 気がついた。ことばがうまく出ない。考えがまとまらない。遠くで崖が崩れ続けている。 海を見ている。背後にある建物はす
北方謙三の『三国志』を読み返している。 10月23日、50歳の誕生日を目の前にして、今、読み返すと五斗米道軍を率いていた張衛のダメさが自分と重なって感じられる。 曹操と真っ向から戦い、完膚なきまでに敗北した馬超は張衛のいる漢中にたどり着く。しばらくはここで力を蓄えろという張衛に対して、馬超は言う。 「……おまえは、五斗米道軍を率いて、天下に雄飛しようと考えていたのだろう、張衛。しかし教祖に締めつけられて、なにひとつ思っていることができはしなかった。その締めつけ方が、ころころ