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takechan's diary vol.24

じわじわと島根県雲南市が盛り上がっている。24日目、書きます。

子どもと関わろうと決めたポイント③

シリーズ化第三弾。今回は、当時「先生」になろうと確信した先生との出会いについて。

前回、素敵な先生方に出逢ったとお伝えし、恩人の一人について書きましたが、もう一人忘れられない先生がいます。


小学生時代は少年野球をやっていて、中学校ではもちろん野球部へ入部。

中1の夏。顧問が変わりました。この顧問が、忘れられない一人です。

前任の先生は、どちらかというと楽しく野球をやろうというスタンス。しかし、変わった先生は勝利に貪欲で妥協を許さない、怖くて厳しい先生でした。

ただ、ただただ怖いだけの先生ではありませんでした。
新チーム最初の練習試合前日。こんなことを言われました。

「お前は1年間4番から外さない。これが俺のメッセージだ。」

すごく嬉しかったのを覚えています。言葉で面と向かって言ってくれたことが。
結果、ほとんどの試合で4番を任されました。ありがたい1年間でした。


先輩が抜けて自分たちの代になり、僕は主将に任命されました。
「勝てるチーム」にしたいと、同級生でもお構いなく言いたいことを言って強くしようと努力して約1ヶ月経った頃、いまだに思い出す程の鬼の10分間が訪れました。

その日もいつも通りの練習が終わろうとしていたのですが、僕だけ最後まで残らされました。理由は伝えられません。

その後は、ひたすら絶対にボールが取れないノックが続き、だんだんと僕も苛立ってきました。すると、

「それでも主将か!!!なんでボールを追っかけねええんだーーー!!!」

と、苛立ちがどこかへ消えていくほど強い声が、僕の胸に突き刺さります。
こうなったら、とにかくボールを追いかけるしかない。

結局、ずっとボールを追いかけて、10分が経った頃、ようやくノックは終わりました。

ノック後、顧問が一言。

「今のお前に足りていないのは、これだ。分かったか。」

顧問の声を聞いて冷静になった僕は、その場で泣き続けていました。


卒業式当日。顧問に言葉をもらいにいきました。
中学校最後の1年間は自分の中でも色々あった1年で、大好きな野球も高校で続けるか迷っていたほどでした。

だから、高校3年間をどうしていくかを考えるにあたって、顧問の意見が当時の僕には必要でした。

顧問は卒アルに言葉を書きながら、こう伝えてくれました。

「お前しか甲子園は期待してない。行けるようにこれからもがんばれ。」

高校野球を続ける決心がつきました。
そして、大学の野球サークルまで続けることができました。

「自分の言葉で、子どもたちが変化する」

そんな先生を目指すと決めた瞬間でもありました。


この先生は、その後会えましたが、大学に入ってからは会えていません。この先生ともまたどこかで会えると信じてます。

僕の言葉は、ちゃんと子どもたちに届いているかな。

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