見えない不安に「ふあん」
今回の結論は「見えない不安」は「見える不安」より楽なはず。だから今、悩んでいるのがもったいないって話です。
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私は責任のある立場にいます。
そして来年度にもしかしたら自分の意図としない出来事が起こるかもしれない状況です。そのためここ数カ月間見えない不安に恐怖し、勝手にストレスを作り出しています。
胃は痛いし眠れない、ストレスで思考も働かない状態です。私はいつも逃げ出したい気持ちにかられて、この不安から解放される妄想をしています。
「この状態がいつまで続くの?」
本当にメンタルが持たなさそうだと感じるようになりました。自己啓発本を読んでも解決せず、、、、
しかし、今日、たった1時間前に日差しを浴びて「気持ちがイイ」と思った瞬間、前に体験した経験が蘇り、少し気持ちがスッとしました。
私は看護師なのですが、数多くの死を見てきました。
患者は病気の発覚し、ある日を境に「生存率・余命」について意識しなければならない状況に陥ります。
ここで大きく2つのパターンがあります。
・最後まで受け入れられない死と恐怖。
・時間はかかるが最後に死を受け入れる
この2つのパターンに違いはありますが共通するのは、「未来が決まっている」です。
前に担当した患者さんは末期がんの宣告を受け悲観しました。その後、彼の中で様々な葛藤があったのですが、最後の2か月くらいは死を受け入れ終活と言いながら旅行をしたり、家族と笑顔で過ごしていました。
死についてすべてを受け入れたのかは分かりませんが、覚悟は決まっていたと思います。
ここで言葉の整理をすると、今回の患者さんの例は未来が決まっているので、抱える不安は見える不安です。死という現実的な不安が心の中で可視化されたのと同じです。
一方で私の場合は見えない不安です。その不安が現実化するかもしれないし、しないかもしれない。ある意味、自ら不安を作り出しているのです。
その時にならないとわからない事に怯えるのは、冷静に考えると非合理だと思います。(この辺のココロの在り方は難しいですが)
この不安は原始時代から始まっています。
喰うか喰われるかの世界、いつ猛獣に襲われるか、他民族が侵略しに来るかわからない状況です。この時代は常に脅威を予測して生きていたのが、見えない不安の始まりです。この見えない不安は生存本能が作り出している物です。
しかし、現代の日本では安全性が担保されています。つまり、見えない不安に怯えているのは非合理な事です。生きていられるのに、こんな見えない不安に時間を費やして、心身を痛めてはもったいない、そんなことを思ったらココロがスッとした今日この頃でした。
皆様のお役に立てるnoteになれば幸いです。