只の天衣無縫であればいい

20代前半の方々の指針になればよい。

もうすぐ風が涼しくなってくる季節に差し掛かった。
このぐらいの季節が今はちょうどいい。

私はコートが好きだ。だからこれまですごく沢山買った。モッズコート、トレンチコート、モーターサイクルコート、ロング丈、ショート丈、ベージュ、ブラック、ネイビー、グレー、カーキ、本当にたくさん買った。

自由に服が買えるようになった時、初めて買ったのもトレンチコートだ。その時は20になったばかりの頃。初っ端からそんなお高いものをと、30代の今になっては"背伸び"ってやつだったんだろうなと理解できる。けど今はその過程を経て結構マシになったんじゃないの、とか思う。
長いコートは"無敵"の象徴だったのだ。そして"大人"を纏うことの象徴だった。

その賞味期間は短い。本格的に冬になって、雪が降るか降らないかのようなニュースで都内が揺れるような時期になると、ダウンジャケットとかに取って代わる。日差しがまだある秋初旬には、もうちょっと軽めのジャケットとか、シャツ一枚とか、そういうもので満足する。
だから無敵期間はほんの僅かしかない。
その割に部屋の中では堂々と場所を占める。結局着ていない期間すら、無敵感を出してしまうのだ。

本格的にコートを着る時期になって、着るものを選ぶ。
正直そんなに頑張りたくないし、パーカーとかそんなもんで誤魔化したくなる気持ちを見透かしたように、彼らは視界に入ってくる。
今、これを着られるぐらいの自分になっているのかな?そう問い直す時間が一瞬、目の前をよぎる。
20代前半の頃は、そんな感情は起きなかった。
ただこれを着て外に出ればいいだけだった。
流行り、とか無難、とかそういう言葉を無視して歩けた。

今思ってみると、結局そうなのだろう。20代ってやっぱり、表に我を出して、天衣無縫を纏って生きていくことなのだろう。
30代になって、今思う事はその天衣無縫を剥がされて、何をもって我也と語るかだ。仕事もあるし、経験もある。言葉、かもなとも生活のバランスかもな、とも思う。全部しっくりこないのは、それらすべての総合力だからだ、とも思う。

20代は無敵で良い。バッチバチの我執でいい。男はいつだって、自分にこだわっていかなければ、道が開けないのだから、ストイックに我執を放てばいい。

現代の"我執"っていうのは、まあ承認欲求なのかな。でももうちょっとパワーがある。

他人なんか気にしない、俺は俺で俺なのだ。

そう言い切れるぐらいの気持ちいいぐらいの我執と、今はすごく対峙してみたい。そこから先の深みに、到達していると、実感してみたい。

そんなことを考えた。様々なことがやりっぱなしの投げ放題だが、努めて捨てる。そんな冷徹さをもった30代も、また別の天衣無縫。

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薄情屋遊冶郎
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