自#168|将来の仕事、間違ってるかもしれんな(自由note)
感染症研究の第一人者で、接触8割削減を唱えて、「8割おじさん」と言われた西浦博先生のインタビュー記事をアエラで読みました。西浦さんは、普通のサラリーマンの家庭で生まれて、勉強への興味は薄く、野球と機械いじりが好きで、中学卒業後は、神戸市立工業高等専門学校の電気工学科に進学します。野球部に所属して、電気工事士や情報技術者の資格を取って、将来は普通にエンジニアになろうと考えていたそうです。
高専の2年生の時、阪神淡路大震災に遭遇します。早朝、激震に見舞われ、自宅の被害は少なかったので、野球部の部員の安否が気になって、近くに住むチームメートと原付バイク3人乗りで、仲間を訪ねて廻ったそうです。ですが、神戸の街は、無残に破壊され、黒煙を上げています。鮮烈な光景が、西浦さんの目に飛び込んで来ます。木造家屋が押し潰され、屋根が地べたに載っかっています。そのわずかな隙間に、陸上自衛隊員が匍匐前進で入り、負傷者を引っぱり出して来ます。長時間、がれきに圧迫された下肢は、腫れ上がっています。待っていた衛生隊員が、素早く患部を固定し、持ち上げて冷やします。他の患部からの出血も多いらしく、輸血も始まります。遠巻きに眺めていた高専生三人組は、救助活動の手際に圧倒されます。
「こんなこと、僕らにはできないよね」と、チームメイトがポツリと呟きます。
「電気工事士の免許を持っていても、停電では役に立たへん」と、西浦さんも小声で返します。
「将来の仕事、間違ってるかもしれんな」と、土木科のチームメイトが洩らします。
「そうや、間違ってるかもな」と、西浦さんは応じします。
幸い、野球部員は全員、無事でした。が、神戸高専のグランドには、仮設住宅が並び、もうプレーはできません。学校も、半年近く再開されませんでした。17歳の西浦さんは、避難所でボランティア活動をしながら、将来を考え直し「救急医になろう」と決意します。普通のサラリーマンの子弟が、医学を学ぶためには、国立大の医学部に進学する必要があります。当然のことながら、西浦さんは、決意してからは、猛勉強を始めます。
翌年、無事、国立宮崎医科大学に合格します。入学すると、体格のいい西浦さんは、6年生の救急医志望の先輩に「1年間、ご飯を奢るから、トライアスロンをやらないか?」と、声をかけられます。医師、とりわけ外科医、救急医は、知力もさることながら、最終的には体力がものを云う世界です。長時間の手術や、日に夜を継ぐ激務に耐えなければいけません。西浦さんは、大学時代、トライアスロンに熱中します。そのまま、頭と体を鍛え、救急医に一直線のつもりだったんですが、偶然、出会った感染症のデーターを見て、人生が大きく展開します。西浦さんは
「中国の新疆ウィグル自治区で、ポリオ(小児麻痺)撲滅のプロジェクトが展開され、集落ごとにワクチンの予防接種率が記録されていました。ある閾値を超えた集落では、流行はピタッと止まっています。閾値よりわずかでも下回ったら、感染が起きています。不思議でした。閾値の根拠を辿って「Infectious Diseases of Humans」と云う本の存在を知りました。数式だらけの理論数学の本です。数学理論が、集団の感染制御に役立ち、大勢の命を救っています。鳥肌が立ちました。個々の患者さんを診るより、こっちの方が、面白くなりました」と、回顧しています。
医大を卒業し、都立荏原病院で、1年間、研修医生活を送った後、タイのマヒドンナ大学熱帯医学校に行って、熱帯医学衛生学を学びながら、感染症の数理モデルを研究します。その後、「Infectious Diseases of Humans」の著者が籍を置く、感染医学の総本山、インペリアル・カレッジ・ロンドンに移ります。ワールドクラスの講義と研究で鍛えられた後、ドイツのチュービンゲン大学、オランドのユトレヒト大学、香港大学と、次々に拠点を変えて、キャリアを積み上げて行きます。
西浦さんは、感染症数理モデル研究の裾野を広げるために、帰国し、東大の大学院准教授に就任します。ほどなく、韓国でMERS(中東呼吸器症候群)が、大流行し、リアルタイムでMERSの研究に没頭します。感染がピークの時期の睡眠時間は、一週間の合計でも、10時間くらいだったと、スタッフの一人が述懐しています。統括していた責任者の西浦さんも、同レベルの睡眠時間で、寝食を忘れて、研究に打ち込んでいた筈です。
30代で、すでに押しも押されもしない、感染症研究の大家だったわけですが、知名度が一気にupしたのは、コロナ禍が始まってからです。今年の二月、当時、北海道大にいた西浦さんは、厚生労働省に呼ばれて、数理モデルを使った、データー分析に着手します。3月に入って、「人と人との接触8割削減」のシュミレーション資料を作成し、政府の諮問会議に提出します。が、経済的な打撃を嫌う政治家は「6割でどうだ。ダメなら7割では」と、値切って来ます。西浦さんは、きっぱりと「No」だと返事をします。が、4月7日に出た安倍首相の「緊急事態宣言」では、「最低7割、極力8割削減」と幅を持たせた表現になっていました。
「あくまでも8割。すぐに休業補償をしてハイリスクの場所を閉じて下さい」と、西浦さんは主張します。
政府および政治家に振り回されて、大変な日々を過ごしていたと推測できます。北海道にいて、テレビで夫の姿を見ていた西浦さんの奥さんは、「運動せず、ストレスで食べ過ぎて、体重が一気に増加して、シャツのボタンがはちきれそうになっている」と懸念します。奥さんは、洗濯した着替えを送る宅急便の箱に、ジョギングウェアを入れます。走って体重を落とさないと、危険だと云う奥さんからのメッセージを、素直に受け止めて、厚労省近くのホテル暮らしをしていた西浦さんは、皇居の周囲を走り始めます。「国民への脅し、扇動」と云ったバッシングも多く、走り始めてなかったら、ストレスで倒れていたかもしれません。
西浦さんは、この夏、北海道大から、京都大に移動しました。京大のランニングクラブのボスは、あの山中伸弥先生です。山中先生から「一緒に走る」と云うメッセージも移動前に届いています。皇居の周囲を走るよりは、東山が借景で見える、風光明媚な疎水沿いの路を走った方が、ストレスケアには、より役立ちそうな気はします(どちらも走ったことはないので、あくまでも想像ですが)。
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