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教#080源氏物語10
「たかやんノート80(源氏物語10)」
前の学校の国語の先生に頼んで、多少、古い便覧を一冊譲ってもらいました。基本カラー印刷で、写真も数多く使用しています。今は、教科書もカラーで印刷されています。カラーの写真と、古典のイメージとは、上手くつながらないってとこは、あります。夏の植物として、帚木の写真が掲載されています。園芸品種のそれで、カイヅカイブキのように、楕円形にきれいに刈り込んであります。見た目は、すっきりしているんですが、このすっきりした帚木から、物語の世界に入って行くのは、難しいです。植物図鑑のモノクロのスケッチ画の方が、まだ望ましいかなって気はします。
アートな絵ですと、取り敢えず、それでイメージ作りをするのもありだと思います。今、手元に奥村土牛さんの朝顔の絵があります。細竹に蔓が絡んで、縦orやや斜め上に向かって、蔓は這い上がっています。きりっとした夏の早朝の匂いが立ちこめています。古典の朝顔は桔梗だと、説明されたりしています。が、秋の七草の地味な桔梗より、式部卿宮の娘の朝顔の姫君は、取り敢えず、奥村土牛さんが描いた朝顔のイメージだと、決めておいた方が、すんなり物語の世界に入って行けそうです。物語は、自分の趣味で楽しんで読むものです。どういう読み方をしても自由です。それに、私が書いているのは、エッセーです。卒論の原稿でありません。学問的な整合性は、別段、求められていません。 雨夜の品定めは、まず光源氏と頭中将の二人が、語り合っています。光源氏のもとに届いた女性の無難な手紙を見終わったあと、頭中将は「女のこれはしもと難つくまじきは、かたくもあるかなと、やうやうなむ見たまえ知る」と、いきなりぶっちゃけな発言をしてしまいます。つまり、完璧な女性は、いないということです。が、17歳の光源氏にとっては、亡き母は完璧な女性であった筈ですし、亡き母に似た藤壷の宮も完璧な女性です。後に、紫の上にも、完璧な女性に成長してもらおうと努力します。この時点で、頭中将はリアリストであり、光源氏はロマンチストだとは言えると思います。
もう、何年か前の話ですが、前の学校の男子トイレの鏡の前で、とある体育系部活の1年生と2年生が、喋っているのを耳にしました。1年生のクラスメートのある女の子が、とんでもなく可愛くて、清純で素直な子だと、1年生男子が、力説しています。スマホで、写真を見せたりもしています。先輩は、「まあ、普通に可愛いけど」と、さらっと感想を洩らすと「普通とかじゃないですよ。超絶可愛い感じです。AKBのオーディションにだって、応募すれば合格します。顔もですが、性格もめっちゃいいんです。表裏がなくて、最高です」と、後輩はむきになってまくし立てます。先輩は厳かに言い放ちます。「すべての女には裏があるから」と。後輩は、先輩が語る真実には、耳を貸すつもりはないらしく、「もう、いいっす」と、会話を打ち切りました。この純朴きわまりない高1のボーイが、上述の頭中将のセリフの真実が、身にしみて解るようになるためには、何回か恋愛をして、痛い目に遭う必要がありそうです。雨夜の品定めは、この後も、左馬頭と藤式部丞が加わって、実践的な教訓が語られます。理屈っぽくて、難しい箇所ですが、男子に恋愛の修羅場を回避させると云う目標・めあてを設定して、雨夜の品定めには、もっと時間をかけて取り組むべきなのかもしれません。
頭中将は「ただうはべばかりの情に、手走り書き、をりふしの答へ心得てうちしなどばかりは、随分によろしきも多かりと見たまふれど、そも、まことにその方を取り出でん選びに、かならず漏るまじきはいとかたしや」と、語っています。取り敢えず、外面を上手にこしらえる。男女ともに得意な人はいますが、女性の方が、これは、得意分野です。こういう風な行動をすれば、可愛く見える。こういう発言をすれば、性格のいい女の子だと認めてもらえる。そのあたりを、アリストテレスの習性的徳レベルで、身につけています。見た目が可愛くて、小さな子供の頃から人に好かれている女の子は、どうすれば、自分が最大限評価されるのかと云ったスキルを、完膚なきまでに身につけています。これを、見破れる男は、まずめったにいない筈です。字も上手です。字の上手、下手は、要するに訓練です。努力すれば、誰だって、ある一定レベルの上手さに到達します。デッサンと同じです。ですから、努力もしています。人に好かれて評価されるためと云う利己的な目的であっても、努力できることは、立派です。努力しない人より、努力できる人の方が、はるかに人間力があると断言できます。
頭中将は「よろしき」と言っています。良し悪しの程度は「よし」「よろし」「わろし」「あし」の四段階です。「よろしき」は、上から2番目です。が、上から2番目ではなく、No1の「よし」のレベルまで、作り込んで高めている女子は沢山います。女の子の作り込みは侮れません。ほとんど99%の男子は(凡庸な男子も賢い男子もともに)作り込んだ女の子に、ころっと騙されてしまいます。ですから、いよいよこの人だと、最終決定する段階になると(まあある程度の期間、同棲とかもして)やっぱり無理ってことに、なったりするわけです。いくら作り込んでも、四六時中、ずっと作り込むことはできません。週二回のデートだったら、完璧な女の子を演じることができても、3ヶ月も同棲すれば、メッキは、少しずつ剥げて来ます。
頭中将は「おのがじし心をやりて、人をばおとしめなど、かたはらいたきこと多かり」と評しています。すべて、自分中心、自分が一番可愛くて、すごくて、周囲の人の欠点、アラを見つけて、ディスりまくる、まあ、これもあるあるです。自分の欠点、アラには、なかなか気がつきません。他人の欠点、アラは、すぐに解ります。で、ついつい、取り敢えず、SNSでディスっとくかみたいな。千年後の今も、基本は同じです。