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世#002|宗教と救い(世界史ノート)

 インドのメジャーな宗教は、ヒンズー教です。カースト制と密接に結びついています。職業は世襲で、結婚もカースト内で行われます。基本は、見合い。親が決めた相手と結婚します。食事も同一カースト内の共食です。

 まだイギリスが支配していた1920年、大飢饉が起こって、イギリス政府が、一般民衆のために、給食を用意しました。その時、食卓の周りにチョークで線を引いて、カーストごとに、別々の部屋で食事を摂ったと云う「てい」にしたそうです。餓死が目の前に迫っていても、そこはやはり、所属カーストの戒律を堅く守らなければ、いけないんです。

 キリスト教は、友愛を誓って信者になったものは、聖餐(ミサ)の時、平等にパンを食べ、赤ワインを飲みます。「神の前での」と云う前フリはついていても、平等を実現したキリスト教やイスラム教は、ある意味、偉大だと言えます。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、本質、同じ宗教です。一神教を始めたのは、ユダヤ人です。ユダヤ人(外国人が呼ぶ場合ヘブライ人、自分達は、自身のことをイスラエル人と言います)は、ユダヤ人だけが救われると主張しました。

 ユダヤ人の中から出て来た、イエスキリスト(イエスはユダヤ人です)は、all over the world、世界中の人は、誰でも、神を信じれば、救われると説きました。つまり、キリスト教は、完全な平等の概念を持ち込んだと言えます。イエスが活動していた時代(と云ってもせいぜい2年くらいですが)地中海世界は、ローマ帝国が支配していました。ローマ帝国としてまとまっていたので、その後、パウロや使徒たちの活躍よって、キリスト教は、ローマ帝国の全域に広がって行きました。

 ところで、ローマ帝国は、AD 395年、東西に分裂します。東ローマのキリスト教が、ギリシア正教になり、西ローマのキリスト教が、ローマカトリックになります。

 6世紀にメッカに現れたムハンマドが、イスラム教を始めます。ユダヤ教やキリスト教の影響を受けています。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は一神教で、同じ神様なんです。我々、東洋の異邦人から見ると、同じ宗教だと言っても、あながち的外れではない筈です。

 ローマカトリックの中で、宗教改革が起こって、ローマカトリックと、プロテスタントの二派に分かれます。教義の本質の違いは一点だけです。ローマカトリックは、魂の救いに関しては、教会のみが神の代理人だと主張します。つまり教会を通さないと、人は救われないんです。プロテスタントは、教会が関与しなくても、信仰があれば救われると主張します(これを信仰義認説と言います)。

 東洋人から見ると、ユダヤ教も、ローマカトリックも、ギリシア正教も、プロテスタントも、イスラム教も、同じ宗教なんです。その人たちが、十字軍を始めとして、宗教戦争を、嫌と云うほど繰り返して来ています。イスラムは、コーランで、ジハード(聖戦)を認めています。キリスト教は、本来、戦争を認めてない筈です。同じ宗教だったら、いや、同じ宗教じゃなくても、みんなで、仲良くすればいいのにと、中高校生じゃなくても、大人だって、日本人なら、普通に考える筈です。

 東洋にだって、戦争は嫌と云うほどありますが、宗教同士が争う、宗教戦争と云うものは、ありません。かつてのインドは、ムガル帝国時代、イスラムに完全に支配されていたことがあります。イスラムとヒンズーとの宗教戦争があったわけではありません。中央アジアにいたイスラム教徒たちが、経済的に豊かなインドを支配したいと云う政治経済的な理由に基づいて、インドを征服したんです。

 ヒンズー教には、ヴィシュヌ神と、シヴァ神と云う二つのメジャーな神様がいます。ヴィシュヌ派とシヴァ派が、二大勢力だと言えます。この二大勢力が、争ったことは、一度もありません。

 BC 5C頃、ジャイナ教や、仏教なども出て来ます。仏教は、お釈迦様の死後、20くらいのグループに分かれてしまいます。大乗仏教は、自分たちのことを、大きな乗り物と称して、オマエたちは小さな乗り物だと、ディスります。ディスられたからと言って、それが、原因で、争うと云ったことはありません。日本だと、鎌倉時代に、仏教の新興勢力が、沢山出て来ました。が、別段、争ったりはせず、共存して来ました。東洋の宗教は、昔から、diversityを容認している文化だと言えます。

 インドの仏教は、マウリア朝のアショーカ王の時、大発展します。仏教のダルマによって、統治すると決めて、全国に磨崖碑などを建立し、ダルマを刻みます。資料集には、刻んだダルマの部分はcutされて、頭部のライオンと法輪、台座の部分のみ写真が出ています。

 ところで、アショーカ王は、王子時代、父親にまったく愛されてなかったんです。父王は、アショーカを戦死させるために、激戦地に送り込みます。が、アショーカは、激戦地で、無事、反乱軍を平定します。その後、父王が死んだ後、首都のパータリプトラに電光石火、帰って来て、99人の異母兄弟を全員、殺します。また、父王を軽んじたと濡れ衣を着せて、大臣500人の首を刎(は)ねます。父王のハーレムの官女500人も焼き殺します。始皇帝の焚書坑儒以上の残虐ぶりです。

 今の資料集には載ってませんが、旧資料集には、カリンガ国を征服して、その時、数十万人の犠牲者が出たことを後悔して、仏教に帰依したと書いてありました。つまり、数十万人を殺しまくって、さすがに反省して、帰依したと言うことです。

 別のstoryですと、こうです。アショーカ王は、日頃から、残忍きわまりない死刑をやっていたんですが、たまたま食を乞いに来た、一托鉢僧を煮殺そうとしたそうです。が、火は燃えません。王が来ると、神通力で空中に浮遊し
「慈悲心を起こして人々の心を安んぜよ。全国に仏のために塔を建てよ」と説いたそうです。アショーカ王は、合掌懺悔して、真実の仏教王となったそうです。

 正直、「はぁ?」って思います。そんなに何十万人も殺して来た残虐な王が、懺悔したくらいで、「はたして救われていいの?」とは、思ってしまいます。

 ゴッドファーザーパート③で、アルパチーノ扮する二代目ドンコルレオーネが、イタリアに行きます。カトリックの枢機卿が
「神様を信じて、救いの道に、お入りになったら如何ですか」と、ドンコルレオーネに勧めます。ドンコルレオーネが
「自分は、これまで何百人も、殺して来た。そんな自分が、救われますか?」と質問すると、枢機卿はきっぱりと「信仰があれば救われます」と断言します。このセリフを聞いて、二千年間、積み上げた来たカトリックの輝かしいlegacyのようなものを、感じました。

 親鸞聖人は、教行信証を書きます。教行信証のサビは、例の悪人正機説です。源平騒乱も含めて、武士たちは、嫌と云うほど人を殺しまくって来ています。その人殺したちが、救われるとなると、たとえば、最近起きた、何十人もの人を殺害した事件の犯人たちも救われるってことになります。「あなたの考えはどうですか?」、とまあ、こういう問題を、本当は、大学入試にだって、出すべきなんじゃないかと思います。教科は、やっぱり倫理とかですかね。

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