自#003|私は30年前にオワコンと言われた教師(自由note)
I just called to say I love you
I just called to say how much I care
I just called to say I love you
And I mean it from the bottom of my heart(心の愛、by Stevie Wonder)
これは、サビのフレーズですが、一番くらいなら、歌えます。ってか、今日、廊下とか歩いてる時、歌ってました。生徒は誰もいないし、まあ歌っても迷惑はかけてないって感じです。
その日、気になったアーティストのCDを聞きながら寝るのが習慣です。一昨日は、Book Offで、ボブディランを聞いたので、夜、CDを聞いて、翌日「Don’t think twice it all right」とか、口ずさんでいました。本当だったら、ボブマーリーの「Redemption Song」を練習しなきゃいけなかった筈なのに、その必要がなくなったのは、正直、やっぱり残念です。今の学校に赴任して、一度も歌ったことがありません。その前の学校は、どうだったか。覚えているような、覚えていないような、微妙です。
前の前の学校では、歌いました。20年くらい前です。ある日、仲のいい生徒が来て、ミッシェルガンのコピーバンドのVoがいないので、ニシモリさん、歌って下さいと、頼みに来たんです。ミッシェルガンエレファントの2枚目のアルバムが出た頃です。吉祥寺の壱の助と云うスタジオに入って「地球を舐めまわして、うーうーうー」などと、がなる、どなるみたいな感じで練習してました。ライブ会場は、その頃は、吉祥寺のZenを使っていました。Zenで、時々、自分主催のライブをやっていたんです。黒いシャツを着て、白いネクタイを結んで、全然、似合ってなかったです。どんなにひいき目で見ても、アレは、黒歴史です。
その2年前くらいに、クラプトンの「nobody knows you when you’re down & out」を仲のいい男の子にアコーステイックギターを弾いてもらって、歌いました。そっちはまあ、a little 歌えたと思います。「わしゃ、やっぱり、洋楽じゃけんね」と、アッピールしたくはなります。
4月12日に、long long time agoの教え子たちが、私の退職記念ライブを、開催してくれます。3月は予定が全部入っているからダメだ、4月になったら、いつでもいいと以前に、伝えてあったので、4月12日を指定して来たんです。あっ、今でも、一応、4月12日、実施ってことになっています。世話役のM子が、時々、ウチに電話をかけて来てくれて
「先生、本当に大丈夫? 新型コロナウイルス怖くない?」と、気遣ってくれています。新型コロナウィルスは、1ミリも怖くないです。ただ、夜が遅いのはNGです。
「PM5:00には終了してくれ。朝はいくら早くても構わない。あと、酒はいいが、タバコは厳禁。スモークも止めてくれ」と、伝えてあります。私が、34、5歳頃の教え子たちです。そこから、30年以上が、またたく間に、過ぎ去っているんです。
「いったい、誰が玉手箱の箱を、勝手に開けたんだ」と、ぼやきたくはなります。
34、5歳の頃、自由な時間がどっさりあったら、ジャマイカかアイルランドに行って、ストリートの音楽を聞いてみたいと思っていました。それを生徒に喋ったかどうか、覚えてません。4月12日に、私を呼んでくれるのは、最初に勤めた足立区の高校の12期と13期です。12期とは仲が良かったんです。35年間の教職生活を通して、もっとも自分と相性の合っている学年でした。ある意味、問題児たちだったと思います。が、私自身が、問題児ですから、波長が合っていたと言えます。わぁわぁ言いながら、3年間、熱く楽しく、かけ抜けました。12期が卒業した時、正直「オレ、燃え尽きてねぇか」と思ったくらいです。実際、powerは、落ちていました。いつだったか、12期のOBが来て、1個下だか、2個下だかの後輩に
「ニシモリさんは、どうだ?」と尋ねたそうです。そうすると、現役が
「もう、死んでますね。終わってる感じです」と、返事をしたらしいです。そうすると、OB は
「ニシモリさんが、死んでるんだったら、これからはオマエたちが、部活を盛り上げて行け」と言ったらしいです。私は、30年前に、オワコンと言われた教師なんです。終わった人間が、その後、30年間、何やかや、時には自分をだまし、すかし、おだてながら、わぁわぁやって来たって、構図です。まあですが、生き抜いて行く強烈な生命力のようなものは、自分にはあるんだろうと、自己分析しています。
12期が卒業した翌年だったか、Tと云う卒業生から学校に電話がかかって来て、
「ニシモリさん、ジャマイカに行って来た。キングストンの街で、ボブマーリーのカバーを聞いた。今度、梅島のライブハウスで歌うから、聞きに来て欲しい」と、言われました。
梅島のライブハウスに出向きました。Tが歌ってくれたのが、「Redemtion Song」。
「ここじゃ、アコーステイックギターの音色が違う。カリブ海のあの湿ってるんだけど、乾いた海風、あの空気の中で、歌って、聞かないとしっくり来ない」と、MCで言ってました。彼の歌を聞いて、素直に感動しました。オレも、いよいよ最後って時、これを歌ってみようかなと、漠然と思ってました。それから、30年。あっと云う間です。邯鄲の夢とか、浦島太郎の話とか、もう超絶リアルに胸につき刺さって来ます。
12期は、現在47歳。13期は46歳。もう、孫がいるOBも普通にいます。M子も、おばあちゃんになったと言ってました。あっ、M子は13期。主催は12期の筈です。1個下の13期をぱしりで使う、これ、30年前と同じじゃんと、思ってしまいました。
ヤンキーな問題児たちの子供も、ヤンキーってことは、まず、ないと思います。もしいたら、連れて来て欲しいです。今は、ヤンキーにはならず(つまり外向きをエネルギーを発散させず)、メンヘラ(エネルギーを内側に向ける)に、なっている筈です。
先日、頼みたいことがあって、Kくんと云う教え子の家にTELしました。Kくんママが電話口に出て、世間話をしました。Kくんママは、中学校の保健室の先生です。毎日、嫌と云うほど、いっぱいメンヘラ生徒が、保健室に押し寄せて来るわよと、楽しそうに言ってました。押し寄せて来る以上は、やっぱ、わきあいあいと、enjoyするっきゃないなと、私だって思います。
「ぼくイエ」を買って、読んでいます。ブレイディみかこさんの息子が通うSecondary Schoolは、元底辺中で、「元」がついていますが、なかなか、どうして結構、ヤバい感じです。レイシズムやヘイトが、渦を巻いています。貧困化も、子供たちが満足に食べられないくらい、進んでしまっています。音楽がなきゃ、やってらんねぇーだろうと、思ってしまいます。現実、元底辺中学校では、活発に音楽活動しています。
今日、エンディングを流すとしたら、やっぱり「Conversation Peace」。人と人とのコミュニケーションによって、世界は平和になる、人類はhappyになる、そう思って、スティービーワンダーは、この曲を作った筈です。
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