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渡米95〜98日目 ミッション・インポシブル、真夜中のホラー映画撮影!?

映画「Ghost Booth」はこちら:
http://www.youtube.com/@TakayaKawasaki

2023年11月25日(日)〜11月30日(水)

ニューヨークでの最終日、お世話になっているMarciaのマンションのリビングで、来週撮影が控えている短編映画「Ghost Booth」の絵コンテを書き進めた。翌朝、撮影前にクルーの全体打ち合わせを予定しているため、早めにコンテを書き上げて送ってしまいたかった。

普段、ドキュメンタリーの撮影の際には、自分自身が撮影も担当しているため、頭の中に撮りたい映像のイメージはあっても、事前に絵コンテを描くことはない。しかし映画の撮影の際には、自分でカメラを回さないため、監督としての意思を伝えるためにも絵コンテを準備する。ましてや撮影のために費やせる時間が限られている場合には、事前の準備として絵コンテは欠かせない。昼過ぎにようやく40カット近い絵コンテを書き終えて、全スタッフ向けにメールで送信した。僕は残念ながら絵は得意な方ではないが、それでもペンを手に脳内にあるイメージを具体的に目に見える形にしていくことで、自分のヴィジョンやイメージがより具体的なものとなり、またそこから新たな発想が生まれてくることも多々ある。

ようやく絵コンテを書き終えると、Marciaの部屋を掃除してから家族全員で置き手紙を書き、さらにMarciaとPeterに電話でお礼の気持ちを伝えて、15時すぎにマンションを後にした。

その後、渡米してから、家族で初めて食べ放題のお寿司屋さんを訪れ、大好きな寿司をみんなでお腹いっぱい食べて、さらにソーホーの五番街にあるノースフェイスで極寒の冬に備えてスノーブーツを買い、18時半のボストン行きのバスに飛び乗った。

僕が脚本・監督を務める短編映画「Ghost Booth」はレコーディングブースの中で若い歌手がゴーストに遭遇し、歌を完璧に歌いきらないことにはブースの中に囚われてしまうという話だ。

そこで主人公が歌う曲をバークリー音楽大学の友人のGloriaが作曲してくれることになっていて、僕が歌詞を書くことになっていた。だが、Gloriaはサンクスギビングの休暇を利用して友達とハワイに旅行中で、撮影の三日前になってもまだ曲が届いていなかった。

この日、バスでニューヨークからボストンに帰る直前にようやくGloriaと連絡が取れて、ほどなく彼女が素晴らしい曲を送ってきてくれた。明日のリハーサルまでに、主役を務める女優のAnnieに歌を覚えてもらう必要があり、今夜中に歌詞を完成させて歌を入れて送らなければならない。Gloriaが送ってくれた曲は、まるで美しくも儚い雪景色の中に潜む幽霊を想起させるような悲しくも美しい曲だった。脳内に景色が浮かぶと、スケッチのように思い浮かぶ単語や情景をノートに書き溜め、最終的に歌詞を書き上げるのに一時間も掛からなかてった。僕は生まれて初めて英語で歌詞を書き、曲名を「Ghost Flower」と名付けて、Gloriaに歌詞を送った。彼女もとてもその歌詞を気に入ってくれて、帰宅するまでの間に自ら歌を吹き込んで送ってくれた。それをAnnieにも共有して帰宅後ようやく眠りについた。


▼渡米後初めての短編映画「Ghost Booth」の撮影
11月28日火曜日の深夜0時からその撮影は始まった。撮影場所は、ジャズの名門、バークリー音楽大学のあるレコーディングブース。先日、同大学で催された映画音楽の作曲家と映画監督をつなぐワークショップを通じて何人かバークリーの仲間と出会い、その後、Foundation(映像と音響制作の基礎クラス)の課題を通じて彼らのショートドキュメントを制作したりする中で、僕たちは急速に仲良くなり、さらにバークリーの中にある無数のレコーディングスタジオを見ているうちに僕は、この奇妙な物語を思いついてしまった。

このFoundationクラスでは、この秋学期を通して、(1)写真(2)照明(3)音響制作(4)映像と階段をあがるようにステップを踏んで、一つ一つのフィールドの学術的な知識と技術を体得してきた。

(1)と(2)は長年ドキュメンタリーを撮ってきた僕にとってかなり親しみの深い得意分野ではあったが、(3)音響制作は馴染みがなかった。特にドキュメンタリーの世界では、主に現場でとってきた音をベースに作品を作り上げていくため、映画のようにゼロから全ての音作り、サウンドデザインに取り組むことはない。音響制作のクラスを通じて、音作りの奥深さに目覚めた僕は、この秋学期のファイナルプロジェクトを通じて、映画の音作りをさらに探求したいと思うようになった。

幸い、Foundationのクラスでは、最終課題として独自に短編映画を制作してもいいことになっていて、僕は急いでこのゴーストムービーの脚本を書き上げた。僕は正直ホラー映画は苦手だ。昔、中田秀夫監督の世界的名作「リング」を観た後にはそれが怖すぎて、しばらくトラウマになったほどだ。だが、「世にも奇妙な物語」は大好きで、高校生の頃に始まったこの番組を今も欠かさずに見ている。

日本のホラー映画の怖さは、「見えない怖さ」であり、そこには、こちらの血肉が飛び散るゾンビ映画にはない奥ゆかしさが存在する。

「It’s soul scare, rather than jump scare.(それは即物的な恐怖ではなく、魂が感じる真の恐怖だ)」

敬愛する脚本クラスの教授オーエンの言葉を借りて言えば、そのようなものになる。僕は今回のこのゴースト映画を通じて、「魂の恐怖(Soul Scare)」を追求してみたいと思った。そして人を怖がらせることは、究極のエンターテイメントの一つであり、そこには物語と映像、音響を複合的に組み合わせた高い技術が要求される。僕は今回これまで挑戦したことがないホラー映画というフィールドに挑むことで、自分自身のコンフォタブルゾーンをまた一つ打ち破り、フィルムメーカーとしての創作の領域を広げたいと思った。

この映画の撮影のために、バークリー音楽大学の仲間たちが協力してくれることになった。とりわけエンジニアでギターリストのカーティスは大学から正式な許可を得るために、わざわざ学部長にメールをしたためてくれて、その援護射撃もあり、撮影前日にようやく正式が許可を得ることができた。

「もし撮影許可が降りなければ、最終課題として提出することを認めるわけにはいかない」

そう担当教授のデイビッドに脅されていたため、僕は心底胸を撫で下ろした。

しかし、映画のこの撮影にはさらなる大きな課題があった。それは伝統あるバークリー音楽大学のスタジオを無償で撮影に使わせてもらえるものの、日中は正規のレコーディングで学生たちに使用されているため、撮影ができるのは深夜24時から6時までの6時間に限定されること。その間に作品を成立させるために必要な全てのカットを撮りきらなければならない。

そこで僕は撮影監督を引き受けてくれることになったRuiとMarvinとともに綿密な打ち合わせと撮影テストを事前に行い、撮影に必要なカットを精査して絞り込み、さらにどの順番で撮影をしていくかショットリストを整理した。この作業には中国の最難関の映画大学・北京フィルムアカデミー出身のRuiが一役買ってくれて撮影ギリギリまで準備を進めてくれた。

さらに脚本を、脚本クラスのオーエンが自分のクラスの制作課題でないにも関わらず何度も脚本を読んで惜しみのないアドバイスをしてくれた。

現役の売れっ子脚本家であり、かつ映画監督でもあるオーエンのアドバイスはとても実践的で、実際に撮影の直前に彼がくれたいくつかのアイデアを撮影の中で活かすことができた。

月曜日の夜は、18時から22時までオーエンの脚本クラスがあるが、その半数近い5人のクラスメイトが撮影に協力してくれることになった。さらに3人の仲間を加えて、このミッション・インポシブルとも思える深夜の撮影を成功させるべく、8人の同志が集まった。

「ここでは議論はなし。とにかく集中して撮りきろう!」

助監督のジェリー、撮影監督のルイとマーヴィン、音声とプロデューサー担当のマヤ、照明のミンユ、そして主役のアニーとゴースト役のスーチー。今回、僕が監督を務める初めての作品であり、みんなの集中力と気力がどこまで持つか、始まってみるまで正直一抹の不安が拭えなかった。だが、限られた時間の中で、しかも深夜の撮影であるにも関わらず、誰もが集中力を切らさずに、休憩時間も惜しんで撮影を続けた。に今回初めて一緒に現場で仕事をした仲間のミンユはとてもテキパキと照明を作り上げてくれて、そのおかげでとてもミステリアスなブルーの暗闇を作り上げることができた。僕はその照明を生かして、咄嗟にシーンの設定を変えて、ゴーストが登場した後は、ずっとブルーな暗闇の中で物語を進行させることにした。

きっと監督としての筋肉は、自ら監督することでしか鍛えることができない。

最後、いくつかのカットの撮影を時間的な制約の中でカットせざるを得なかったものの、僕たちはなんとか無事に朝5時40分過ぎに全ての撮影を終えて、スタジオの現状を復帰して現場を後にした。集まった仲間の現場での経験値は様々だが誰もがこの映画をいいものにしようと能動的に働いてくれた。誰もが監督でありアーティストであり、未来を切り拓く可能性を秘めた表現者でもある。こんなチームってあるだろうか。最強じゃないか。

「これは僕がボストンに来て過ごした最もクレイジーでクリエイティブな夜だ」

撮影を終えた僕がそういうと、助監督を引き受けてくれた相棒のジェリーが「僕だってそうだよ」と笑った。

「みんな本当にありがとう」

まだ夜明け前のボストンの街角で、僕は何度の感謝の気持ちを熱いハグと握手を交わした。

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